しかしながら、サムライとはどのような行動をとるべき存在だったかと言えば、侍とは「さぶらう」、すなわち主人に付き従う者を「侍(サムライ)」という。これが語源である。
ありていに言えば、京の都にいる院や摂関家、その他堂上公家の手足となって、時には「汚れ仕事」にも手を染めながら、実働部隊として精勤するものこそ、日本武士の源流である。
武士の自尊心とは現場の人間がもつプライドと同根である。人生観や処世観、その他すべての精神的エートスもそうだ。
こんな風な出自でもあるから、鎌倉幕府滅亡後に、北条家遺臣が起こした中先代の乱の混乱の中、幽閉された護良親王を敵の手に渡る前に殺害してしまえと足利尊氏の弟・直義に命じられた家臣・淵辺義博は直ちに『カシコマッテソウロウ』と応え、実行に及んだ。実に見事な汚れ役である。確かに悪行ではあるが、是非善悪を自分が選んだ主君にゆだね、自らはあくまでも忠節を貫く、そんなサムライのたたづまいには爽やかさすら感じるというものだ。こんなサムライが幕末の頃までは呼吸をして生きていた。
というより、もしも太平洋戦争期の首相であった東條英機や最後の陸軍大臣を務めてから「一死大罪を謝す」と認めて割腹した阿南惟幾が、そのまま東京裁判に出廷して自分は汚れ役を引き受けさせられただけだと弁明していれば、そもそも昭和天皇の戦争責任論も違った進展を見せていたであろうし、戦後日本の歴史すらなかったかもしれない。
汚れ仕事を運が悪いといって嫌がる人は、言葉の定義からして侍(サムライ)ではない。
こんな文章がネットにある。
学校法人「森友学園」に国有地を売却した財務省の近畿財務局の男性職員が、自宅で自殺した。その後、佐川宣寿氏が国税庁長官を辞任し、財務省も国有地売却に関する決裁文書の書き換えを認めた。
東京新聞などによると、自殺した職員は親族との電話で「常識が壊された」と漏らしており、親族は「汚い仕事をやらされたのではないか」と疑念を強めているという。痛ましい限りである。
これはひとごとではない。
「汚い仕事」を押しつけられそうになること、あるいは実際に押しつけられることは、ビジネスパーソンにとって無縁ではない。実例を挙げて、どう対処すればいいのかについて解説したい。
(中略)
わが身を守るためには、なるべく第三者の同席した場で指示を受けるべきだ。要は、2人きりにならないということで、どうしても2人きりになる場合は、録音しておくのも手だ。(出所)汚い仕事をやらされた人に伝えたいこと
日本から武士道は消え去ったと断言してもいいようだ。いま残っているのはパフォーマンスでしかない。
サムライを現代日本人が演じるのは、ブラジルやスペイン、オーストラリアの人がサムライを演じるのと、それほど大きな違いはない。もはやそう言っても構わない時代になった。
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