そんな風だったので、昨晩は下の愚息をいれて三人でカニ鍋にしたのだが、上の方が「カニ、駄目?」と恨めしそうに聞いていたそうだ。子どもなら可愛くもあるが、齢を考えると、情けなくもある。
下の愚息は、仕事のほうには大分慣れてきた様子だ。ただ、まだまだ熟成度が足らず、香気がない。そのことを小生の口から直接に伝えておいた。
小生: いいかい?仕事だけの毎日を続けているとナ、大体同じ仕事をしている限り、仕事の範囲より以上に成長はできなくなるんだよ。お前、一年前とあまり変わってないよ。つまり成長が鈍っている。そんな年齢ではないはずだよ。この先も、相手は変わっても大体同じ仕事をしていけば、熟練はしてくるだろうし、仲間内ではうまくなったなと言われるだろうが、外からみると『変わらないな』ってな、そんな感じにしかならないよ。いいのか、それで?
小生: 話は大体聞いたから、経験を積んできていることは分かった。ただネエ…、どう言えばいいのかなあ……、俺の叔父に銀行マンの人がいて、ずっと昔、いろいろな相談に乗ってもらったことがあるんだ。その叔父が俺の母、つまりお前のお祖母さんの実家に何度か行ったらしい。『△△さんと話していると、銀行の窓口で話しているみたいじゃねえ・・・』とな、まあそんな話を叔父が帰ったあと、みんなで話していたそうなんだ。行儀が悪いと言ってしまえば、そうなんだけどナ。だけど、俺も叔父と話をしていたときは、同じ感想だったんだよな(笑)。いい叔父なんだが、いかにも幅が狭いよ。仕事から離れた一人のヒトとしてサ、どんな個性をもっているのか。仕事をとったらどんなヒトなのか。それが感じられないのは、要するに仕事以外の自分がないってことさ。仕事で一生懸命なんだ。よく言えばそうなるんだろうが。程合いというのはある。お前の話しは昨日から仕事でこれをどうした、あれをどうしたって、それが多すぎるぞ。『お前はいかにも〇〇だねえ』と、家族で話をしても同じことを言われてしまう。商社マンなら、誰それがああ言ったから、こういい返してやった、そしたらあいつが裏切りをかけてきたから、俺は第三のあいつにこうささやいたんだ……。社内ならそんな話をしてもいいし、盛り上がりもするだろうけどナ。普通に話してみんなが関心を示すような話じゃないよ。所詮、下らなくて、つまらない話じゃないか。話しにはその人の志の高さが表れるものなんだよ。お前、一体何のために、誰のために、なぜ今の仕事をやっているんだ?それはなぜ大事なんだ?お前の仕事は、『自分の(たとえば幸福の)ためにやっています」と、そう言える性格のものではないだろう。じゃあ、なぜそれをやっているんだ?その原理・原則は何なんだ?何でなくちゃならないんだ?
ずっと昔、アイザック・アシモフのミステリー『黒後家蜘蛛の会』の愛読者であったが、毎回のバンクエットに招待されるゲストが食事のあとで最初に答えなければならない質問は、『あなたは、何をもってご自身の存在を正当となさいますか?』であった。いい質問だ。まあ、主旨は同じである。
そんな具合に、仕事に慣れてきたところで苦言をきかされる経験も若いころには必要なことだ。
小生も小役人のころ、いつも訪れては若造の小生につきあい何時間もつづく快飲の席を設けてくれた松山在住の叔父から厳しい一言を呈されたことがある。『〇〇クン、それはあれじゃ、虎の威を借る狐のような仕事じゃ』、それでハッとして我が勘違いと誤り・自己肥大心理に気がついたのだった。中学校の教頭先生であったその叔父は、亡くなった小生の父とは旧制中学で同級だったのだが、そんな事もあって今でも思い出すと温かい気持ちで一杯になる。
親など、子供が成長した後は絶対的に不可欠の存在ではない。気がついたときに記憶に残るほどの厳しい言葉を聞かせておく位が出来ることの最大限度であろう。
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富士はなく 鷹もみかけず 茄子もなき
あじなき里も 老いの初夢
未来を想像する夢と、過去を思い出す夢は、全然違う。齢を重ねるということは、必然的に追憶の夢が増えるということだ。
往々にして、その夢は戻せぬ悔いや償うことのできない反省がいり混じった夢である。そんな夢をみるのも、人生の塩気といえばそうなのだが、この正月は随分と塩辛い。
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