ま、どちらが優勢となるにせよ、国政では大した結果を残せなかった志も野心もある政治家が、「これではジリ貧だ」と、そう思って地方行政を舞台に選んで、何か大向こうを唸らせるようなテーマを探し出して勝負をかける、と。そんな風に歩んできた/歩もうとしている二人の勝負師の立ち回りだ、と。そうみれば、小池・佐々木小次郎が石原・伊藤一刀斎に勝負を挑んでいるのと大した違いはないねえ。
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小生の父親は、前にも投稿したことだが、ビジネス戦争の中で鬱病を患い寿命を縮めた人である。そんな父を約10年の間看病した母は(一言で言えば)傷痍軍人の妻のような人生を歩んだのだと今にして思うことがある。
カミさんの父は法学部在学中に学徒動員で中国戦線に送られたが、奇跡的に生還した人だった。戦後は、しかし、隠れ住むように四国・松山で家庭を守り、比較的若い年齢で職場の庭球試合をプレー中に発作を起こして急逝した。戦死を免れたものの、やはりビジネスの中で討ち死を遂げたとみれば、カミさんの母は戦争未亡人と似た立場にあったことになろうか。
どちらの女性も夫を見送って間もなく自らの人生を閉じることになったのは今なお不憫の念に耐えない。
しかし、多分、不幸ではなかったのだろうなあ、と。なんとなくそんな想像もするのだ。自分を実体よりも大きく見せたいと願う誇大妄想もなく、浮かれた世間の中で実に誠実に生きた。そんな人であれば、外観はどうであれ、内実は幸福に恵まれていたに違いない。そう思うのだな。
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南スーダンでいわゆる「武力衝突」があったそうだ。現地の自衛隊は日誌に「戦闘」と記載してあったという。
戦闘といえば憲法違反になる可能性が高い。だから、起こったことは武力衝突である。稲田防衛相は国会でそう答弁しているという報道だ。
多分、こんなやりとりが増えるだろうとは最初から分かっていたことだ。この件については何度も投稿しているが、いま最も当てはまるのはこれか。
現役の軍人がそう丸め込もうと苦心しているならまだ理解できるが、文官の(だからどうというわけではないが)女性の担当大臣が屁理屈のような言葉の遊戯を立法府で述べるとは、これ「不誠実」の典型だろう。
野心と志をもっているが故に高潔に生きているというロジックはない。不誠実と欺瞞を繰り広げるモチベーションもまた志と野心である。
やはり「仕事」の場にあるのは「勝ち」と「負け」であって、幸福はそこにはないようだ。
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