2018年3月8日木曜日

▲▲ファーストをめぐる紛争の動機と契機がポイントである

最近2,3年の流行語を選ぶとすれば、表題の「▲▲ファースト」がトップ3に入るのは確実ではないだろうか。そのくらい、特に新聞、TVのマスコミでは便利な感情的表現として多用されるようになった。

分かりやすく「現場の意向をもっと尊重してほしいですねえ」といえば、リーダーシップこそが全ての組織の未来を決めるのだと切り返されてしまう。「実際にプレーをする選手の希望をもっと尊重してほしいですねえ」と言えば、選手がいくら頑張っても監督がダメなら優勝など出来るはずがないと反駁される。

現実を観察するに、これが正論だ。素質とは画材であり、指導者は画家である。選手は楽団員であり、監督は指揮者である。勇将の下に弱卒なしであって、兵が将を育てるとは言わない。トップで勝負は決まるといっても過言ではない。企業、スポーツ、芸術等々、観察すれば明らかなことだ。

ナポレオンが言ったように
一頭の狼に率いられた百頭の羊の群れは、一頭の羊に率いられた百頭の狼の群れにまさる
弟子に才能があったから花が開いたのではなく、開くはずのない花を開かせたのは師匠である、というケースの方が多いことは、芸術、スポーツ、政治、経済の世界を一瞥するだけでも了解したくなるのである。

以上があくまでも正論であると思う。

しかし、正論では納得できない階層がいる。そんな場合には新しい概念、新しいキーワードをタイミングよく反復使用すると道が開けることが多い。特にマスコミは新し物好きである。なので、この戦術は大変有効なのだ。

遠く遡れば、「尊王攘夷」などという言葉は江戸時代を通じてなかった。幕府がペリーの恫喝に屈して伝統的政策を転換したタイミングで(幕府が最初に鎖国を決めた以上、鎖国を解除する権限もあった)、にわかに「尊王攘夷」が日本全土で流行語となった。その黒幕が京都の朝廷であることは「得をする者を探せ」という捜査の鉄則を守れば直ちに分かることだ。

都民ファーストもアスリート・ファーストもアメリカ・ファーストも同じである。正論が確固たるポジションを占めているときに、ちゃぶ台返しをしたい集団がいる。そのような時に使用される。使われているパターンをみれば、これが単なる流行なのか、意図をもった攻撃であるかは分かるというものだ。「アメリカ・ファースト」を連呼したのはなにもトランプ大統領候補が最初ではない。第一次世界大戦の終結と国際連盟創設に努力したウィルソン米大統領から政権を奪取するために共和党大統領候補ハーディングが選挙運動中に連呼した言葉である ー 前に投稿したようにハーディング政権がとんでもなく腐敗した政権となった点もどこかデジャブ感がある。

***

女子レスリングの稀代の名選手・伊調馨選手と歴史に残る(はずだった)名監督・栄和人氏のパワハラ騒動。

小生は基本的にこのような場合、あらゆる交通事故と同様、双方に何割かずつ紛争にまで至った責任があると考える。なので、敢えて言えば、伊調選手は引退、栄監督は辞任が最もあとくされのない「裁き」であると確信している。喧嘩両成敗である。軽はずみに是非善悪を決めると必ず恨みを残す。将軍・綱吉はこの点で見事に失敗した。

しかし、今日この話題をとりあげたのは別の観点である。

***

もし伊調選手が国民栄誉賞を授与されていなかったら、今回のような告発があっただろうか。

コーチ変更後に何度かの不愉快な経験がおそらくあったのだろう(でなければ、そもそも今回の騒動は発生しえない)。パワハラとして告発したいという動機は以前からあったのだと推測される。それでも何年もの間、ずっとその被害者感情をオープンなものにはしなかった。

伊調選手は勲章を授与され、多くのゴールド・メダリストを育成した監督は国家からの栄典には浴していない。

国による一方への厚遇が以前からの不満を公にする契機となったことを全面的に否定できるだろうか。

もし国から授与される栄爵が、いまだ現役として継続中の何人かの関係者の人間関係を変えてしまい、一方が利益を拡大する行為をひきだす誘因なり契機となるなら、国民栄誉賞を含めた栄典はすべて止めるべきである。

引き合いに出して悪いが、もしもイチロー選手が二度にわたる国民栄誉賞授与の機会に辞退をせず受けていたら、今日までに至るイチロー選手をみる日本人の視線、イチロー選手を遇するメジャーリーグをみる日本人の視線、イチロー選手の行動パターンなど、いろいろな面で、特に人間関係において「変質」ともいえる現象が見られたのではないだろうか・・・。そんな気がするのだ、な。

どうも小生、へそ曲がりに加えて、稀代の潔癖症でもあるので、不必要な国の行為が一方に肩入れしてしまう状況には腹が立つ。ただそれだけのことである。

0 件のコメント: