2014年7月6日日曜日

芸術と疲労

数年前、仕事ばかりやってきた疲れを感じたのだろうか。若い頃の趣味だった油絵を再開した。すると水彩もやりたくなり、アクリルにも手を出し、パステルも試してみた。100作描くまでは、展覧会にも出さないし、個展もやらないと決めていた。ところが、描いた作品を他人がどう見るかが気になるようになった。本当は邪念なのだが、次々に公募展に出してみて、入選が何度か続くうちに、それなりの満足というか、やっぱり出し疲れなのだろうか。このところ、描く楽しみを感じなくなってきたのだ、な。何だか仕事のようになってくると、趣味ですら労苦に変わるものだ。

疲れた時は海に行こうと書いたのは哲学者・森有正である。山は自己を鍛えるが、海は慰めるのだ。そう書いている。

また疲れたときに聴く音楽はブルックナーがよいと言ったのは指揮者兼評論家・宇野功芳だ。モーツアルトとワーグナーの音楽には毒があるが、ブルックナーは疲れた心を慰める。この三者のどれも私は好きだが、そのとおりだと思う。

その伝で言うと、疲れたときに見たくなる絵は、(小生は)クリムトである。女性を描いた作品もそうだが、特にクリムトの風景画は分析することに疲れ果てた精神を休ませる効果がある。


Klimt、Bauernhaus mit Birken、 1900
Source: Klimt Museum

小生の勤務先にも白樺林があるが、若い頃には心慰められた林を吹く風にも、最近は「もういい加減にしてほしい」という倦怠や瞋恚(シンイ)を感じることが増えてきた。クリムトの描く緑の草原から疲れを覚えることはない。美しいからだろう。

人が真理に関心をもったり、善い行いを喜ぶのは分かる。しかし、人はなぜ美に触れたがるのか。美の本質は、真理や善と少し異質なところがあると思う。一つ言えるのは、疲れ果てたときや人生最後の日に、真理がどうこう言われても「どうでもよい」と思うだろうし、善い行いをみても「まあ、勝手にやっておれ」と言うだろう。しかし、美しいものが目の前にあれば、人生で傷ついた心は少しは安らぐような気がする。

いまアートブームだと言われるが、それだけ多くの人は疲れ果てているのかもしれない。それは資本主義のせいなのか、民主主義のせいなのか、個人主義のせいなのか、法治主義によるものか、宗教と信仰の喪失によるものか、家族愛の喪失によるものか……。豊かさだけは、確かに豊かになった…。もので栄えて、心で滅ぶ。そうなのか。おそらく現代社会の特徴が少しずつすべて現代人を疲れさせているのだろう。「もう、うんざりだ」。今日はそう書き留めておこう。




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