2014年11月15日土曜日

「戦争」と「交戦状態」

日本の近現代史を勉強していたときは「▲▲戦争」(日露戦争ほか)があると思ったら、「○○事変」(満州事変ほか)がある、更には「■■事件」(ノモンハン事件ほか)もある、まったく訳が分からぬという感想をもったものだ。この辺り、英語でも各種の交戦状態を区別し、使い分けているのだろうか……。日本の場合は、国際法上の宣戦布告をしたかしなかったか、ローカルな武力紛争であるか、参謀本部の作戦計画によるものであったかなど、手続き上の線引きが一応はあるらしい。

近代以前の戦争は皇帝や王の戦争だった。なので一方の君主が亡命したり、継戦意志を放棄すれば、そこで(一つの)戦争は終結した。軍隊は君主の軍隊だから、一般国民とは区別されていた。第一次大戦で独王ヴィルヘルム二世が亡命した時、ドイツ軍は崩壊したわけであり、ドイツ国民の敢闘精神と戦争の有無とは区別されていた。この辺のロジックはロシア革命前後のロシア軍のポジションとも共通する。

君主制国家から民主主義国家になり、戦争は君主ではなく国民がするようになってからは、戦争の終結と戦争責任が曖昧になった。

いや、そもそも日清戦争の開戦前、君主であった明治天皇は『この戦争は臣下の戦争であり朕の戦争ではない』と言ったそうな。臣下が戦争を引き起こしたとすれば「統帥権干犯」にあたる。しかし、この件が大事件になることはなかったようだ。

もし日清戦争で日本が敗北していたとすれば、「戦争責任」の所在で激論が展開されただろう。


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