2016年1月9日土曜日

現役時代の棚おろし(1…?)

棚卸しとは保有在庫の確認である。もう無いものは棚卸しで記録されることはない。

しかし、職業人生全体を振り返ってみると、出来たことも大事だが、出来なかったことをリストアップすることも大いに意義がある。そう思う今日この頃なのだ。


官庁エコノミストの草分けであるI.M.氏が亡くなったという報道だ。小生がまだ経済学を修行している時分、指導してくれた先輩は何度もI.M.氏の景気分析を素材にとりあげたものだ。何の責任もない脛かじりの学生の目にマクロ経済分析を的確に展開するI.M.局長は日本経済のプロデューサーのようにも見えたものだった。

小生は、結局、先輩の影響をうけてI.M.氏が勤務する役所を選んで職業人生を始めたのだが、一度だけ大阪(であったと思うが)出張に随行したことがある。小柄でありながら背が真っ直ぐで実際の寸法よりずっと大きく見えた人であった。声は、比較的小さく、穏やかで、 ゆっくりと話す人であった。

少し厳しい面がある別の先輩によれば『△△会なんてものがあるわけじゃないんだよ』ということであったが、小生が最初に書いたルーキー向けの文章で『行政官的エコノミストになるか、エコノミスト的行政官になるか、その選択は確かに必要だと思うし、どう選択するかは自分自身で選んでいくことだと思う』と。

いま思い出すと、訳のわからん、キザなことを書いたものだと思うが、こんな表現を思いついたきっかけは(その時点で次官であったはずの)I.M.氏である。その年の夏、小生は父を亡くしたのだが、真夏で猛暑が続く中、陽の高いうちは仕事をして、暗くなると先年やはり病気で他界された当時の課長補佐Y.O.氏の許しを得て、父に付き添っていた母の様子をみるため都下にある大学病院まで外出する。そんな毎日をおくったのだが − いや、まあ大した戦力でもなかったのだろうが、よく我がままを許してくれたものだ − その時期、努力をすれば彼の人のようになれるという目標感が支えといえば支えであったのだろう。

行政官的エコノミスト、エコノミスト的行政官・・・、そのどちらにも小生はならなかったが、ある一定の時期、(心の中の)師匠と思ったことがあったので、訃報をきくと平気ではいられなかった。

これもまた、最近は意識する事がなかったが「出来なかった事一覧」に入ることだ。

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