平和といえば、平和である、な。
『親のケンカを見ながら子供って強くなるものだと思うんです・・・』。・・・ン?聞き逃せんなあ。
『正月帰省、実母はしんどい』。
現代家族事情のさまざま絵模様をワイドショーにしているわけですか。確かにうちのカミさんも一つのサンプルだが、こういう番組での語りは高視聴率をとれるだろうねえ。
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しかし、ネ。
親のケンカを見ながら子供が強くなるって、これは真っ赤な嘘である。
小生の両親は、今から思うと波長が合った夫婦であったのか、なるべくしてなった夫婦であったか、それは息子である小生にはわからない。
親の心の中は子供には結局わからないものである。わかっていると思っているだけである。
反対に、子供の心の中は、親には結局わからないものである。
ただ一つ言えることがある。
父と母がケンカをしている姿を目の前でみるのは、子供にとってとても悲しいのだ。子供に悲しい思いはさせたくないと感じるのが、親の愛情の普遍的な姿である。故に、子供が強くなるのだから、ケンカくらいは許されると考える親は、まあ、減点というか、失格である。そう思っている。
今の世の中、「助けあい」という言葉を借りて、ただ「もたれ合っている」だけのことが余りに多い。この二つ、根本的に違うと思うのだ、な。
人類は戦争することで鍛えられるのだ。何が平和主義だ。戦争を嫌がること、イコール弱さの表れである。
こんな政治家をあなたは正しいと思いますか?
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君子不重則不威、学則不固。
主忠信、無友不如己者。
過則勿憚改。
君子重かざれば則ち威あらず、学べば則ち固ならず。
忠信を主とせよ、己に如かざる者を友とすること無かれ。
過ちては則ち改めるに憚ること勿れ。
(出所)「論語」学而篇
これは悪い、これは間違っているというサンプルを観察したとき、「これもありか」と反応するのを堕落という。腐敗でもある。退廃でもあり、衰退の証拠である ― 証拠であって、原因ではない。
過ちは正したい。この過ちは恥ずかしい。こう感じる心情は孟子によれば義のはじめである(参照:四端説)。まさに改めるに憚ることなかれ、だ。
なるほど坂口安吾に『堕落論』があるくらいだから、堕落の自由もあるのだが、そうであるなら北朝鮮の核実験も、イスラム国のテロも非難する資格はないってものだ。そうでござんしょう。間違っておりますか。
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