2013年8月7日水曜日

覚え書―従軍慰安婦問題をどう考えているか

宮崎駿監督の新作『風立ちぬ』が爆発的興行成績を達成しそうとの報道だ。

一方、宮崎監督はいま日韓双方からネット・バッシングをうけているという。韓国側は、零戦という日本の主力戦闘機をテーマにしたという点が軍国主義であると非難している。日本側– 日本の右翼勢力 –は、同監督が記者会見で「日本は韓国に従軍慰安婦問題について謝罪する必要あり」という趣旨の発言をしたと非難している。それで前と後ろの両方から弾が飛んでくるという状況になっている。ホント、野暮でありんすなあと、小生は思っているが、従軍慰安婦について自分としてはこんな風に考えていたというのは、後になって確かめたくなるだろうし、愚息やその子供達も関心をもつかもしれない。で、覚え書きにしておこうと思った。

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従軍慰安婦問題については、小生、重要な事実関係を熟知してはいない、というか文献を詳しく調べたことはない。戦後ずっと論議されてきたわけではなく、1991年になって初めて戦時慰安婦であった人たちが声をあげ、それが契機になったのだろうか、それ以降続々と元慰安婦であった人たちが身に受けた悲惨な経験を語り始めたと理解している。その最初の証言が出てきた背景であるが、そもそも従軍慰安婦なる問題を指摘したのは、日本の元陸軍軍人であり、戦後は共産党から選挙に立候補したこともある吉田清治氏が著した著作『朝鮮人慰安婦と日本人 元下関労報動員部長の手記』(昭和52年)や『私の戦争犯罪』(昭和58年)である。ところが、吉田氏の著書に書かれていた内容は、かなりの部分が創作、というか事実ではありえないことが判明してきた。それで多数の人が、事実関係を調査してきたところ、韓国出身・従軍慰安婦がいたことは事実であることには間違いないようだが、それが日本政府あるいは軍の強制を伴ったものであったのかどうか、いまなお日韓双方の解釈には開きがあり、決着がついていない。まあ、この辺までは承知しているという程度である。

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従軍慰安婦として軍に同行した女性達が、戦争の犠牲者であったことは、議論の余地がない。これはハッキリしている。戦争の犠牲者は戦後になってから補償されるべきである。これも当然の論理であると思う。

ただ小生にはよく分からない、というか専門外なので不明の点もある。
  1. 韓国出身・従軍慰安婦の人たちに補償義務があるとすれば、それ以外の出身地の従軍慰安婦であった人たちにも、日本出身の従軍慰安婦であった人たちにも、補償するべきではないのか?
  2. そもそも「戦争の犠牲者」はいかなる人たちを含むのか?軍人として敵と戦い戦死をとげた人たちは「戦争の犠牲者」であるには違いないが、戦死者― というか、その遺族 ーへの補償は行うべきなのか?
  3. ま、軍人は死ぬことも仕事のうちだ。では非戦闘員はどうなのか?戦後になって戦時の補償を求める権利はあるのか、ないのか?あるとすれば、自国政府に対してか、旧敵国政府に対してか?
  4. 非戦闘員が戦争によって犠牲・被害を被ることは現実に頻繁に発生する。従軍慰安婦に徴用されるのもその一例であるし、強制労働もそうだ。小生の亡くなった母は、下関の高等女学校在学中、授業はほとんどなく、毎日のように「勤労奉仕」に出かけたそうだ。奉仕である以上は強制であろう。勉強をする権利を奪われたわけであるが、これは補償されなくてよいのか?空襲によって家財を失った人も犠牲者であるし、広島と長崎に使われた原爆の犠牲者・被爆者達も敵国と戦っていたわけではない。「戦争の犠牲者」である点に違いはあるまい。
  5. 韓国は韓国の立場から従軍慰安婦という韓国内・戦争被害者への補償を日本国に請求しているが、もしこの論理に従うなら、戦後、沖縄が独立していれば、沖縄戦で犠牲を被った人たちは日本に対して補償を求めることができる。四国が独立していれば、四国の人は東京の政府に犠牲の補償を求めることができる。北海道が独立していれば北海道の人が補償を求めるだろう。どこかが奇妙ではないだろうか?そもそも開戦時から戦争終結時に至るまで、朝鮮半島は(その経緯には多くの問題があると指摘されているにせよ)国際社会において日本法の支配下にあり、四国や北海道と同じ「日本」の「国民」として戦ったのだから。

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元従軍慰安婦に対して謝罪をし、補償義務を負うのは道理にかなっていると小生も思う。しかし、韓国出身者であるが故に、▲▲国の犠牲者であるが故に、謝罪をし補償をするというのでは、平等に反するだろう。名画『サンダカン八番娼館 望郷』で描かれている世界は、韓国とは何の関係もないが、そこにも悲惨な戦争経験をした女性達が描かれている。貧困のために身売りをされ、生きるためには半ば強制的に、つまり他の選択肢はない状況で海外に移り、戦後はそのまま国から打ち捨てられ、彼地で死に墓も分からなくなった日本人女性は多数いたはずであるーもちろん現地で餓死した日本人戦死者も悲惨な戦争犠牲者であろう。あの人たちにも国家が謝罪なり、補償なりをする必要があるのではないかと思う。

「戦争犠牲者」、「戦争被害者」という言葉には広範囲かつ膨大な人たちが含まれる。そして、彼らのほとんどは、戦後において、ほとんど補償をうけてはいないという現実がある。つまるところ、近代以降の戦争、国民国家が引き起こす戦争は、君主が宣戦し傭兵が戦う戦争ではなく、「国民」が決め国民が銃前・銃後で戦う総力戦であって、戦勝の果実には国民があずかり、敗戦の報いも「国民」が引き受けてきたと思っている。

その「国民」、つまり法律で定める「日本人」の中に、1910年に併合された朝鮮半島居住者が含まれていたと考えるかどうか―やはり、そう考えるしかないのではないか。とすれば、その後の様々な犠牲・被害の大半は、日本国内の犠牲者と同じように共同で負担することが最初から運命づけられていた。これもまた一つのロジックではないだろうか―内地の外、つまり外地である朝鮮半島居住者は参政権をもたず、意思を表明する機会が与えられていなかった点は確かに重大ではあるが、この点は別の機会に。ちょうど、13世紀の元寇のとき、日本に来襲した正面軍は高麗軍であったのだが、だからといって高麗が日本を侵略したとは解釈できないし、してはいない。とはいえ、高麗人が元軍に参加していたこと自体は事実である。朝鮮半島が置かれる立場は反対になったが状況としては類似していたと思う。

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ただこうも言える。ロジックがこうこうだから、こういう結論にするべきだ、と。そんな議論で万事すんでしまうのであれば物事はすべて簡単だ。今回の場合は論理をこえた共感、理解、つまり心の表出がなければ問題解決には至るまい。問題の本質はここにある。そのように、小生、考えているのだ。

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