こんな記事があった。
ニセコの活況を支えているのは世界的な「カネ余り」によって行われる富裕層の投資や消費だ。平日の東京都心を歩いていると、百貨店など商業施設や飲食店も含め、小奇麗でブランド物で着飾ったミドル・シニアだけでなくむしろ20代から40代の若い男女で溢れている。
(中略)
以前から一定数は存在しているものの、退職者や年金受給者のシニア層に加え、会社員然とした働き方ではない、起業や不動産収入、金融資産運用などで悠々自適に生活できる層が増えているのだ。
Source: PRESIDNT Online
Date: 2026-05-23
読んでいて自ずから伝わってきた現代社会観、というか勤労観、いやいや少し考えてから思い出したのは、ずっと前に愛読していたアイザック・アシモフの短編ミステリー集『黒後家蜘蛛の会』。レギュラー・メンバーである"The Black Widowers"がその月に招待したゲストに先ず発する質問を連想したのだ。
どんな台詞であったか忘れたので、ChatGPTに質問してみたが、回答はどうも違う感じがする。それでGoogleのGeminiに聞いてみると、「そうそう!確かそうだったヨ」という答えが返ってきた ― 分からないことがあれば、複数の友人に聞いてみるとよい。それと同じだ。
How do you justify your existence?
あなたは何をもってご自身の存在を正当となさいますか?
要するに、「あなたがこの社会で生きている存在意義は何だと思うか?」という質問である。いや、実にアメリカ人的で率直な質問だ。この質問をされて、流石にアメリカ人の成功組の人たちも困惑していたものだ。
それにしても《存在意義》ですか・・・・
小生は、学生に統計学を教えることでメシを食ってきた。 授業を受けた学生たちが人生を歩んでいくのに何か役に立つことを話しただろうかと言えば、多分、ほとんど役には立たなかったに違いない。現在、統計データの探索もデータ解析もAI(人工知能)に質問すれば、ほぼ100%正確な解答が得られるはずである。してみると、苦手な数学を思い出しながら、文系の学生が統計的推測や統計的仮設検定を苦心して理解する必要があったのか、今ではその必須性には疑問を感じている。
今は、暮らしているマンションの役員をやっている。が、それはボランティアである。社会的には価値を生んでいないということだ。というより、市場価値を持っている労働は管理会社から派遣されている有給のライフ・サポーターが担っており、無償の居住者役員は働いているわけではなく、掃除、洗濯に類似した消費生活の一部とみる。こう言えば正確だ。
統計学を教える前は、当てにならない経済分析や経済予測をやっていたから、そこでも社会のお役に立てていたのかというと疑問である。
つまり、小生は現代日本社会の最前線で現場の仕事をした経験は一度もない。黒後家蜘蛛の会に招かれて
あなたは何を以て自己の正当性を証明しますか?
と聞かれれば、多分、
具体的には思い当たりませんが、現に結果として生きているのは何かの正当性があるのでしょう。
と。そう答えるだろう。
最初に引用したような《勤労観》をもっている御仁からみれば、小生のような人間は「働かずして食っている連中」の一人であるに違いない。社会は、実際に汗をかき、体を動かし、疲労をもって一日を終えるような現場の人たちによって支えられている。
それは分かっている。とはいえ、小生には小生なりの《現場観》というのもある。それはついこの間も投稿した。
毎日3時間程度をPC画面の前に座って、マネーを左から右に動かし、それで何千億円の資産を築けるような「天才的投資家」が日本に次々に現れれば、いま平均的日本人が負担している税率や社会保険料率を仮に引き下げるとしても、それでも日本の財政は改善されるであろう。
ずっと以前にも投稿で述べた事でもあるのだが、
いま解決困難だとされている問題の9割は、実は世界に通用する起業者、投資家を日本が輩出できないでいる点に原因がある。つまりは《お金の問題》である。お金を増やすには、短く働いて、多く稼ぐ。それが出来る事を創める。それが出来るだけの知識を勉強して身につける。得た知識を応用する。これが出来る人が社会をリードする、というか結果としてリードする。
悠々自適できる日本人が増えれば増えるほど、日本は余裕ある国になっていく。小学生でも分かるロジックである。
そんな社会は問題だと指摘する思考回路は小生は再現できない。
幕末から明治維新にかけて、日本は富国強兵を目指した。日本を守るには先ずは《富国》が必要であることを、みな知っていたわけだ。このロジックは今も同じである。
何が「働く」ということか?そんな《勤労観》うんぬんというテーマは、現代日本の本筋の問題ではない。
仮に「社会主義」を採用しても現代日本の問題は解決できない ― というか、社会主義は旧・ソ連が失敗し、中国の北京政府もとっくの昔に放棄したモデルだ。憲法改正を一度たりとも行えず、刑事訴訟法の一部改正にすら苦労するような日本国が社会主義経済を運営できる可能性はゼロである。
この社会観はいまも変わらない。
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