2014年7月25日金曜日

荷風-「計画」への不信・「自然」への共感

前期の授業も実質あと一回。今日は学務課に期末試験の印刷を依頼した。今年度の上期は色々と仕事が押し寄せたが、夏が来てさすがに潮が引いていくように余暇が増えてきた。次は9月に仕事の大波が来る。その前にシステムキッチン入れ替えの工事が入る。どうもバタバタしているのが今年の特徴だ。


今日は一段落したので、リハビリ帰りのカミさんを拾って帰宅した午後、Kindleで永井荷風の随筆を読みふけった。『日和下駄』の「閑地」の章だ。

荷風は、同時代の人たちより非常に豊かな在外経験をもっていた故だと思われるが、徹底した反・進歩、反・政府、反・国家戦略の作家である。アメリカで暮らした時は「あめりか物語」を書き、パリでは伝統あるフランス文明の深さに感動し「ふらんす物語」を作品にした。日本に帰国してからは、消え去りゆく江戸の町を惜しみつつ、日本伝統の美をこよなく愛した人である。

二人は早速閑地の草原を横切って、大勢釣する人の集っている古池の渚へと急いだ。池はその後に聳ゆる崖の高さと、また水面に枝を垂した老樹や岩石の配置から考えて、その昔ここに久留米二十余万石の城主の館が築かれていた時分には、現在水の漂っている面積よりも確にその二、三倍広かったらしく、また崖の中腹からは見事な滝が落ちていたらしく思われる。私は今まで書物や絵で見ていた江戸時代の数ある名園の有様をば朧気ながら心の中に描出した。それと共に、われわれの生れ出た明治時代の文明なるものは、実にこれらの美術をば惜気もなく破壊して兵営や兵器の製造場にしてしまったような英断壮挙の結果によって成ったものである事を、今更の如くつくづくと思知るのであった。
(出所)青空文庫「永井荷風-日和下駄」

上は、荷風が慶應義塾への出勤の帰途、友人とともに三田にあった旧・有馬屋敷に入り込み、日本三大化け猫騒動のあと建てられたと伝えられる猫塚を探し当てた、そのあとの下りである。

明治維新の富国強兵政策は、権力を得た政治家が選択した国家百年の計画であったろうが、半世紀もたって振り返ってみると、伝えるべき・遺すべき随分貴重な文化が永遠に失われてしまったではないかと。失われたというより、積極的に破壊してしまったじゃあないかと。それで日本人はどれだけ豊かな文明の中にいるのかと。大久保利通や伊藤博文、山縣有朋には無情な言い方だろうが、ま、そんな目線である。

☆ ☆

政治家は、それも総理や大物議員になれば、やったほうがよいと考えれば、それを実行するだけの地位につく。しかし、やればプラスだというだけでは、実際にそれを実行する価値があることにはならない。すべてプラスの結果だけがもたらされる計画は実は稀なのであり、何かを実行すれば何かが失われる。マイナスの結果も生まれてくるものだ。全部総合して、それでもプラスなら実行すればよいのだが、それを判断するのは権力をもっている人物だ。それが駄目だと荷風は言うのだな。

私は喜多川歌麿きたがわうたまろの描いた『絵本虫撰むしえらび』を愛してまざる理由は、この浮世絵師が南宗なんそうの画家も四条派しじょうはの画家も決して描いた事のない極めて卑俗な草花そうかと昆虫とを写生しているがためである。この一例を以てしても、俳諧と狂歌と浮世絵とは古来わが貴族趣味の芸術が全く閑却していた一方面を拾取ひろいとって、自由にこれを芸術化せしめただいなる功績をになうものである。
(出所)上と同じ

自然に生い茂る雑草の美に目を向ける美意識と、自然に発展する市場経済社会の健全さを信じる思想は、本質的な部分を共有していると思うのだな。雑草が汚らしいという人は、市場経済の儲け主義が不潔だと責めるであろう。そんな感覚は実は貴族趣味なのである。エリート主義に通じると言ってもよい。

そもそも政府が何かを-経済でも、国民の生活でも、戦争でも何でもよいが-計画して、<計画通りに>ことが進み、目標に合致した結果がもたらされたことは、これまで一度もないはずである。

高度成長は「嬉しい誤算」である。最悪の場合は破滅的な敗戦、金融崩壊へと至るものである。おそらく年金崩壊も可能性の一つに数えるべき段階に入ってきた。そう言えるのかもしれない。

0 件のコメント: