疲れた時は海に行こうと書いたのは哲学者・森有正である。山は自己を鍛えるが、海は慰めるのだ。そう書いている。
また疲れたときに聴く音楽はブルックナーがよいと言ったのは指揮者兼評論家・宇野功芳だ。モーツアルトとワーグナーの音楽には毒があるが、ブルックナーは疲れた心を慰める。この三者のどれも私は好きだが、そのとおりだと思う。
その伝で言うと、疲れたときに見たくなる絵は、(小生は)クリムトである。女性を描いた作品もそうだが、特にクリムトの風景画は分析することに疲れ果てた精神を休ませる効果がある。
Klimt、Bauernhaus mit Birken、 1900
Source: Klimt Museum
小生の勤務先にも白樺林があるが、若い頃には心慰められた林を吹く風にも、最近は「もういい加減にしてほしい」という倦怠や瞋恚(シンイ)を感じることが増えてきた。クリムトの描く緑の草原から疲れを覚えることはない。美しいからだろう。
人が真理に関心をもったり、善い行いを喜ぶのは分かる。しかし、人はなぜ美に触れたがるのか。美の本質は、真理や善と少し異質なところがあると思う。一つ言えるのは、疲れ果てたときや人生最後の日に、真理がどうこう言われても「どうでもよい」と思うだろうし、善い行いをみても「まあ、勝手にやっておれ」と言うだろう。しかし、美しいものが目の前にあれば、人生で傷ついた心は少しは安らぐような気がする。
いまアートブームだと言われるが、それだけ多くの人は疲れ果てているのかもしれない。それは資本主義のせいなのか、民主主義のせいなのか、個人主義のせいなのか、法治主義によるものか、宗教と信仰の喪失によるものか、家族愛の喪失によるものか……。豊かさだけは、確かに豊かになった…。もので栄えて、心で滅ぶ。そうなのか。おそらく現代社会の特徴が少しずつすべて現代人を疲れさせているのだろう。「もう、うんざりだ」。今日はそう書き留めておこう。
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