2017年2月12日日曜日

メモ: 偽善・フェイクニュース・民主主義のいま

日本の安倍首相と米国のトランプ大統領との泊りがけの交流もどうやら大過なく済んだようで(特に日本側では)安堵したような社会的雰囲気があるようだ。

そんな雰囲気はマスメディアから伝わってくるしか一般国民は知る由もないのだが、ではマスメディアはどうやって確定性の高い情報を入手しているのだろうか?この点を聞かれれば、小生だって「さあなあ・・・」と言わざるを得ない。おそらく『公式』の文書なり、陪席していた人と接触可能な人物から直接聞いた言葉がさらに伝わってくるとか、そんなあたりだろう。

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話は変わるが、文部科学省による「組織ぐるみ天下り斡旋事件」。ついに出てくるべき論評が世間に出てきている。
文部科学省での組織ぐるみの天下りの「発覚」を大きく報じる大手メディアにも違和感がある。今さら新事実のように書かれても、私には「そんなこと以前から知っていたではないか」と、感じられて仕方がないからである。
 今回の事件の発端は、高等教育局長が退任2カ月後、早稲田大の教授に再就職したことにあるという。しかし私のまわりをみても数年前、同じポストにいた人物が私立大の学長になって定年前に退職したし、このような類いの再就職は特に隠れてなされているわけでもない。文科省の記者クラブに所属して幹部職員と日頃接している記者たちが、こうした情報を知らなかったはずはないだろう。
 それを「在職中の求職活動が横行していた可能性がある」(1月23日付産経)などと、まるで初めて知る事実のように報ずるのはどうかと思うのだ。同20日付産経の「主張」は「教育をつかさどる官庁として恥を知るべきだ」と書いているが、この「官庁」に実質上は記者クラブも含まれているのではないかとまで思う。結局のところ、取材する側と取材される役人側とのなれ合いを強く感じるのである。記事は空々しく、今さらの一方的な批判も偽善めいていて心に響かないのだが、一般読者の方々はどう感じているのであろうか。
(出所)産経ニュース、2017年2月12日『新聞に喝!』 

「偽善」という言葉は本ブログにも頻出する言葉だ。そして偽善の増加は民主主義の退廃と表裏一体であると、小生は信じ込んでいるのだ、な。その偽善は、嫉妬が混じった正義の感情からにじみ出るものだとも考えている。

先日も投稿したように、「正しい」という規範を小生はあまり信じられないのだ。

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それにしても、昨今のマスメディア従事者の学力の衰えは実に目に余るものがある。

先日は、誰でも名前を知っている某ニュースキャスターが『プラザ合意で一転して円安になりましたね』とか(小生の聞き間違いかと思ったくらいだが)、「遡る」を「たどる」と読んだり、まあ特にTVというニュースメディアは時間との勝負なので間違っていたら後で謝ればいいと思っているのだろうが、とにかく基礎学力に不安を感じさせるような場面が増えてきた。現場で仕事をしている人たちは、毎月何冊くらいの本を読んで最新知識を補充しているのだろうか。

新聞社の方は大丈夫なのだろうか。考えてみれば、4年制大学の文系学部を出ただけで、あとは現場で勉強しながら記事を書いているのだろうと思われる。そもそも技術革新が加速し、国際関係も複雑化している政治・ビジネス・産業について何かの洞察を持てているのだろうか。報道対象をまともに理解できているのだろうかと不安に感じることは多い。

マスメディアにしろSNSにしろ、入手できる情報の半分はノイズで、全く内容空虚な伝聞、悪く言えば流言飛語であると思っておけば自分は安全なのだろうが、社会的にはエンプティな情報が実質的な影響を与えることがある。昨秋の米大統領選挙はその典型であった。

情報のフィルタリング・サービスを高精度で実行できる"Social Artificial Intelligence"が導入され、それらがネットワーク経由で統合され、接続される時代が到来するまでは、フェイク情報は容易に踊らされ、影響されやすい人間が判定せざるをえない。

国民の大半が無気力で政治に無関心な国なら何の問題もないだろうが、多くの国にとっては極めて危険な時代がやってきたものだ。

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