2015年11月30日月曜日

Isil - 出口戦略を今から語るとはやはりアングロサクソンだ

テロ集団「イスラム国」の脅威に対抗するために西側世界とロシアが協調しようとしていた矢先にトルコによるロ空軍爆撃機撃墜事件が発生した。

その背景やら動機は、また別に分析しなければならないが、まずはいかにして形成されかかった協調体制を維持するか、そのための戦略はなにか、そんな話題がいま満ちあふれている。
…… Their principal concern is not whether Isil is an evil organisation that poses a threat to our security, but over the end game: what happens if and when the Islamists are beaten and their embryonic caliphate dismantled? What takes its place and, in particular, what role will Bashar al-Assad play? Too often in this region, intervention has unleashed forces that have been hard to control because of a lack of planning for the aftermath. Mr Cameron may win his vote; but he and other powers lining up to take on Isil need to be clearer about what its defeat would entail.
Source: The Telegraph, 2015-11-30

英紙テレグラフは「イスラム国」を打倒するには、というか崩壊させるにはどうすればよいかを、もはや論じてはいない。崩壊へ導くこと事自体は、本腰をいれれば、確実に実現できるからだ。というより、放置すれば化学・生物兵器を使ったテロ、核を使ったテロへと先鋭化するのは必至であるから、いま組織を消滅させておかなければならないわけである。

故に、本当の問題はイスラム国を消滅させたあとに何が起こるかを予測しておくことである。

「イスラム国」を軍事的手段によって消滅させた後に発生するだろう事態をコントロールできるのか?


こんな風に議論している新聞は日本にはない。論理的な議論をしようとすれば、微妙な問題を(ある意味)あからさまに、露骨に、包み隠さない言語表現で語らないといけなくなる。

露骨な表現は日本人にとって苦手である。それは尊敬語や謙譲語が発達していて、フラットな語り口が日本語では不自由だからだろう。特に会議では率直な議論が難しい。だから水面下で個別的にやる。そうなると、一貫した議論にはならず、論理が通らない所がでてくる。個別を超越する一般的な論理に対して、日本人はしばしば鈍感である。

論理に鈍感であるのは、八方まるくおさめようと努力しているためだ。和の文化とロジックとは中々とけあわないものである。


戦略とは目的を明確にすることである。明確にされた目的に戦略は従う。そして戦略を実行する組織が決まる。

しがらみのある政府より、本来、ジャーナリズムのほうが自由な議論ができるはずなのだ。が、日本では何にこだわっているのか、多くの場合、マスメディアが自由な議論を避けているような印象がある。だから、論調がどことなく似通って来るのだろう。

2015年11月29日日曜日

絶句するが物事の真相をついている発言

今日の標題にあるような発言はしばしば「妄言」と称される。それを頻繁に口にする人物はあまり多くの人からは好かれないものだ。

『それを言っちゃあ、おしめえってもんだよ』

寅さんの言を地でいく人は、少数派で支持は少ないが、それでも居てくれないと困る。そんな人は確かにいるものだ。

子どもが転んで怪我をしたとき、子どもを助け起こしてあやしてくれる大人がいなければならないし、親を非難する人、うっかり目を離すことはよくあることだと同情する人。道が悪いという人。保育所がないからだと言う人。多種多様な見方を総合しなければ真実は見えてこない。
死にたいと思っても生きられる。政府の金で(高額医療を)やっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらうなど、いろいろと考えないと解決しない。
高齢者の終末期医療について問題提起した発言だ。

まったく同じことを高齢者予備軍の小生はずっと考えている。この種のことを発言禁止にしてはいけない。 『いろいろと考えないと解決しない』と、そう言っているのだから。

誰かって?麻生太郎副総理・財務相である。21日に開催された政府の社会保障制度改革国民会議における発言である由。

ごもっとも、である。

【追記】
……と思ったら、その後すぐに撤回し、該当部分を会議議事録から削除するよう求めたとのことである。

以下はいずれも産経ニュースのURL:

http://www.sankei.com/life/news/130121/lif1301210012-n1.html
http://www.sankei.com/life/news/130121/lif1301210009-n1.html

2015年11月26日木曜日

軍事的優位もビッグデータが決める時代

軍事活動もビッグデータ・オリエンテッド・オペレーションが支配する情況になってきたようだ。

こんな報道、というか公表がある。
Air Mobility Command (AMC) noticed that C-17 airplanes departing from Oman and Kuwait were very inefficient when flying into Afghanistan compared to other parts of the world.
Out of 3,535 sorties, those flights were 5 percent less fuel efficient than the average.
What AMC realized is that air commanders were flying with extra fuel to reduce ground time in Afghanistan.
“Those departures where we saw the inefficiencies, they were putting on 40- to 50,000 extra pounds of fuel so that when they landed in Afghanistan they didn’t have to wait around for an hour or two to get those aircraft refueled and get back out,” Anderson said at a Nov. 19 speech at the Tableau Government Summit in Washington.
Source: Federal News Radio, 2015-11-19 

ビッグデータ分析によって燃料費節減を可能にし、軍事活動の低コスト化を実現できる。そんな主旨である。

戦前期日本では陸海軍参謀達の「信用」は相当なものであったらしいが、軍令を支える参謀達の実際の仕事たるや、今ならPCやタブレットがあるからまだいいが、軍事資源の残高確認、配分・運用の立案、点検などなど、要するに事務官が普通にやっている仕事で忙殺されていたようである。加えて、作戦活動に伴う予算見積もり、予算要求なども陸海軍本省まで出張っていってはやっていたそうだから、つまるところはデータ処理が毎日の仕事であったわけである。

Power BIやRは高嶺の華にしても、せめてExcelくらいがあれば高級参謀達も助かっただろう。

だからコンピューターの登場、その小型化の果てにビッグデータ時代が到来すれば、軍事活動を支える「参謀業務」が効率化され、低コストで精度が向上する。これは当然に期待できるわけで、これによって経済的負担を軽減し、その国の長期継戦能力をアップさせ、ひいては国家戦力の選択範囲が広がる。硬軟おりまぜて柔軟な政策を展開できる。ここまでは述べておいてもよさそうだ。

ずっと以前になるが、サッカー・ワールドカップも既にビッグデータ時代になってきている。この新しい流れに対応した欧州勢と自分たちのスタイルにこだわり続ける南米を比べれば、南米勢に勝機はない、と。アメリカ人が予想するこんな見方について投稿したことがある。

サッカーで起こっていることは、当然、野球でもバスケットでも起こりつつあるし(というか、スポーツ統計学は最も人気のあるデータ分析になっている)、それが戦争でも起こるとしても全く自然なことである。というより、現実には起こる順番が上とは逆であったのだろう。

いま進行中のテロ集団との非対称な戦闘においても、結局はデータとデータ分析という技術で問題は解決されることになる。小生はそう見ているところだ。具体的な解決の姿はまだ予想できないが……。


2015年11月22日日曜日

断想 ― 人生の支えとは、結局、何なのか?

人が生きていくのに何が支えになるか?

あまりに広い問いかけだ。正解があるはずはない。回答も無数にあるだろう。

カネだという人もいるだろう。カネは関係ないという人もいる。家族か?仕事か?友人か?どれもない人はどうする?

だから正解はない。
とはいえ、最近、小生にとって最もおさまりの良い答えを見つけたような気がする。

人は、老いる前には希望によって支えられ、老いてからは誇りによって支えられる。人が死を選ぶのは、希望を失うとき、あるいは誇りを失って老いたときである。


小生が「誇り」などという語句を公言すると、失笑する人も多いはずだ。笑われることは分かっている。しかし、失笑に対しては失笑で返すのが定石だ。冷やかしに対しては冷やかしで、批判に対しては批判で、異論に対しては異論で返すのが、人間社会の定石だろう。

だから、(どこまでもへそ曲がりの小生は)年老いてからの支えは、つまるところ「誇り」ではないかと、個人の立場としては断言する。


幸福は生きる目的ではあるが、生きていくときに支えになってくれるものではない。そもそも幸福は常に自覚されるものではない。

だから若い時分は希望がいる。



誇りは若者の自尊心とは本質的に違う。若い時分に経験する成功体験から生まれるのは陶酔である。それは時間とともに薄らぎ、失敗によって帳消しになる。二日酔いに似たものだ。その頃にもっていた自尊心は反抗心と表裏一体の心情であった。

誇りを持とうにも、若い時分はその実態がなかったのだ。

真の誇りは努力と失敗の何層もの堆積によって支えられるものだ。失敗や苦杯が多ければ、それだけ多くの傷を心身にうけ、だからこそそこに誇りが自然に芽生える。そういうものだと分かってきた。

ワインの熟成にも似ている長い時間がつくりだす心の香りである。その香りがなければ、老いてからの人生は殺伐としている。

誇りという香りがなければ、後悔という人生の苦みを消すことは出来ない。


2015年11月20日金曜日

売れるには「イイ物」を作る必要があるのは確かだが

先日、IT系企業の比較について本ブログに投稿したところ、またまた、こんな見方に遭遇した。本当に、多いのだな、こういう考え方は。

タイトルは『スパコンの研究開発費は「浪費」ではなく「投資」 行き過ぎた「仕分け」に注意』という。

冒頭に相当の迫力がある。
日本の技術力の高さを証明する結果が出た。
理化学研究所は18日、スーパーコンピュータ(スパコン)のビッグデータ処理(大規模グラフ解析)性能を競う国際ランキング「Graph500」で、理研のスパコン「京」が1位になったと発表した。7月に続き、2期連続の快挙となる。
(出所)The Liberty Web, 2015-11-19

プロダクト・アウトというハイブラウな用語を使うまでもない。よくあるよね、こういう言い方、である。



この1年で何度『日本の技術力』というキーワードを見たり、聞いたりしたことだろう。もう数えきれない。

技術力がいま日本の誇るべき『お家芸』なのだろう。

技術力は高いにこしたことはない。

しかし、技術力=イイ物をつくる力。そう考えるなら、これは問題だ。

実際には、悪いものが売れて、イイ物が売れないケースは、数えきれないほどある。それは、イイには違いないが、高すぎて勿体なく、その割には使い道に乏しいからだ。イイ物は、しばしば役には立たないがイイのだ、な。小生もそんな感性は好きだが、健全な感覚でもないことは自覚している。イイ物は、イイが故に、それ故にこそ「浪費」であることも大変多いと感じているのだ、な。

小生、へそ曲がりである。イイ物偏重は不健全であると断言したい。


昨日の野球・日韓戦の試合後に韓国のキム監督が言ったそうだ。『強者が弱者に負けることもある』、と。

イイ物だとアピールすることは悪い事ではない。しかし、使ってみて『確かにイイ物だ』と言ってもらうことが最終目的だろう。だとすれば、まず使ってもらうことが先に来る。使い続けてもらうことが最も大事だ。これは時代や国を超える真実である。

イイ物、イイ人、イイ施設、イイ場所・・・、イイのに消えていくものは余りに多い。『劣ってあれる(=can be low and poor)』ということが勝利の一因になることがある。

2015年11月18日水曜日

テロリズムと敵対する周辺列国の戦術は?

「イスラム国(IS)」のテロが世界を震撼させている。

武器の取引市場に容易にアクセスできる状況は、大国による直接統治も困難にし、かといっていかなる形の自律的統治も難しいかろう。そもそも「国民」という意識を超えるローカリズムが広く蔓延しているようだ。


第一次大戦でオスマントルコ帝国が倒壊してから以後、100年という長い年月がたった。かつては「世界を支配した」イスラム社会は、中東全域にわたる覇権を失い、経済的富を欧米に奪われ、名誉とプライドを失い、文明的な劣位に没落し、群小国家に粒状化する中でオイルマネーだけが頼りの漂流を続けてきたような印象がある。

まあ、これも第一次大戦と粗雑な戦後処理の副産物であると言い切ってしまえば、かなりの部分は当たっているのかもしれない。かつての行いの結果として引き受けるべき結果をいま引き受けている、と。欧米に対して冷たい批評をするならそんな風に言えるのかもしれない。

要は、Divide and Rule、なのだから。


しかしながら、もう欧州には支配を裏付けるカネがあるまい。ロシアにもカネはあるまい。長期にわたって軍を動かす力は周辺の「列国」にもはやなく、続ければ破綻するのは「列国」のほうであるのは分かり切ったことだ。

他方、テロリズムを実行する側は、安く調達できる人間を利用した低コストの勢力である。

速戦即決を求めるのは、原則としては劣勢にある側なのであるが、テロ集団とむきあう国家にあっては、むしろ国家の側に早く結果を出そうとする誘因がある。

故に、使用する武力レベルを上げる誘因をもつ。その極限には戦術核がある。その使用を思いとどまっているのは、ただただパンドラの箱を開ける恐怖があるからに過ぎない。


もしも欧州にギリシア問題がなければ、というかそもそも高度の福祉政策もなく、社会保障もなければ、国家は敵対する勢力に向かって大規模な遠征軍を派遣していただろう。

それが出来ないのは、成熟した市民社会がそこにあるからだ。市民社会の維持は高コストである。であるが故に、打撃に弱く、ヴァルネラブルであり、即時の行動をするには余りに硬直的だ。

ここにも対立や紛争に時間とカネを惜しむ速戦即決の誘因がうまれる。そして、目に見える結果を熱烈に求めているのは最初からテロ集団の側である。これも事実である。

いま「イスラム国(IS)]の収入源になっている石油精製設備に空襲のターゲットを移しつつあるときく。

となれば、敵対する双方が持久戦を選ぶ経済的条件を失うことになる。

想定を超える殲滅戦が発生する可能性が高まっているとみる。しかし、片方は「国家」ではない。粒状化し、散在化した人間集団であり、意識を共有する「プレ国家(Urstaat)」のような共生存在だ。

そこには瓦解はなく、絶滅があるのみだろう。

問題は「その後」である。


4世紀から5世紀にかけてキリスト教がローマ帝国の国教になる段階において既にイエス・キリストの人性と神性をどう考えるかで宗教的対立が生まれていた。東ローマ帝国による宗教政策、東西ローマ帝国の力のバランスの背景にはキリスト教内部の正統派と異端派の対立があり、その対立の根源はイエスは人であるか、神であるかという問いかけにあった。

選択肢としては、イエスは人である、あるいはイエスは人であり神である、もしくはイエスは神である。この三択なのであるが、これに各主教管区の対立が絡まって、5世紀から6世紀のローマ帝国域内は混迷を深めていた。いわゆる宗教会議の決議に対して反乱を起こしたのがエジプト、シリアである。神学論争が民族的対立に転化したきっかけとなった。6世紀の東ローマ帝国を治めた名君ユスティニアヌスも宗教政策には苦悩し、その果てにエジプト、シリア、パレスチナの住民は7世紀になってキリスト教異端派に寛大であり、教義的にも受け入れやすいマホメットの下に集まるに至った。

宗教政策の失敗からキリスト教異端派がイスラム教にメタモルフォーゼし、そこからサラセン帝国が成長し、旧ローマ世界が別の世界になったのだが、最初の混乱から結末が見えてくるまでに約300年かかっている。

イスラム国家が倒壊してちょうど100年。

現代世界における宗教政策の行く末はまだまだ先が見えない。


2015年11月17日火曜日

iPhone4sの後釜を何に?

今使っているiPhone4sが大分ヘタれてきたので機種更新しようと思案している。

最初はiPhone5-いまでは6になったが-を考えていたが、三年前とは違って今ではもうAppleの製品を持つことにさしたる興奮、というか新鮮味を感じなくなってしまった。ともかく高速で、安くて、便利なもの。選択基準はひたすらこの三点につきるようになった。

とすれば、Androidであろう。既にタブレットはiPadからAndroid仕様のRegzaに乗り換えている。


SONYの"Xperia Z5"に(半ば)決めていた。ズバリ音質である。それと、おサイフケータイの利用者ではなかったが、使えるという点は中々よい。使ってもいい。

ところが使用中のソフトバンクからGoogle Nexus 6Pが出ることになった。製造は中国のHuawei(華為技術)だ。

緊急速報メールもおサイフケータイもワンセグもないが、RAMが3GB、CPUがオクタコア(2.0GHz×4+1.5GHz×4)なのでExperia Z5と全く同じ。更に、Huaweiは防水防塵でもなく、カメラの解像度も半分だ。

なので商品としては明らかにSONYのほうが満足度、というより設計仕様が高い。が、Huaweiの低付加価値とは即ち負荷が小さいということでもある。自動車でいえば、2500ccの高馬力エンジンに小型で粗末な軽量ボディを乗せて走るようなものだ。これはこれで別の満足度を与えるはずだ。

価格、機能をすべてそぎ落とした同等ハードウェアをとるか、付加価値を様々織り込んだ国内メーカー品をとるか、である。

このところ、小生も老眼が進んでタブレットの利用頻度の方が高い。何より手書きの計算用紙の代わりになる。カメラにもスキャナーにも使える。新聞を読むのも画面が大きくて楽だ。スマホは通話で手に取るときを除けばケースにしまいっぱなしだが、タブレットは常に手に持っていじっている。そんな風なので、いまはHuawei製の低価格スマホに転ぶ寸前なのだ。

日経の経済教室『家電、低価格帯でも勝負を』(長内厚)でも述べられている。
 小米は低価格端末を売りにしており、ソニーやサムスンのように高価格帯の先頭集団に入れるわけではないので、ソニーの高価格ラインと競合するわけではない。
 ソニーの業績悪化の要因は、小米と重なる低価格帯市場での失敗であって、高価格帯は日本や欧州などで好調である。
 確かにSONYの高価格帯商品には魅力がある。しかし、思い切ってシンプルな設計にした低価格帯商品にも魅力があるのも事実である。

2015年11月16日月曜日

ビッグデータビジネス ‐最近目立って元気のいい企業

一度本ブログにも書いたような記憶があるのだが「ビッグデータ・ビジネス」のことだ。

Googleアラートに「ビッグデータ」を登録している。毎日、10件前後の情報が届く。日によっては同じ分量の情報が2,3回届くこともある。

それだけ世間の関心を集めているわけで、関心だけにとどまらず、現実に進行中であるビジネスがビッグデータ・ビジネスであることを実感する。


ところが、集まってくる情報の中に何度も登場する企業名もあれば、頻繁に耳にする企業と同じ業界でありながら、ほとんど音なしの構えである企業もある。単なるめぐり合わせかもしれないが、やはりこのような違いは経営実態面での何らかの違いを反映しているような気もするのだな。

ズバリ、この最近で目だって元気がいいのはNECである。この1,2ヶ月だけでも何度もNECの名を目にしてきた。


他にもある。。

  • 顧客の怒りをAIが判別 NEC、コールセンター向け
  • NEC、自社基幹システムのプラットフォーム全面刷新で経営データの処理基盤に「SAP HANA」を採用

次の報道は小生が担当している授業でも引き合いに出した。


実に多様である。それに何をどうするかという内容が具体的だ。どうやら「人工知能」が将来の戦略的ベクトルだと認識している点が明瞭に伝わってくる。

日立もマアマアの頻度で目にする機会が多い。たとえば、ごく最近も次のような情報があった。

  • 自動運転市場2割占有狙う 日立が試作車 中堅メーカーに「心臓部」提供 車版インテルへ
  • 日立、ビッグデータの高速分析を可能にするオールフラッシュアレイを発売
  • 社会インフラの将来予測をビッグデータで--SAP、日立、ESRIの3社
  • 日立、人工知能で業務データを分析して業績改善案を作成するサービス。
ソーシャルな大所を押さえてしまおうという戦略がにじみ出ている。

ところが、「富士通」という企業名を聞くことはメッキリ少ない。最近届いた情報をさかのぼってみても以下のような項目があがるばかりだ。
  • ビッグデータ活用を目指す富士通のセンサーシューズ
  • デジタル革新に挑む富士通、新たなIoT基盤や人工知能も
  • 富士通、ビッグデータ分析サービスを従来比30倍に
  • 「京」の技術でビッグデータ解析
富士通といえばスーパーコンピューターの「京」であるのは、IT技術に関心のある人なら誰でも知っている。日本政府、理研も加わった国家プロジェクたる「日の丸スーパーコン」である。とところが政府内でもスーパーコンピューター技術をどうするかは議論が進行中であり、必ずしも追い風が吹いているわけではない。数年前の民主党政権下で実施した仕分け会議で『1位でなければいけないのですか?』と、あからさまに突っ込まれてしまったのは耳に新しい。この指摘は世評が悪いようだが、(実は)数値計算専門家ですら『京でなければ計算ができないという計算は想像しづらい』と言われている。サーバーに使うにも使いづらい。サーバー仕様の商品に転用してもいいが、えらく高コスト体質のネットワークになるのではないか。Googleが「京」を使っているとは聞いたことがない。よくいえば「演算サーバー」、先端的に形容すれば「画像等ビッグデータ分析処理サーバー」辺りの役割を担うのだろうが、本当に「京」をサーバー運用しても大丈夫なのだろうか。もし(万が一)見栄と面子で継続しているならその戦略的目的を再定義するべき時機にさしかかっている…、そう思われるのだな。

その「京」を除くと、センサーシューズとIoTに関する一般論である。

同社はこれから何を作って勝負していくのだろうか?

Googleが研究開発中の自動運転技術は決して侮れない。地図情報+機械学習+人工知能は近々立ち上がるだろう無人配車サービスのソフト・インフラになるだろうといわれている。今回トヨタがシリコンバレーに人工知能研究所を設置する決定をしたのもその辺りに着目してのことだろう。

日本のIT企業の経営戦略が現実の結果として現れてくるのもそう遠い先ではあるまい。

2015年11月13日金曜日

汚職の臨界点というのはあるのか?

小生が暮らす北海道では、冬の降雪を間近にして飲酒運転根絶に道警など関係機関が力コブを入れようとしたその矢先、砂川警察署員が二日酔いによる酒気帯び運転で書類送検されることになったよし。同警察署ではこの6月にも署員が飲酒運転事故を起こしており、大変な衝撃を受けているらしい。

もちろんマスメディアは『とんでもない失態であり、警察に対する信頼性が地に堕ちたと言っても過言ではない』と、まあこんな風な話しぶり、書きぶりであった。

思うのだが、こういう警察官による不祥事は、どんな理想社会でもゼロにはならないと思うのだが、何か臨界点、というかこれ以上の公務員不祥事が継続的に発生すれば、政府に対する信頼性が致命的に毀損され、社会が無法状態へとシフトしていく。そんなクリティカル・ポイントのような水準はあるのだろうか?

少し考えれば、警察官の不祥事がまったく報道されない社会は、不祥事がない社会を意味するわけではなく、政府が不祥事を隠蔽できる国であることを意味する。そのくらいは誰でも理解できることである。

戦前の帝国陸海軍でも不祥事は山のようにあったときく。参謀本部の高級課員の子弟がちょっとした犯罪に手を染めてしまったこともあったときく。しかし、それらは基本的に軍部の意向で報道されることはまずなかったと聞いたことがあった。

そこで<汚職 信頼性 臨界値>をキーワードにしてググると、いやあ、出てきました。出てくるものだネエ……。とっくに総務省の官房企画課がワーキンググループを設けて研究し、レポートを平成22年3月に公表していたのだな。タイトルは『行政の信頼性確保、向上方策に関する調査研究報告書』という。

その中にこういう下りがある。
この文脈で、行政には「適度の不信が必要」で、その方が民主主義には望ましい、とい う主張(Newton, 2008)にも注目しておこう。この主張の視線は安心部分を指しており、適 度の不信が監視を動機づけることを意味していると解釈すべきだろう。一方で狭義の信頼 部分で不信が増大することは、広義の信頼の全体像にとって大きな打撃となる。プロフェ ッショナルとしての倫理性を疑われる行政官というのはその例である。(資料21ページから引用)
フ~ム、行政には適度の不信が必要である…、正しく、かつありうべき洞察だ。最後の方にある「行政官」とは、「官僚集団」と言い換えても可であるし、「警察組織」に置き換えても意味はとおる。

汚職の臨界点を直接的・実証的に研究しているレポートではないが、こういう問題意識がとっくの昔に政府部内で議論されていることは評価しても良いのではないか。そう感じた次第。



2015年11月12日木曜日

確かに合理的だが本質を外しているビジネスプラン?

日経に報道されている除染のためのビッグデータビジネス。これはどうなのだろう?

奥村組と伊藤忠テクノソリューションズ(東京都千代田区)は、膨大な数の除染土のうを、安全に効率良く運搬するために有効な「輸送統合管理システム」を共同で開発した。物流や施工、原価、作業員の被ばく線量などの大量のデータを一元管理して、活用する。例えば、最適な運搬の順序や最短ルートの選定が可能になる。 
 同システムの特徴は大きく三つに分かれる。 
一つが、土のうの数量や放射線量の管理だ。土のうごとに、その中身や詰め込んだ場所、発する放射線量などの情報を記録したタグを貼り付ける。搬出時にリーダーで読み取ればデータを自動収集できる。土のうの正確な数量や放射線量を把握して、トレーサビリティーを確実にする。 
 二つめが、被ばく線量の管理だ。作業員全員にGPS(全地球測位システム)機能付きの線量計を携帯させる。作業員の被ばく線量が上限を超えないように、位置情報や作業時間を常時監視する。 
 最後が最適な輸送計画の提案だ。搬出場所や搬出する時間帯、運行ルート、車両の必要台数などの最適解を算出。工期短縮につながる。
(出所)日経コンストラクション、2015年11月12日

ヤレヤレ、結局は生産側の都合で提案されるビジネスプランか、と。

まずは生活空間にそうした除染作業合理化を必要とするほどの放射性物質がある。この問題解決のためのビジネスプランが先にあって、そのサブプランとして上の発案があるべきなのではないか。

まあ、自然に考えて、そういう最適化されたグランド・ストラテジーが先に確立されているのに違いない、と。小生は勝手にそう憶測するのだが、それならば報道の中でも『推進中の▲▲計画を更に合理的に進めるために民間サイドで提案されているものである』と、たとえばこんな風に述べるべきだったろう。

実は、こんな感覚にたった指摘が欧州でも為されている。Financial Timesだ。日経を通して邦訳されているので引用しておきたい。ドイツ発のVWスキャンダルに関連する。

フォルクスワーゲン(VW)のスキャンダルにおいて最もおぞましい振る舞いは、同社ではなくドイツやその他欧州諸国の政府のそれかもしれない。各国政府はVWや他の自動車メーカーが目標を達成するためにもう不正を働かなくて済むよう、規則の緩和を追求しているのだ。 
(中略) 
 EUの原型となった欧州石炭鉄鋼共同体は生産者のカルテルとして創設され、そのカルテルは今なお現代のEUの遺伝子に組み込まれている。今回のエピソードが我々に教えてくれるのは、欧州単一市場で特定産業の狭い利益がその他すべてに勝る度合いだ。

 欧州経済の他の分野でも同じ傾向が作用している。EUが金融の単一市場を創設したとき、人々が国境を越えて銀行に預金できる、あるいはEU内に拠点を置くどの金融機関からも住宅ローンや消費者金融を受けることができる市場を作ったわけではない。創設したのは、銀行がホールセール業務を集中させられる市場だ。 
 単一市場がもたらしたマクロ経済的な影響――例えば域内全体の生産性や国内総生産(GDP)に与えるインパクト――が事実上ゼロだったのは、このためではないかと筆者は考えている。EUの閣僚や政府関係者が各国の規則を調和させるために集まるとき、彼らは経済が究極的にその利益に資するはずの市民――そして、公害のせいで死ぬ危険にさらされる人たち――のことをあまり考えていない。問題は経済でもない。

 唯一重視されるのは、生産者の利益だけだ。VWの一件のように問題の企業が繰り返し不正を働いたことが分かった場合でさえ、そうなのだ。
(出所)日本経済新聞、2015年11月10日


偽装や欺瞞は、そうせざるをえない程の締め付けがあったわけだから、その締め付けを緩めてやれば、企業も不正を働く動機をもたなくなる……。ま、こういうロジックであるな。それがいかんというわけだ。

★ ★ ★

提案される「ビジネスプラン」は、すべて企業利益に貢献するからこそ発案されるわけであって、「生産者の利益」が唯一重視されているとしても、理屈から考えれば当たり前すぎるほど当然のことである。

だからこそ、ソーシャル・ビジネスが有望な分野として成長しなければならないのであるし、小生が勤務しているところでも、ごくごく例外的な科目ながら「パブリック・マネジメント」などという授業があったりする。

ビジネススクールとともに行政学院が専門教育機関として確立されなければならない所以なのだが、不幸にして日本国内の専門職大学院としての「公共政策大学院」は、そのほとんどが『何故そこにあるのか?』、『何をどう教育しているのか?』、『官公庁エリート職員に対するエグゼクティブセミナーはどの程度の頻度で実施されているのか?』等々、小生からみれば対岸のことながら、いまだ姿が見えない、実にミステリアスな教育機関にとどまっているのだ。


2015年11月10日火曜日

議長が市長ではまずいのか

小生が暮らしている北海道では、特に日本海側では、冬の雪をどう問題解決するかが最大の鍵である。

拙宅のある区域では今冬の除雪業者がまだ決まっていない。というのは、市の除雪請負入札に応じるための条件が変更されたことに業者サイドの準備が間に合わなかったためである。そして、その応札条件の厳格化は現市長の急な意向だと伝えられているのだな。

雪が降ればスポット契約で除雪を依頼するようだ。大混乱に陥ることはない。とはいえ、いかなる問題を解決しようとして、今回の一時的混乱を覚悟したのか。その辺の思いがさっぱり伝わってこない。

組織、業務のマネジメントとしては失敗しているし、理念を示したいのであれば、コミュニケーション力が不十分である。

× × ×

時々、大学の授業を担当するのと、市の行政トップになるのと、いずれが難しい仕事だろうか。こんな下らない問題を頭の体操とするときがある。

大学の授業には学習指導要領はない。各自自分で考えて自由にシラバスを書いているはずだ。学部や学科による制約もそれほど強くはない。

自由ではあるが、しかし、責任は(基本的に)一人で負う。

担当する以上、体調不良で授業が困難になっても、そうそう交代要員がいるわけではない。以前在籍していた同僚は、授業の合間に大病の手術をして ― 1、2回の授業は補講期間にシフトしたという記憶もあるが ― 退院してから授業に穴をあけることもなく全回を全うしたものである。そんなリスクもあるのだが、それでも大学という職場は組織への同調圧力がそれほど厳しくもなく、自らの仕事の品質を向上させたいと思えば、自分の努力さえ惜しまなければ可能である。故に、やりがいもあると言える。

こんな業態であっても、任用は公募が原則であり、応募には学位、論文等の実績が求められ、最終段階では選考委員会による面談、模擬授業の評価などもある。単に『いい人らしいから』といって選挙で選ばれているわけではない。着任後の研究計画も大事な材料だが、それまでの実績も能力を証明するものとして同じく重要なのだ。

× × ×

あれもしたい、これもしたいというのでは、地方行政は無理であろう。それは誰でもわかっていることだ。

誠実な人物であれば、やりたいことがあれば、地位に就いてからも着実に努力を重ねていくであろう。しかし、組織、住民を相手にする仕事を推進するためには、自分の意見は別として、他者と協力しなければ、実行できないことが多い。

トップは確かに理念を示す立場にある。新しい戦略を実行できる立場にある。しかし、新しい戦略は、新たな組織に裏付けられなければ実行できないものだ。そして組織は人に支えられる。やはり『ヒトは城、ヒトは石垣、ヒトは堀』なのである。理解の共有がなければ、トップの理想も全てが絵に描いた餅で終わる。

すべて、言うは易く、行うは難し、なのだ。

小生が暮らす町の現状をみていると、いわゆる「首相公選制」。本当に大丈夫なのかと感じるのだ、な。

多数の国会議員の目で評価されることで、はじめて内閣を率いる総理大臣を目指すことが可能になる。いまの議院内閣制は、時に「四分の一の国民の支持で首相になれる」などと揶揄されることもあるが ― 統計理論的には全くの勘違いなのであるが ― それでも以前の▲▲都知事のようなトンデモナイ問題物件を間違ってトップに据える。そんな事態だけは防止できる。

地方行政はそれでなくとも人材が空洞化している。

自治体などは議会の議長がそのまま自治体の長を兼ねる。それでもいいじゃあないか。そうすれば、成り行きによっては自分が選んだ人が市長になるかもしれない、そう思えば市議会選挙も真面目に投票するだろう。そんな風にもしきりと思われる今日この頃でござんす。

ま、こうなれば議会開催時の座席配置やら何やらを一新しなければならないだろうが。その時は市役所トップが事務方の責任者になるのか…、部長クラスに議員がなるのか…、民選以外の議員枠を市役所OBに割り当てるか……。いや全く面倒だ、今日はこの辺で。

2015年11月8日日曜日

十数年ぶりのミュージカル"CATS"

知り合いの娘さんが泥棒猫の役で出演しているというので隣町までミュージカル『キャッツ』を見にカミさんと二人で出かけた。チケットは知人にとってもらったので7列目でかなり良い席であった。

小生が初めてキャッツをみたのは、その昔、まだ小役人で円借款の仕事をしていた時分、向かいの席に座っていた同年配の銀行マンと二人でいったときである。上の愚息が生まれた前後であったので、多分もう30年も前になるか・・・。当時はフィリピンのマルコス大統領が亡命して、長期政権が崩壊した直後であったので、仕事らしい仕事はなく多分モヤモヤした気分をリフレッシュしたいという雰囲気があったのだろうが、それにしてもキャッツをいい年をした男が二人きりでねえ…、『おかしいですよ』とさんざん笑われたものだった。

筋も何も知らずに、ただ評判であったので行きましょうと急に思い立って行ったものだから、休憩までの前半は訳が分からなかったよなあ。『なんだか踊って歌ってるだけみたいですね』、『多分、最後に出てきた乞食猫がカギになるんでしょうね』などと言いつつ、それでも終わると大変満足したから不思議なものだ。

マジシャン猫のミストフェリーズを演じたのは、(まだ)飯野おさみだったと思う。乞食猫のグリザベラが誰であったか、思い出せない。久野綾希子ではなかったことは覚えているのだが。カミさんは野村怜子だったのじゃないのと聞くのだが、美声すぎる彼女は確か白猫のビクトリアではなかったかなあと記憶しているのだな。

まあ、何にしても昔のことである。日生劇場だったかねえ、観たのは。いや待てよ…、浜松町の近くにキャッツシアターがあったかな、ウ~ン、思い出せない。あれから、マジシャン猫は市村正親が踊るようになって、その頃には二人の愚息もしっかりしてきたので、家族四人で何度か見に行った。が、子どもたちが成長するにつれて一緒に家族で、ということはなくなっていた。昨日は久方ぶりにカミさんと二人で行ったわけだ。

初めて観たときから数えると何代目の猫になるのかなあ・・・と。ウタタ感慨を催した次第。
僧朝顔 幾死に返る 法の松
状況は違うが、芭蕉が大和・当麻寺で詠んだ名句を思い出す。

それにしても四季の「キャッツ」は海賊猫Growltigerが歌う不滅の名曲"Ballad of Billy McCaw"を入れていない。この点だけは変わっていない。「ラストスタンド」だけじゃあキャラクターが伝わってこないのがとても残念。

帰り、ビックカメラに寄ってアイラモルトのラフロイグ(Laphroaig)のセレクトカスクを買い求める - ウィスキーを買うのにカメラ屋に寄るのも珍妙だが、これが当地の事情のようである。

2015年11月5日木曜日

進化する海外の無料データベースサービス

米国のFED, St.Louisが運営しているマクロ経済データベースサービス"FRED"は頻繁に愛用しているサイトの内の一つである。

今度、FREDで描画してくれるグラフ -このグラフ作成機能が半端でないくらい優れているのだが- が、ダイレクトにパワーポイントの1スライドとしてダウンロード可能になった。説明はここにある。大変わかりやすい。

これは授業の教材を作成している時など、非常に楽である。

スクリーンショットをとって、ペイントでトリミングして、画像解像度のサイズ合わせをして・・・などという手順が省けるので時間効率的である。

アメリカ人が「効率化」というものにかける情熱は本当に本気なのだなあ、と感じる一例である。日本の風土になれた人たちは、「手間暇を惜しむことのない真面目な」姿勢に、過剰に高い評価を与えているような気もする。自然に高コスト体質なのだ、な。

ま、こんなことを言うと『丁寧に手間暇をかけることが間違っていると言うのですか?』と、にらみつけられて叱られそうであるが……。ま、クワバラ,クワバラというところかな。




こんなグラフが一発で挿入可能になる。アメリカの実質GDPの前年比である。そして、すべてフリー(無料)である。運営コストはアメリカの先方負担だ。その恩恵は日本在住の一介の研究者が受けているのに、である。

日本の民間企業、諸機関はこれほど太っ腹ではない。そもそもサービス向上と裏腹に増すはずのセキュリティ上のリスクに多くの人は敏感である。

ずっと昔から小生にとっての七不思議は、これほど日本人はリスクに敏感であるにもかかわらず、なぜ情報がすぐにリークしてしまうのか、である。セキュリティ意識が低いためであるとしか言えないのだが、ならばユーザー側の便宜を向上させることにもっと多くの時間と資源を投入してもいいではないか。少々のセキュリティ低下が見込まれても、サービスが高まり、使い勝手がよくなり、不特定ユーザー数が増えるのは、それ自体良いことだろう。

「日常業務」で忙殺されているのだろうか……。ならば、早く人工知能を活用したITサービスに置き換えることだ。日常のルーティンワークは人よりも機械の方が速くて正確である。そして安いはずだ。

2015年11月3日火曜日

メモ: 「ゼノンの逆説」と同値な命題とそもそもの矛盾

ジョーダン・エレンバーグの『データを正しく見るための数学的思考』(日経BP社)の第2章ではゼノンの逆説が話題になっている。ゼノンの逆説は色々な語られ方があるのだが、この本では以下のようである。
アイスクリーム屋に歩いて行くことにする。アイスクリーム屋に行こうとすれば、その中間点まで行かなければならない。そして、その中間点まで行ったとしても、残りの中間点まで行かなければならない。それができたとしても、また残りの距離の半分を進まなければならない。以下同様となる。アイスクリーム屋にどんどん近づいていくかもしれないが、どれだけこの手順を踏んでも、アイスクリーム屋に達することはない。
ゼノンの逆説自体はずっと昔から知っているが読んでいるうちに面白い話ができることに気がついた。ありきたりだがメモしておく。


この命題を時間軸で言い換えると次のようになる。

上の命題では、アイスクリーム屋までの中間点までは行けると認めているように読みとれる。しかしこれは誤りである。仮に、中間点までの到達時間をT秒とする。すると、着いた中間点から残りの中間点につくまでの時間はT秒の$1/2$である。さらに、残りの中間点までの時間はT秒の$1/4$である。これらの時間を合計すると
$$
\left( 1 + \frac{1}{2} + \frac{1}{4} + \cdots \right) \times T
$$
になる。上の式の分数部分は、ちょうど一本のテープの半分を切り捨て、次に残りの半分を切り捨て、さらに残りの半分を切り捨てていったときに、合計ではどれだけのテープを捨てるのかを求める式である。捨てるテープの量が一本を超えることはないのは明らかである。故に、上の式の答えがT秒の2倍を超えることはない。だからアイスクリーム屋には必ず到着する。こういう結論になる。

しかし、この結論は最初の命題と矛盾する。だから最初の命題が真であるには、「最初の中間点に着くことはない」と前提しなければならない。では、道のりの半分の地点までの中間点につくかといえば、それを認めるわけにもいかない。着くならT秒で着くと言わなければならないからだ。すると最初の中間点には$2 \times T$秒で着くことになるので結局アイスクリーム屋に到着する。だから中間点までの中間点にも到着しない。以下同様に続けると、いかなる中間点にも到着しない。故に、現地点から別の場所に移動することは不可能であると前提しなければならない。


故に、ゼノンの逆説『アイスクリーム屋には達しない』という命題には、『ある場所から別の場所に移動することは不可能である』という運動不可能の公理が含まれている。

にもかかわらず、ゼノンの逆説はアイスクリーム屋に行くという論題を考えている。この問題提起そのものが既に論理的な矛盾である。


2015年11月2日月曜日

天候データ → マネーの時代か

こんな記事がある。
IBM confirmed today that it will acquire the digital assets of the Weather Company, the corporate parent of the Weather Channel and Weather.com. Terms of the acquisition were not disclosed, but the deal includes essentially all of the Weather Company’s assets other than the Weather Channel television station, including Weather.com, the Weather Channel mobile apps, the Weather Underground website and, perhaps most importantly, Weather Services International , a division that sells weather data to companies such as airlines and the insurance industry.
One possibility IBM has floated in the past is the correlation of retail sales trends with weather patterns to help companies make decisions.
The Weather Company and IBM may seem like an odd pairing at first, but IBM already has a partnership with the Weather Company to jointly sell its weather data services and incorporate that data into its cloud-based (no pun intended) Watson services. The acquisition will allow IBM the ability to take fuller advantage of the Weather Company’s data, plus control of a mobile app that’s installed on tens of millions of smart phones around the world.
Source:Wired, 2015-10-28, "IBM Is About to Become the Best Weather Forecaster Ever"

要するに、IBMの戦略商品である人工知能”Watson”を天候予測に応用して価値を創造していこうと。それほど天候予測が企業経営に大きな影響を与えているわけだ。

日本でも同じような取組がもう始まっている。

一般財団法人日本気象協会(本社:東京都豊島区、会長:繩野 克彦、以下「日本気象協会」)は、
天気予報で物流を変える「需要予測の精度向上・共有化による省エネ物流プロジェクト」(以下「本事業」)を実施しています。事業初年度である平成26年度の成果を用いて、参加企業の「冷やし中華つゆ」を事例に生産量を調整したところ、今年8月末時点で2割弱の在庫圧縮が確認できました。

 2年目となる平成27年度は、本事業に参加する民間企業が初年度から13社増え、22社となりました。また「人工知能」の研究機関の協力なども得て、幅広い品目でさらなる需要予測の精度向上に取り組むことで、廃棄や返品に伴って不要に発生している二酸化炭素(以下「二酸化炭素ロス」)の5%削減を目指します。なお、本事業は経済産業省の平成26、27年度の「次世代物流システム構築事業費補助金」(※1)の採択事業です。
(出所)PR TIMES-日本気象協会のプレスリリース、2015年10月26日

先週末には卒業年次生のワークショップがあったのだが、でるべくして出てきたのがビッグデータビジネスである。

それは上に引用したような天候ビッグデータの活用ではなかったが、それに近いものではあった。

小生はGoogle Alertに「ビッグデータ」を登録して最新情報を送信してもらっているが、それが毎日1回以上の頻度で届き、しかも一回当たりのアラートメールに含まれる情報件数が半端ではない。それほどにまで花開きつつある分野であるのだろうし、とにかくビッグデータ・ビジネスに遅れてはならないという日本政府の前のめりぶりが顕著でもあるのだ。

医療保健、流通、防災はビッグデータの三大応用分野であったのだが、最近、四つ目、五つ目の主戦場として観光産業、更には大学、予備校、職業訓練など教育産業が加わってきたようだ。

天候情報は流通にも防災にも観光にも関連する。データからカネを生み出すには花形分野であることは確かだ。

もうフリーの天気予報をTVで見ているだけじゃあ駄目だ。カネを払ってもっと高度の情報を入手しないとダメだ。そんな時代だということか……。修学旅行を企画している全国の高等学校もそのうち顧客になることだろう。

★ ★ ★

実は上の引用記事二本ともEvernoteに放り込んでおいたのを検索したものだ。Evernoteは、小生、とても気に入っていて、NASDAQに上場されれば早速にでも投資しようと思案してきたのである。

ところがCEOのフィル・リービン氏がこの7月に辞任して会長に祭り上げられてしまった。日経にはこんな風に書かれている。
【シリコンバレー=小川義也】クラウドサービス大手の米エバーノートは20日、米グーグル出身のクリス・オニール氏が27日付で最高経営責任者(CEO)に就任する人事を発表した。現CEOのフィル・リービン氏は会長に就任する。グーグルで10年近く営業畑を歩んできたオニール氏をトップに迎えて事業基盤を強化。将来の株式上場に備える。
(出所)日本経済新聞、2015年7月21日

ベンチャー企業も成功すれば営業プロフェッショナルに席を譲るか……。いまTBSで放映中の『下町ロケット』でも同じような話が進行中である。

モノづくりのプロと組織管理のプロは違うのだと言ってしまえばそれだけのことだが淋しいねえ。ちょうどあれか…、画家と画商の関係か。それにしても、またグーグルですか。