2014年11月16日日曜日

結局は「組織」より「人間」なのか

企業にはそれぞれ社風がある。堅く言えば上下の権限格差(=椅子の大きさの違い)から個人に与えられた裁量範囲(=その人でなくとも話しが通じるか)ということになるだろうし、日常のイメージで言えば「理想的な▲▲マン」に企業文化は象徴されているものだ。

社風はどうあれ、やはり人間集団が曲がりにも組織化され、特定の目的が追求されているなら、指導的地位にあるものが実際に組織を動かしているのが望ましい。というか、分かりやすいと思う。

西浦進「昭和陸軍秘録」(日本経済新聞社)が評判らしいから読んでみた。西浦進は著者というより、東大の研究会が何度かインタビューを重ねた記録が本になったものだ。同氏は、満州事変以後の「昭和陸軍」を主として陸軍省軍務局軍事課から身近に見ており、太平洋戦争開戦時には東條首相兼陸相の陸相秘書官の任にあった。戦後は陸上自衛隊幹部学校戦史室長、やがては防衛庁防衛研修所戦史室長を勤めた人物である。

読みどころは多々あるが、やっぱりねえと感じたのは、「私は陸軍省で役人のような仕事をやってまいりましたが、夢はやっぱり馬上で指揮刀をふるって連隊を指揮したかったですよ」という所だ。文章をそのまま引用しているわけではないが、その組織が理想とする人物モデルというのはどこにでもあると。同じだねえと小生も非常に共感したのだな。

昭和6年に満州事変を起こした石原莞爾が参謀本部第一部長になっていた昭和12年、盧溝橋事件を発端に日中戦争が始まった。最初の時期に不拡大を基本戦略にしようと考えたのが石原部長だが、現地に赴いた所、かつて満州事変を見事に「成功」させた石原を模範としているのだと反論されて絶句したというエピソードは有名だ。

「ここで仕事をするなら■■さんのようにやってみたいものだ」、こんな目標は誰でも持っているだろう。それが「組織」ならどこにでもある「企業文化」であり「社風」であり、それが本質的に間違っているなどは中にいる個々人には思いつかないものだ。というより、そんなへそ曲がりは「異端者」として排除されるだろう。

西浦秘録でもう一つ、「組織は誰かが動かしていますから。トップの師団長が立派な人物ならトップが動かします。しかし、人間集団ですから。参謀長が自分より先が見える、そう思えば師団長は参謀長を重んじますよ。結果として参謀長が全体を動かしていきます。一番有能な人間が誰かというのは、顔の見える範囲であれば、いつも話している中で分かりますから。あいつならどう考えるかと。結果として有能な人物が重んじられます。それを下克上というのかどうか……」。これも文章をそのまま引用しているわけではないが、こんなことも言っている。大学という組織は個人商店街のような所だから違うのだが、ずっと昔、小役人をやっていた頃は確かにこうであった。戦前も戦後も同じだねえ。そう感じたのだな。

ここにこそ「年功序列」の弊害がある。「能力主義」で人事を動かすべきなのだ。まだ深く研究しているわけではないが、そんな単純な結論にはならないと感じる。

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