2013年8月12日月曜日

月曜日の話し(8/12)

昨晩、東京で両親の墓参りをすませ、その帰りに上野でおりて蓮玉庵で天セイロを食してから、上野の森美術館で自然展を見て帰った。

蓮玉庵に入って正面の壁に戦前期を思わせる旧店屋と店主一同がそろった家族写真が飾ってある。「いつ頃の写真ですか」と勘定をしながら聞くと「昭和2年です」という。そうか……、写っている人達は皆もうこの世にはおるまい―幼い娘は90余歳でまだ健在かもしれないが。すべて人というのは、ある限られた時間、身体という形を与えられて、この世の中に存在するだけである、自分がいない時間の方が遥かに永いのだと改めて意識する。

今度久しぶりに再会したポン友達と快食した横浜・中華街を描いた作品も展示されていた。その場で撮ってきたので、下に画像を残しておきたいと思う。


描いた人は神奈川県在住の只野さんという人だから、おそらく地元・横浜市の人ではあるまいか。制作した絵だけから、これを描いた人の年齢や顔だちを想像することは困難である。とはいえ、街の風景にたくさんの人物が自然ととけこんでいる。それも結構上品な雑踏風景である。都会生活になれ、幸せに暮らしている人じゃあないかと小生には思われる。

小生も昔は横浜に住み毎日の通勤列車では満員の乗客の一人となるのを当たり前に感じていた。その頃暮らしていた独身寮が昔と同じ佇まいでまだあったのは嬉しいことだった。


横浜・山手町4番地・独身寮

それにしても東京の猛暑は予想以上だ。いまではもう北海道の冷涼さに慣れてしまったのであちらには戻れまいと思う。


2013年8月10日土曜日

山手通りの喫茶店「エレーナ」再訪

東京に来ている。目的は両親の墓参と拙作が上野の森美術館の「自然を描く展」に入選したのでどんな感じになっているか確かめるためだ。アマチュアの出品先としては、サロン・ド・ボザール、一枚の絵が主催している日曜画家展、それと自然を描く展の三つが主であり、これまではボザール展に出していた。ところが主催団体が、このご時世もあって倒産してしまったのだな。で、今回初めて自然展に応募してみた。でもまあ、あれである、毎年の出品総数と入選数を比べると、2作出品した人は、よほどのことがない限りどちらかは入選するのじゃあないかとは思っている。

それで今年はお盆の時期に上京し、昨晩は学生時代からのポン友と横浜・中華街で食事をした。一度行った店であったが、8人兄弟が手分けをして3店舗を運営しているそうだ。親御さんは先年亡くなったそうだが、羨ましいものだ。

早めに品川からJRに乗って石川町で降り、待ち合わせの時刻が来るまで周辺を歩き回った。小生が、ずっと昔、しがない小役人をやり始めたとき、駅から歩いて10分の所にある独身寮に入っていた。駅裏の急坂を登ると、次第に海が見えてきて道の曲り口に漫画家・柳原良平氏宅が見えてくる。そこからもう一息で山手本通りに出る。左に少し歩いて、道を渡り、狭い下り道を下って、少し右に行くと独身寮がある。そんな記憶があるので坂を上って行ったのだが、すぐに息が切れてきた。昔は一気に5分以内で走るようにして上っていたのだが。それで独身寮はまだあるかと確かめるように歩いていくと、敷地内に草花や灌木が生い茂ってまるで違う佇まいになっていたが、往時とおなじ建物がそのままたっていた。何しろ一等地である。公務員の宿舎はずいぶん売却されたと聞いていたが、そうかあ、まだあったのか、結構住人はいるようだな、と。うたた感慨を覚えて元の山手通りに戻って行った次第。

山手通りに戻ると、道の向こう側に喫茶店「エレーナ」がある。店の窓から横浜港が一望できるので日曜には―当時は土曜日も半ドンであったが仕事があった―よく入って、窓際に座って一時間も二時間もいたところだ。とても懐かしい。待ち合わせの時間までそれほど余裕があるわけではないが、坂を上ったり下ったりして大汗をかいたので店に入る。年配のマスターがいる。アールグレイのアイスティーを頼む。はて、女の人が店をやっていたはずなんだが…、店内は昔とそれほどは違わないようだ。何しろ35年も前である。うん?店内にトールペイント風の作品がかかっており、"38th Anniversary"と書いてある。となると出来たばかりの頃に店を愛用していたことになるか…。海は昔はよく見えていたのだが、今は高層マンションが建ちならんで視界を遮っている。残念な景色だねえ…無粋だねえ、と。しかしまあ店内の雰囲気は昔のままじゃないか。視線をさらに送ると、壁際に品のよい女性の写真が飾ってあった。誰だろうか、マスターより少し齢が下かな?ずっと昔、小生に珈琲を出してくれていた人は、その女性であったような気もする。


写真の女性は誰なのか、マスターには聞きそびれてしまった。聞くのをためらっているうちにこんなことがあったのを思い出した。

父の胃癌が再発した秋のことである。小生は小役人になってまだ一年生であった。晩秋のある日、外は落葉を打ちしだくような時雨が降っていた。と、母から電話だと寮の管理人がいう―昔は携帯という利器はなかった。出ると『いま目黒にいるのよ、出てこれる?』と母がいう。『いいよ、すぐ出るから』そんな風にいって、多分、飛んで行ったのだろう。その日の更に以前、まだ父が元気であった時分、目黒駅から歩いて15分程の所に、家族そろって暮らしていたことがある。母は目黒の街を好んでいた。石川町から目黒駅まで何分かかったろうか、小一時間はかかったのではないか。多分、蒲田から目蒲線に乗り換えて行ったのだろうと思う。目黒のステーションビルの最上階にはレストラン街があった。上がって母を探すと、背中を『おにいちゃん』とたたくので振り向くと、母がニコニコと笑いながら立っていた。当時は、そのレストラン街にロシア料理店―「白樺」という名前ではなかったかと思うが定かではない―があった。母と私はその店に入ってボルシチを食べた。しばらく父のことや弟妹のことなどあれこれと話をしてから、母は『じゃあもう帰るわね』とでも言ったのだろう、私と別れて名古屋に帰って行った。目黒駅で別れたのか、それとも東京駅まで送って行ったのだろうか、それも忘れてしまった。私は独身寮に戻って行った。

不思議なものである。母から電話をもらって雨の中を目黒まで行こうと石川町駅まで一散に歩いて下って行ったことはよく覚えているのだが、母と別れてからの帰途、また寮へと上がって行った時のことは記憶に残っていないのだ。それと、母はなぜ名古屋から東京に来て、私と話をしたくなったのだろう。母にはそれを聞いたはずなのだがどんな内容だったか忘れてしまった。父は、癌になってからずっと丸山ワクチンを投与してもらっていたが、間に立っていた叔父からそれを受け取るのは私の役割だった。母が直接とりに出てくるはずはない。平日ならそれもあるだろうが、もし平日なら私の方が真夜中まで仕事をしていたはずである。土曜や日曜なら私が叔父からワクチンを受け取っていたはずである。そうすれば私から母に連絡をしたはずで、突然、母から電話があるとは思えないのだ。あるいはまた父が長い間投薬してもらっていた順天堂病院の神経内科に、その日、母はまた行ったのだろうか。しかし、その頃になると父はもう順天堂大学から投薬してもらってはいなかったように思う。

だから、母がなぜ東京に来て、私に電話をかけて呼び出したのか、その事情は分からないのである。いまはもう永久に分からなくなったが、その日の雨が時雨にしてはえらく土砂降りで、ザアザアと雨が降る中を暗い―暗かったように思うのだ、不思議だが、夕刻であったのだろうか―坂道を曲がりくねりながら、一散に歩いていったことだけは、よく覚えているのだ。

2013年8月7日水曜日

覚え書―従軍慰安婦問題をどう考えているか

宮崎駿監督の新作『風立ちぬ』が爆発的興行成績を達成しそうとの報道だ。

一方、宮崎監督はいま日韓双方からネット・バッシングをうけているという。韓国側は、零戦という日本の主力戦闘機をテーマにしたという点が軍国主義であると非難している。日本側– 日本の右翼勢力 –は、同監督が記者会見で「日本は韓国に従軍慰安婦問題について謝罪する必要あり」という趣旨の発言をしたと非難している。それで前と後ろの両方から弾が飛んでくるという状況になっている。ホント、野暮でありんすなあと、小生は思っているが、従軍慰安婦について自分としてはこんな風に考えていたというのは、後になって確かめたくなるだろうし、愚息やその子供達も関心をもつかもしれない。で、覚え書きにしておこうと思った。

× × ×

従軍慰安婦問題については、小生、重要な事実関係を熟知してはいない、というか文献を詳しく調べたことはない。戦後ずっと論議されてきたわけではなく、1991年になって初めて戦時慰安婦であった人たちが声をあげ、それが契機になったのだろうか、それ以降続々と元慰安婦であった人たちが身に受けた悲惨な経験を語り始めたと理解している。その最初の証言が出てきた背景であるが、そもそも従軍慰安婦なる問題を指摘したのは、日本の元陸軍軍人であり、戦後は共産党から選挙に立候補したこともある吉田清治氏が著した著作『朝鮮人慰安婦と日本人 元下関労報動員部長の手記』(昭和52年)や『私の戦争犯罪』(昭和58年)である。ところが、吉田氏の著書に書かれていた内容は、かなりの部分が創作、というか事実ではありえないことが判明してきた。それで多数の人が、事実関係を調査してきたところ、韓国出身・従軍慰安婦がいたことは事実であることには間違いないようだが、それが日本政府あるいは軍の強制を伴ったものであったのかどうか、いまなお日韓双方の解釈には開きがあり、決着がついていない。まあ、この辺までは承知しているという程度である。

× × ×

従軍慰安婦として軍に同行した女性達が、戦争の犠牲者であったことは、議論の余地がない。これはハッキリしている。戦争の犠牲者は戦後になってから補償されるべきである。これも当然の論理であると思う。

ただ小生にはよく分からない、というか専門外なので不明の点もある。
  1. 韓国出身・従軍慰安婦の人たちに補償義務があるとすれば、それ以外の出身地の従軍慰安婦であった人たちにも、日本出身の従軍慰安婦であった人たちにも、補償するべきではないのか?
  2. そもそも「戦争の犠牲者」はいかなる人たちを含むのか?軍人として敵と戦い戦死をとげた人たちは「戦争の犠牲者」であるには違いないが、戦死者― というか、その遺族 ーへの補償は行うべきなのか?
  3. ま、軍人は死ぬことも仕事のうちだ。では非戦闘員はどうなのか?戦後になって戦時の補償を求める権利はあるのか、ないのか?あるとすれば、自国政府に対してか、旧敵国政府に対してか?
  4. 非戦闘員が戦争によって犠牲・被害を被ることは現実に頻繁に発生する。従軍慰安婦に徴用されるのもその一例であるし、強制労働もそうだ。小生の亡くなった母は、下関の高等女学校在学中、授業はほとんどなく、毎日のように「勤労奉仕」に出かけたそうだ。奉仕である以上は強制であろう。勉強をする権利を奪われたわけであるが、これは補償されなくてよいのか?空襲によって家財を失った人も犠牲者であるし、広島と長崎に使われた原爆の犠牲者・被爆者達も敵国と戦っていたわけではない。「戦争の犠牲者」である点に違いはあるまい。
  5. 韓国は韓国の立場から従軍慰安婦という韓国内・戦争被害者への補償を日本国に請求しているが、もしこの論理に従うなら、戦後、沖縄が独立していれば、沖縄戦で犠牲を被った人たちは日本に対して補償を求めることができる。四国が独立していれば、四国の人は東京の政府に犠牲の補償を求めることができる。北海道が独立していれば北海道の人が補償を求めるだろう。どこかが奇妙ではないだろうか?そもそも開戦時から戦争終結時に至るまで、朝鮮半島は(その経緯には多くの問題があると指摘されているにせよ)国際社会において日本法の支配下にあり、四国や北海道と同じ「日本」の「国民」として戦ったのだから。

× × ×

元従軍慰安婦に対して謝罪をし、補償義務を負うのは道理にかなっていると小生も思う。しかし、韓国出身者であるが故に、▲▲国の犠牲者であるが故に、謝罪をし補償をするというのでは、平等に反するだろう。名画『サンダカン八番娼館 望郷』で描かれている世界は、韓国とは何の関係もないが、そこにも悲惨な戦争経験をした女性達が描かれている。貧困のために身売りをされ、生きるためには半ば強制的に、つまり他の選択肢はない状況で海外に移り、戦後はそのまま国から打ち捨てられ、彼地で死に墓も分からなくなった日本人女性は多数いたはずであるーもちろん現地で餓死した日本人戦死者も悲惨な戦争犠牲者であろう。あの人たちにも国家が謝罪なり、補償なりをする必要があるのではないかと思う。

「戦争犠牲者」、「戦争被害者」という言葉には広範囲かつ膨大な人たちが含まれる。そして、彼らのほとんどは、戦後において、ほとんど補償をうけてはいないという現実がある。つまるところ、近代以降の戦争、国民国家が引き起こす戦争は、君主が宣戦し傭兵が戦う戦争ではなく、「国民」が決め国民が銃前・銃後で戦う総力戦であって、戦勝の果実には国民があずかり、敗戦の報いも「国民」が引き受けてきたと思っている。

その「国民」、つまり法律で定める「日本人」の中に、1910年に併合された朝鮮半島居住者が含まれていたと考えるかどうか―やはり、そう考えるしかないのではないか。とすれば、その後の様々な犠牲・被害の大半は、日本国内の犠牲者と同じように共同で負担することが最初から運命づけられていた。これもまた一つのロジックではないだろうか―内地の外、つまり外地である朝鮮半島居住者は参政権をもたず、意思を表明する機会が与えられていなかった点は確かに重大ではあるが、この点は別の機会に。ちょうど、13世紀の元寇のとき、日本に来襲した正面軍は高麗軍であったのだが、だからといって高麗が日本を侵略したとは解釈できないし、してはいない。とはいえ、高麗人が元軍に参加していたこと自体は事実である。朝鮮半島が置かれる立場は反対になったが状況としては類似していたと思う。

× × ×

ただこうも言える。ロジックがこうこうだから、こういう結論にするべきだ、と。そんな議論で万事すんでしまうのであれば物事はすべて簡単だ。今回の場合は論理をこえた共感、理解、つまり心の表出がなければ問題解決には至るまい。問題の本質はここにある。そのように、小生、考えているのだ。

2013年8月6日火曜日

これも「確実ナノガ好キ症候群」の症状か?

担当している統計分析の授業のサンプルデータに食器乾燥機の販売データを使った。上田太一郎編著『データマイニングの極意』に掲載されているデータだ。発売前アンケート結果と各機種・食器乾燥機の初月販売数を表にまとめている。

調査項目の中に「価格が安いかどうか」がある。価格設定は戦略の基本であり、ビジネス・エコノミクスでは攻撃的安値戦略をとるときに留意するべきこと、相手に安値戦略をとられたときの対抗策が主な話題の一つになっている。

価格が安ければ、相手から顧客を奪取できる。だから、もしもY変量に販売数量をとり、X変量の一つに価格を含めれば、価格の回帰係数は負値になるのが当然である。価格を上げれば販売数量は減るのがロジックだから。

ところが一番上に紹介したサンプルデータでは、そうはならない。「これはおかしい!」と、多くの人は「理解できない」、「データがおかしいのじゃないか」等々、得られた分析結果に対して様々のネガティブな態度を示す。ここが、小生、すごく楽しいというか、興味深いというか、ああ、ビジネス現場でデータをどう活用しているか、活用できているか、その一面を見る思いがするのだ。一口に言えば、予想通りのデータが集まってきて安心する、それだけの目的で数字を見ている人が多いのじゃないか?データが予想とは違ったときには、途方に暮れる、一体これをどう解釈すればいいのかと。

一番取り扱いが難しいのは「予想通りのデータ」、即ち「有意でないデータ」であることは、少し統計学を学んだ人なら何度も聞いているはずだ。予想とは違うデータが得られれば、正にその時こそ常識の誤り、見逃していた落とし穴を確認できる。おかしいデータこそが、ウェルカムなのだ。これがあらゆる統計分析における鉄則である。

本来は、安値は販売を拡大する方向で働くはずだ。ところが、食器乾燥期のサンプルデータでは「安い」ことが売れ行きに直結しない。これはなぜか?販売現場の経験を積んでいる人なら、こんな理屈に合わない結果を得たとき、「なるほど」と。背後に隠れている物事の真相に目線が届くはずなのだ、な。「安い」ということでは売れない。そんな消費者の行動がむしろ理にかなっている。こんな考察のきっかけになる。理論は誰かがつくった「語り」だが、データは「現実」である。理論が否定されることは頻繁にあるが、現実はそれを認めるしか道はない。真に合理的であるのは、常に「現実」の方なのだ。「理論」が正しい保証はない。

幸いにして小生のクラスでは下のようなやりとりはなかった― ほかではこんな会話があるかも。
「価格」の回帰係数がマイナスになっていない所が面白いですね。
これはデータがおかしいのじゃないですか?
データを疑いだしたら、<理屈ありき>で物事をみてしまいますよ。
では価格を下げることは販売を増やすのですか、減らすのですか、どちらですか?
販売現場に応じてケース・バイ・ケースなんじゃないですか?
エッ???
理論やロジックには必ず暗黙の想定がおかれているものです。こうすればこうなると、無条件には言えないものです。データ分析は、実際はどうなのか、そこを検証するのですね。予想や常識と違うデータは、事故を予知してくれる警報のようなものです。
価格を下げさえすれば販売は増える。これは<確か>なんだが最後の手段だ、と……確実に言い切ってしまいたいことは、沢山ある。会議の席上で『おそらく今後はこうなる可能性が高いので…』と言うと、おそらくじゃダメだよ。可能性なんて言っているようじゃ検討が足りん。そんな風に言われることは多い。『こういう方策をとれば、どんな結果になるとされているのか?』、正解を知っておきたい、そういうことではないか。しかし、価格を下げても販売が増えるとは限るまい。<確か>ではないのだ、<正解>ではないのだ。

これまで<確実な議論をしましょうよ症候群>と呼んできた行動特性は、ひょっとすると<正解を知っておきたい症候群>でもあり、この二つの根本原因は同じであるような気がする。それは即ち<失敗をする余裕はない>という守りの意識である。実は、しかし、失敗をする余裕はないと思い始める時こそ、失敗への始まりなのだと小生は思うのだな。

2013年8月4日日曜日

日曜日の話し(8/4)

本ブログでは江戸・旧幕時代を話題にとり上げることが結構ある。とり上げるときには、概ね元禄から正徳・享保・天明あたりまでを肯定的に評価する一方で、元禄以前は歴史小説の世界というか、ほとんど話すことがなく、また松平定信以降については保守化し、無能化した時代だと分類している傾向がある。ま、それは仕方がない、そんな風に思っていることは確かだ。

バランスをとるために記しておきたいのだが、政治という次元で物事をみれば18世紀末以降の幕府政治はイデオロギーばかりが目立つのだが、経済や自然科学、人文社会科学など文化という次元をみると、日本全国で<プレ・モダン>なる時代が花開いた時代であったと思うのだ、な。そのきっかけとして、やはり享保以来の蘭学振興、実証主義精神の芽生えを挙げるべきだろうし、理念ではなく現実に目を向ける知識文化の気風は、商工業の発展と裏腹の関係をなしている点は、ヨーロッパ産業革命からも窺えることだ。

ヨーロッパは、伝統的な教会支配とキリスト教が科学的現実理解と対決したのであるし、東洋では儒学的宇宙観と実証主義精神が戦ったわけである。日本においては、仏教受入れも儒教受け入れも、中国や朝鮮に比べると不徹底だったのが、かえって幸いしたのだろうというのが、その後の19世紀、20世紀の歴史と結構関係している。そんな風に、小生、思っているのだな。

となると、日本では墨という筆記用具も所詮中国からの輸入文化であったのかもしれず、中国の模倣をして水墨画、南画を描いては見たものの、やはり<倭臭>は抜けず、超一流の作品を生み出すには至らず、それがひいてはジャポニズム的な独創性につながったのかもしれない。<ガラパゴス化>も悪いことだけではない。絶対的にマイナスであると評価されるべきものはないのだと。そんな風に考えることが割りと多いのだ。

前回は、新井白石を話題にしたが、元禄・正徳時代の日本画と言うと、まだ浮世絵らしい浮世絵は登場していない。そもそも江戸初期には版画技術も未発達で、文化らしい文化は江戸ではなく、上方で生まれていた。小生の限られた知識では、絵画分野であげるとすると、琳派と江戸狩野派、それと英一蝶くらいしか思い出せない。


尾形光琳、紅白梅図、18世紀光琳晩年
(参考)MOA美術館(熱海)

琳派の色彩世界は世紀末ウィーンを代表するグスタフ・クリムトに相通じるものがあるが、光琳にはクリムトのむせ返るような死の香りはない。もしも光琳が19世紀の江戸に生きていれば、退廃の中で暮らし、やはり永遠の青春と避けられない死をテーマとした作品を遺していたに違いない。上の作品は、あまりにも有名だが、作家晩年の作品であるという割には、活発な生命が底からにじみ出ているようであり、<底映え>というものを感じる。


英一蝶、十二か月の内正月

英一蝶は、4代将軍徳川家綱が将軍に就いて間もない承応元年(1652年)に生まれ、元禄・正徳に活動し、8代将軍徳川吉宗が改革政治を始めた享保9年(1724年)に世を去っている。彼が残した作品群を、いまならデジタルデータでどこにいてもネット経由で確認できるのだから、この30年間の通信技術の進歩はすさまじいものがある。

観ると、浮世絵のようでもあり、風俗画のようでもあり、平安以来の大和絵のようでもあって、蕪村を連想させる南画のようでもある。上の作品は初期浮世絵とでも言えるのかもしれない。これまた一蝶晩年の作品のようだが、延び行く若さがあふれているような、元気をもらえる一作ではないか。








2013年8月3日土曜日

世界景気は既に底入れしている-OECD Leading Indicator

新興国景気が沈む一方で、日米は回復し、ヨーロッパは周回遅れで回復への兆しを見せ始めた。そんな大づかみの景気観測が取りざたされるようになっている。

久しぶりにOECDのComposite Leading Indicatorを確認した。7月公表分が直近である。


OECDエリア全体では景気回復の兆しと言えるか言えないかの動きである。ただ、アメリカの拡大基調は明らかであり、産油国に近いエジプトの政情不安はあるものの、シェール革命によるエネルギー事情の激変、住宅市場の底入れなどを考慮すると、アメリカ経済は新たな成長軌道に戻りつつある。そう言えるのじゃないか。ヨーロッパは、なるほど「回復の兆し」というところだ。反対に、中国経済の下降トレンドも明瞭である。既に8月だ。『7月にも中国の金融バブルが崩壊する』と、不安げに囁かれ、上海市場の株価も一時どうなることかと危ぶまれたが、何とか乗り越えた - ま、お国柄ゆえ、いざとなれば強権発動、資産課税による公的資金投入など、あっさりとやってのけるとは思う。寧ろ、中国では経済不安よりも、政治不安が心配のタネであろう。



日本は回復というよりも、最近になって覚醒したのか、刺激を与えられて頭をもたげたのか、本当に日本経済は昏睡状態から意識回復に至ったのか、まだ断言はできない状態だろう。

インド、ブラジル、ロシアは下降トレンドにある。もはや"BRICS"ではないと言われているが、上の図をみると、繁栄も停滞もともに歩む共存共栄、一蓮托生、いまもって"BRICS"であることに変わりはないようだ。

先進国と新興国とのカップリング論、デカップリング論がかつて議論されたが、これからは上下ところを変えた<逆デカップリング論>の正否が試されるだろう。

中国からアメリカに乗る船をかえたいと願っているだろう安倍内閣は、案外、巡り合わせから言うとドンピシャリになるかもしれない。

どうもハッキリしないのは韓国だろう。反日政策強化シフトが目立つが、歴史問題などと大層哲学的な議論をしかけてはいるが、カネにもならない理由で、こうした原理主義的・外交コミットメントに打って出るはずがない。やはり国益追求ゲームの中の最適戦略として見るべきであり、つまりは韓国伝統の親中政策、対北朝鮮政策であろうと憶測されるわけで、それは確かに韓国の国益に寄与するロジカルな根拠を有している、そうも思われたりするのだが、いま現時点の中国と融和的関係を形成するのが、本当に韓国の利益になるのか、時機の選択として正しいのか、素人目には決して分かりやすいとは言えない。


2013年8月1日木曜日

年明け後に民主党はもうないかもしれない

今日は試験監督を二コマやる。午前に一つ、打ち合わせをしてから午後にもう一つだ。この位は以前ならまったく何ともなかった。かえって体が温まって、後の仕事が捗ったくらいだ。それがどうだろう。北海道とは思えないほどの湿度と暑気にまいったのだろうか、終わって部屋に戻ると、ぐったりとなって一時間ほど居眠りをむさぼる。全く、情けなや…、亡くなった祖父が『麒麟も老いては駑馬に劣る』とよく言っていたが、天をかける麒麟も齢をとったら、農作業で使われるような駄目ウマと競争しても負けてしまうという意味だ。

惨状…と言えば、いまの民主党を上回る惨状を呈している元花形はあるまい。昨年まで政権与党であったのだ。いまの安倍首相の前任者は民主党の野田首相なのである。アンビリーバブルだ。

ブログに傑作を見つけた。最近はリンク集を書かなくなったが、小生が思っていたのと寸分違わぬ内容であったので、覚書に記しておきたい ― なくならないとは思うが、ブログは時に消えてしまうこともあるので、要点だけ記しておく。元の文章はここ、ブログ『ニュースの社会科学的な裏側』にある。

民主党没落の第一の原因は「誰のための政党なのか」を自覚しなかった点だろう。これは2009年の政権交代を前に新時代を迎えるかのようにテンパっていた友人に投げた質問である。「一体、どんな人たちの利益を代弁するのか?」と。
民主党の支持母体は、端的に言えば労組、日本労働組合総連合会だ。このことから自らが企業の従業員の利益を代弁すべきだと認識すれば、実の所は個別の政策で右往左往したり、支持を落としたりする事は無かった。 
TPP交渉参加の是非などは、投資環境の改善は雇用機会の増加につながるので、即断できるわけだ。兼業農家が犠牲になる気もするが、彼らは資本家だと割り切ればいい。原発問題も工場などの稼働率を考えれば、自ずから稼動する方向で結論が出る。原発稼動は不人気政策に思えるが、反原発派は首長選で総じて負けている。 
厳しい労働環境とされるワタミの創設者である渡邉美樹氏を都知事選で推薦することもなかった。7月の参院選で自民党を攻撃する最もキャッチーな材料であったはずだが、推薦履歴により上手く生かすことが出来なかった。そもそも敵味方の識別さえついていなかったわけだ。 
独自に推し進めるべき政策も明らかになる。女性も労働者なので、就業者への出産・育児サポートなども主要な主張になりえる。雇用規制の緩和やブラック企業問題に関しては、もっと積極的に関与する必要がある。
労働者にとっては企業の利益は、本来、どうでもよいのだ。労働者は経営状況などは二の次にして賃上げを求めるべきなのだ。それによって利益が低迷して、株価が低迷して、企業が買収されても、現場を支える人間は常に必要とされるのだ。没落するのは経営陣である。もちろん経営者はこれでは困るから、安い移民労働力の自由化を望むだろう。海外投資のリスクを避けて、国内で利益を出そうとすれば、それが最善なのだから。経営者は規制による保護を求めることもあるが、利益機会があれば自由を求める。それが本来の姿だ。そこで国論が二分される。だから活力がいや増すのだ。

つい先日も書いたが、経営陣と従業員は同じ船には乗っていない。労働者=生産現場の人達の利益が増えるように、それだけに徹底して政策を提案するなら、労働者のほうが経営者より多いのだから、有権者の半分以上は、本来、とれるはずである。それでも、駄目なら、日本の有権者は自分たちの暮らしではなく、暮らしを犠牲にしても実現したい夢が先にあるのだろう。ならば、その夢とやらを民主党が把握して、実現の方法を提案すればよい。

反原発や反オスプレイは労働者利益に結びつかない。そんな事を主張するのにエネルギーを使っているから、労働者から見て労組は不要物に見える。冷戦構造下でソ連など共産圏の影響を受けた“左派”が労組を組織して、ひたすら反自民や反米を主張して来た伝統なのであろうが、労働者利益など眼中に無いようにさえ思える。
いやあ、ここまでズバズバ言えば、さぞや痛快であろう。まったく上のブログの著者が羨ましい。

 そういえば「生活の党」というのがあったなあ。民主党を<陶片追放>された小沢一郎が創設した、というか簒奪した政党である。生活が第一という割には、労働者の生活向上とは真逆の政策を提案していた記憶がある。案の定、昨年末と今夏の選挙では壊滅的大敗を被ったが、もはや政策がもたらす結果を科学的に予測する能力すらもなくしている実情がよく伝わってくるではないか。

政党の命はやはり政策である。その政策の提案を行うときには、誰の利益を代弁しているのか。ここの所が政党の存在理由を構成していると思うのだ、な。まさか<国民の皆さん>の利益などと、そんな寝呆けたことは、もう言わないよなあ……、それとも国会議員も公務員であって、公務員は一部の国民ではなく、すべての国民に奉仕しなければならない…民主党には弁護士や官僚出身者が多いから、政治家として落第しそうな人が多いのも、案外、その理由は大事なことを思い違いしているせいかもしれない。