2018年3月4日日曜日

政策選択とノイズ

裁量労働制の導入が延期された後には「高度プロフェッショナル」をどうするかという審議が待ち受けている。

野党はこれにも生煮え、というより本来的な意味において反対している様子だ。

小生は、両方とも21世紀の雇用市場には不可欠の制度であると考えている。

ところが、今日のニュースでも報じられているように野村不動産が営業職に裁量労働制を違法に適用し、結果として過労死を招くという事件が発生しているなど、経営者側の都合に合わせた<残業代ゼロ制度>として悪用される。そんな心配も高まっている。

この種の企業側の悪用例は確かに報道価値がある。そう思う。

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経済予測に典型的に表れるのだが、経済学は物理学や化学のような精密性をもたない。他の商品に対して価格が相対的に安くなれば、その商品に対する需要は増えるはずであると理論的に「証明」すらされている「法則」にしても、実際には安くなっても販売数量が増えないというケースは意外と頻繁に観察されるものだ。

それは価格のほかにも、その時の景気状況、プロモーション戦略の成否、競合企業の反応、商品に対するイメージや風評などなど、多種多様な要因から販売は影響を受けているからだ。さらに、主たる要因をすべて考慮して販売予測をしても、予測は中々当たらない。予測と実績が乖離するのは日常的である。それほど経済現象には「その他要因」の作用が大きく、精密な予測を不可能ならしめている。

かといって、経済現象には科学的分析などは活用できず、まったくのカオスと見るしかない、と。そう発言する専門家がいれば、完全な間違いだ。実際、経済変動史において理論的な説明のつく現象は多いのだ。理にかなわない経営をしている企業はじり貧になるものだし、理屈に合わない経済政策をしている国は最終的に崩壊する運命にある。

経済学が示す固いロジックはやはり考慮しておいたほうが良いということだ。

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水泳ができなくってもすぐに困るってエことはありャせんョ。しかし、泳げないよりは泳げる方がずっとマシだ。そりゃあネ、泳げるからこそ、無茶をしてネ、水難事故の犠牲者になることもあらあネ。だからと言って、事故にあうかもしれないから水泳は禁止しておくべきだと言っちゃあ、こちらの方が無茶ってものでござんしょう。日本人みんなカナヅチになってどうします? やっぱり出来ないよりは出来る方が助かるってもんだ。当たり前じゃあござんせんか? 違いますかえ? だからね、おっちょこちょいが偶には無茶をするけどネ、学校で泳ぎを教えるってのはいいことだ、そうでんしょう。

自分の都合に合わせて仕事をして収入が一定額保証される制度があれば、ないよりはあるほうが有難いと思う人は確実にいる。だから導入された。もっと拡大する余地はあるかもしれない。メリットが確認されているのだから「ない!」とは断言できないだろう。

もちろん、この制度を導入すれば、必ず良くなると100パーセント、全てのケースを必然的に結論できるかといえば、そこまでの精密予測は無理だろう。制度がもたらす恩恵は、全体としてそうだ、としか言えないものだ。個別ケースには必ずノイズがともなう。

自動車学校の教師が言ったことがある。『決して交通事故を起こさないためには何が一番ですか? それは運転をしないことです』。これ、半分は職務放棄である。

しかし、国会議員まで職務放棄をすれば日本全体が低迷する。

確かに雇用されている人が一定の報酬の下で自分で仕事のスケジュールを決められるというシステムは、企業から悪用される可能性がある。目指す目的がある以上は、悪用されないように法的ルールと違反した時のペナルティが必要だ。導入される制度には、問題が残されていて、完成型には至っていない。しかし「完成型にまで仕上げてから国会に提案せよ」というのは、立法府である国会の職務放棄にも思える。原案を吟味し実施可能な政策に落とし込むことこそ国会が果たすべき役割だ。

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相撲には土俵の充実。国会には審議の充実が生命線になる。

現状は程遠いネエ。与党は野党の言い分を顧みず、野党は役に立つ提案をしようとしない。言うことは反対ばかりだ。

不誠実である。

<不誠実>と同じ程度に<欺瞞>もまた問題かもしれない。

従軍慰安婦に関する日韓合意をめぐって韓国・文政権の対応を日本人は非難しているが、こうした紛糾には双方それぞれ責任があるものだ。10対0には中々ならない。

そもそも合意をめぐる交渉の段階で、日本政府による真摯な謝罪が求められていた。韓国側は、安倍総理の謝罪の書簡を手渡したい、と。そう韓国は求めてきたのだが、日本側は一蹴したそうである(と伝えられている)。

<真摯な謝罪の態度を示す>という一項も合意の中身には含まれていたはずだ。日本は韓国に約束を果たせと主張しているが、日本は約束を完全に履行したのだろうか?

金は払ったが、合意された事柄はカネだけではないだろう。カネを払った以上、合意は履行したと主張するのは、手前勝手な欺瞞にならないのだろうか?

今日の道新には『日本も合意の約束を完全に果たしているわけではない』と指摘しているが、この点には検討するべき冷静な指摘があると。そう見る。健全なリベラルがまだあるように感じた次第。ま、今さらに「いやあ、これネ、やろうと思ってたんですヨ」などと言って追加措置をするなど、もう不可能だろうが。世界のどこに出しても、日本側に欺瞞はないと言えるようであってほしゅうござるよ。


「働き方改革」も「器の大きな保守」と「健全なリベラル」との対決であってほしいネエ。

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