ずいぶん前に勤務先で学科長を勤めたとき、任期終了が近づくにつれて、在任中の雑用の多さに腹ふくれる思いがしていたものである。そうしたら、終了間際の3月末になって有珠山が噴火し新たな火口群が形成されてしまった。同僚からは『いやあ、火山まで噴火しましたねえ』と言われたものだ。
この4月に「特任」という身分にシフトした。役所や民間企業でいえば、「嘱託」のようなものだ。身分変化が近づくに伴い、今年は年明け後から色々な激動に見舞われ、弟の細君までがなくなった。これでもう何もないと思っていた矢先、昨日は何年目かのK記念日をカミさんと祝ったのだが、帰宅した夜に熊本県が群発的大地震に襲われた。
熊本城の石垣は数か所が崩落し、一部の櫓は倒壊するまで時間の問題であるようにも見える。阿蘇神社は全面的に倒壊した。さらに阿蘇山が小噴火した。震源地の分布は熊本県から大分県まで広い範囲に分布しており、今後、どのような進展をしていくのか気象庁にもよく分からないようである。
繰り返すパターンはあるものか。
理論モデルがあってデータからその妥当性を証明するという物理学スタイルとは反対の、データからみてとれるパターンから理論を構築するというスタイルを地球物理学や地震学、気象学などはとっていると推測するのだが、こういう分野ではビッグデータが寄与する度合いが高いのではないか。
ビッグデータ=漢方治療と喝破した企業経営者と話したことがあるが、確立された理論がない分野では<漢方>的発想に立って、予測をしたり、診断をしたりするしかないのではないか。だとすれば、災害については官民を問わず全てのデータをオープンデータにして共用するのが「知の形成」への近道だと思われる。
なぜそうなっているかは分からないが、とにかくこういうパターンが観察される。そんな発見でも役には立つものだ。どうしても、小生、職業柄かこうした発想が好きである。
というより、この種のビッグデータ分析にはIBMの人工知能・ワトソンが活躍しそうである。
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