オリジナルのURLはどこかにいって失念したが、こんな事件があったそうだ:
スーパーのレジで沢山の小銭で支払おうとしたお爺さんが、『小銭が多いなあ」という店員のボヤキに腹を立てて、買い物カゴを投げつけたらしい。それが運悪く店員の目(の付近?)に当たり、『これは暴力ですヨ。警察に通報しますから』となった。店長も駆けつけ周囲は騒然としたが、すぐに近くの交番からだろうか、巡査が駆け付けた。警察官の姿をみてお爺さん、途端にションボリとなり、促されて店員に謝罪をしたあと、警察官に連行されていった・・・
小生も小銭でやりとりするのは数えるのが面倒で嫌いだった。なので財布に小銭が溜まると『またクズ化したよ』と言いながら、我が家で『寄付バケツ』と呼んでいたのだが、小さなバケツ形の容器に投げ入れ、バケツが一杯になると郵便局に持参してUNICEFに寄付をするというのが長年の習慣だった。
最近はセルフレジで電子マネー支払いが新しい習慣になったので、上のような事件を知ると、何だか旧式な世代と最新の流儀だけしか知らない最新世代が溶け合わない今の世情がしのばれて、同情と淋しさとが入り混じった気分になる。
それに加えて、こんな事にも現場の管理責任者である店長を飛び越えて、警察官が《加害者》を連行していくのか、と。こちらの方に、より強い諦めと絶望に似たような感情が起こってくるわけであります。
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小生の常識、というか生活感覚に沿って想像すると、多分、次のように進展する。
体躯隆々でいかにも乱暴そうな若衆ではなく、たかが(と言っては失礼だが)一人のお爺さんである。
買い物カゴを投げつけられた店員は
何をするんですか?乱暴は止めてください!
と先ずは怒る。
口の悪い若者であれば
何をしやがる、このジジイ!やる気か、てめえ!!
と怒鳴っても、周囲の客は店員を非難はするまい。
やがて店長と警備員がやって来て
お客様、どうぞ此方へ!さあ、こちらへ!!
と、腕をつかんで連れて行くであろう。騒動の現場はこれで元通りになる。
最後に、店員が周囲の客に向かって
乱暴な口をきいて申し訳ありませんでした。思わず腹がたって・・・
と言えば、多分、三々五々
あんなのもいるからネエ
とか
元気をお出しヨ
とか、声がかかり。それで騒ぎは完全に一件落着である。時間的には10分もかからないであろう。巡査の臨場など必要ない(はず)なのである。
お爺さんは
暴行障害で被害届を警察に出しましょうか?
と言われると、にわかに自らの粗忽を後悔し、治療費とお詫びの幾ばくかを負担することを了解するだろう。で、念書を一枚書かされて拇印を押す。
それで終わりになったろうし、むしろその位で終わらせるべき諍いであると、小生は感じる。
こんなことを書くと
暴行は法で裁くべきである
などと異論が聞こえてきそうだ。近年は頭の固い御仁が増えていて、実に暮らしにくくなって困る。そのうち幼稚園で子どもが他の子を押して怪我をさせた時にも巡査が駆け付ける時代になるかもしれない。
何が日常生活の範囲内で、何が法的に裁かれるべき犯罪であるかは、本来は普通の国民が決めるべき事で、そもそも国が正邪善悪を決める権利をもっているわけではない。
国や政府は、ただ法律をつくって、手続きとルーティンを定めているだけである。善悪の判断をするべき倫理を国家や政府は持っていない、というより持てる「心」が国家や政府にあるはずがないでしょう。
日本は後発・民主主義国で、決して本来の民主主義国ではない。こんな所にもそれが映っているように思っているのだ、ナ。
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江戸時代まで遡らなくとも、戦前と言う時代まで、ずっと日本人は喧嘩のやり方を知っていた。
大体、鉛筆削りなどという利器はなかったので、小学生から「切り出し 」という名の小刀をみな持っていたものだ。それでも子供同士が刃物をふるう「刃傷沙汰?」など聞いたこともなかった。要するに
喧嘩の仕方をみな知っていたのである。
兵役の義務があったので大人の男性で武器の使い方を熟知している人は隣近所にいたはずだ。銃剣、軍刀、拳銃、自動小銃を見ただけで怖がるなどという感覚ではなかった(と聞いている)。小刀、包丁、金ヅチ、巻き割りなどに使うナタ、オノなど、どの家にも多くの武器(?)を普通に置いていた。
便利になるということは、人を強くするのではなく、弱くするのである。「進歩」と言われるが、進歩とは反対の「退歩」も進んでいるのが、現代文明を全体としてみる時の客観状況だと思う。
二昔か三昔になるか分からないが、芥川龍之介や太宰治が生きた時代ならば、買い物かごが飛んできたくらいの事は「暴力」とは認識されなかったような気がする。お爺さんは巡査に連行されるほどのことはしていない。
まあ、落ち着いて、関係者で穏便に話し合ってください。
その位のことだろう、と。小生にはそんな感覚が残っている。
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いま警察官は武器を携帯している。普通の国民は、突き飛ばされるだけで反撃方法を知らないため、「暴行」の被害を訴える。だから武装警察がやってくる。
何だか腰に刀を差した《お侍さん》を頼りにする町人のようではないか。
鉛筆を削る小刀くらいは子供でも持つ。そもそも「棒切れ」ですら武器にはなる。武器で自衛をするのは当たり前だという時代が以前にはあった。今は反対に、日常生活からあらゆる暴力を追放する。ただ国家だけが刑罰という暴力的手段で人を制裁できる。
国家に勤務する者だけは武装できる。戦前という時代、陸海軍将校は、当然のこと、軍刀を帯することが出来た。警察官でなくとも内務省勤務の文官官僚もサーベルを帯する権利があった。
近代日本の《お侍さん》である。
喧嘩ができない現代日本人は、暴力、暴行に弱い。故に《お侍さん》を頼りにする。
そのうち、あらゆる公務員は《警棒》を帯する権利を持つかもしれない。あらゆる諍いに警棒を持った公務員が(身分証を提示しながら)割って入り、双方から供述をとり、警備当局に書類を出しておくことになるかもしれない。
かつての「一億総中流社会」は、階層化、身分化で溶け合わない階層に分離していき、現代の「士農工商社会」が再びやってくるかもしれない。
文系より理系が大事だよネ、食糧安全保障を考えれば農がもっと大事だよネ
というわけだ。
武器の不所持、家庭の内と外を問わず一切の暴行が禁止される社会は、制裁と懲罰を許される階層と制裁や懲罰を受ける階層とを分けるという社会的な結末に至るであろう・・・
そして、溶け合わない階層は、そもそも住いの地域も分かれて行くだろう。
明治初めの東京も(全国の城下町と同様に)武家屋敷と町屋は地理的に分かれていた ― 隅田川以東は次第に混ざり合って来ていたようだが。身分化、階層化は最後には地理的棲み分けとなって完成するのである。
そんな風に思って観ている所であります。
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