先日買った"Surface Pro 4"は、いくつか不満の点はあるものの、満足している。
週末の土曜には卒業年次生の最終発表会(1回目)があったが、さほど疲れていなかったので、日曜は昼までSurfaceをとりだして、"Cats - London Original Cast -"をWindows Media Playerでダビングした -- WEB版Amazon Musicを使えばダビングの必要はないケースが多いのだが、オリジナルCDがネットで販売されてなければ仕方がない。
そのついでに、最近ではすっかり埃まみれになっていたCDケースをパラパラめくっていくと、American Popsがあった。プラターズの『煙が目にしみる (Smoke gets in your eyes)』から始まる廉価版である。
懐かしかった。
このCDは、小生がまだ千葉・柏にある狭い官舎で暮らしていて、まだいうなれば新婚間もない頃、それまでのウォークマンに代わって世間ではCDプレーヤーの時代だという流れになっていたものだから、CDとはどんなものかと思いつつ、ちょうど新橋駅前の雑貨店に入ったときにポータブルタイプの1台と、とりあえず聴くための初めてのCDを買って帰ったのだが、そのCDがこのAmerican Popsだからだ。
帰ってからカミさんに『CDって知ってる?』と聞くと、『ああ、レコードの小さいようなあれ?』と、そんな間の抜けたような返事をしたような記憶がある。
カミさんは、その前後 ― 前だったろう、その夏の終わりの8月末には長男が生まれたのだから ― に小生が出向していた岡山県から官舎に転居してきたものだから、まだまだやることが多かった。CDどころではなかったのだろう。
小生は4畳半の仕事部屋に入り、ポータブルCDプレーヤーを電源につなぎ、最初のCDをかけた。スピーカーは・・・イヤホンだったか、それとも小型のBoseが手近にもうあったのか、覚えていない。
CDという媒体、カセットよりはハイカラな感じであったな。音質は、これまた覚えていないが、客観的にみて良いはずはなかったが、新しい音楽ライフの到来に大いに満足したものである。
その後、西日本の某国立大学に出向している間に母も亡くなり、小生はそれまでの人生の基盤をすべて新しく作り直したくなり、いま暮らしている北海道に移ってきたのだが、当地でもしばらくは車の中でこのAmerican Popsをよく聴いたものだ。『砂にかいたラブレター』、『オンリーユー』、『ラストダンスは私に』などなど、暖かくなった北国の春、若葉緑の中を、フォードのステーションワゴンにカミさんと二人の愚息を乗せてニセコ辺りまで走らせると、実にしっくりと気持ちが楽になり、再生というか"Reborn"の感覚が心の中に広がったのだった。
・・・そういえば、子供が小学校に上がって、ある年の夏にオロロン街道~宗谷岬~オホーツク街道~網走~層雲峡~美瑛・富良野を一周した時は、道中ずっとジブリ作品に流れる曲を集めたCDをかけていた。それを繰り返し聴きながら、その年の夏は、運転していた。いまでもジブリものの再放送をみると(DVDもあるのでいつでも観れるのだが)、稚内から網走まで雨のオホーツク街道を走っていたときの情景を思い出すのはそのためだ。いやあ、上の愚息も下の愚息もまだまだ幼かったネエ…。
子供たちが独立してからはほとんど聴かなくなっていた。存在することも忘れていたが、たまにこうしてまた聴くと、30年の歳月もほんの3日くらいの時間に感じられるから「時間」というのは不思議なものだ。
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