身死して財(たから)残る事は、智者のせざるところなり。よからぬ物蓄へ置きたるもつたなく、よき物は、心をとめけむんとはかなし。こちたく多かる、まして口惜し。「我こそ得め」などいふ者どもありて、あとにあらそひたる、様(さま)あし。後は誰にと心ざすものあらば、生けらんうちにぞ譲るべき。朝夕なくてかなはざらん物こそあらめ、その外は何も持たでぞあらまほしき。
(口語訳)
死んだ後に財産が残る事は、知恵のある者のしないことである。よからぬ物を蓄え置いたのも見苦しく、いい物は、それに執着したのだと思うと情けなくなる。財産をやたら残すのは、まして残念だ。「私こそが手に入れよう」など言う者どもがあって、死んだ後に争っているのは、無様だ。死んだ後誰に譲ろうと心に思う相手がいるなら、生きているうちに譲るべきだ。朝夕必要な物はあってもよいが、その他は何も持たないでいたいものだ。
(出所)徒然草 現代語訳つき朗読|第百四十段
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報道では高層マンションの高層階には低層階よりも高い固定資産税率を課する方向になりそうだ。
近所の奥さんが視ているはずの今朝のワイドショーでも「それはそうですよ!」という意見が多いようだ。
何と言っても、「富裕層」よりは「庶民」の方が人数では圧倒的に多い。これは国を問わず、時代を問わず、まず当てはまっている事実だ。他方、その社会の経済的発展を「演出」してきたのは、富裕層であり(事業が成功したからこそ富裕になった)、その事業に「従業員」として協力してきたのが多くの庶民である。
ではあるのだが、高層階向けのエレベーターに乗る人を見ると「腹が立ちますね」というコメントがTVから聞こえてきたのは面白い。感性的になんとなく共感できる自分がいるのに気づいているのが情けない。
そういえば先日の日経には『相続税逃れの海外移住に網』というタイトルで次の報道があった。
政府・与党は海外資産への相続課税を抜本的に見直す方針だ。相続人と被相続人が海外に5年超居住している場合、海外資産には相続税がかからないが、課税できるようにする。税逃れに歯止めをかける狙いだ。日本で一時的に働く外国人が死亡した場合、海外資産にも日本の相続税をかける現状も変える。
(出所)日本経済新聞、2016年10月21日
米欧では反・富裕層の意識、反・グローバル企業の意識が高まっている。特に「成功した企業」による節税・脱税への社会的反感が高まっている。
一言で言えば、形成された「富」の正当性に社会的な疑惑が生まれてきている。
反・自由資本主義がこれからの時代の潮流になっていくことがほぼ確実になってきたが、この方向にかけては米国よりも寧ろ日本の方がはるかに歴史があり、筋金入りともいえ、行政当局の経験もある。国民の姿勢・社会心理も寧ろ「反・経営者」、「親・社会主義」であるともいえ、さらにいえば「容共的」であるとさえもいえるのが日本社会ではあるまいか(実際、共産党への警戒感は現在の日本にほとんどない)。
日本の財政赤字と財政再建は、経済問題としてはそれほど破滅的なものではない。「日本の財政はもう絶望的だ」と真に日本人が考えているなら、国債相場が暴落する局面がもう何度も発生しているはずであるが、そんな兆候はない。日銀が国債を買っているからであるが、それが心配であるなら、円の現預金を早く手放して外貨や金を買っているはずだ。しかし、日本人が心配しているのは円高である。
財政問題を根拠にあげながら税制改革を進めるのは実は「行政戦略」であろう。そう思っている。
但し、所得課税、資産課税をリニューアルすることは、いま最もやるべきことである。これだけは同感する − 富裕層を「成功者」として、日本社会に貢献した人として尊敬するにしても、その家族を末代まで優遇する必要はないだろう。
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『徒然草』が書かれたのは鎌倉幕府が滅亡するかしないかという14世紀初めという時代である。
時代を問わず、富を残したいという行為の恥ずかしさ、醜さが挙げられているのは、それが自然の人情だからだろう。
稼いだものは使った方がいい。配偶者は自分の人生の伴侶であったかもしれないが、親の資産は子供の財産ではない。これだけは明白なのだから。
まあ、夫婦二人が死んだ後、自分たちの財産がすべて国にとられるとすれば、子供達が財産分配で争うこともない。それもまた安心立命というものか・・・
以上、覚書きまで。