2013年8月25日日曜日

日曜日の話し(8/25)

何も思い浮かばない時はカンディンスキーでも観ることが多い。


Kandinsky, Improvisation6 (African), 1909

犬も歩けば棒に当たる式で探していると上の作品を確認した。何の目的もなくパラパラとページをめくっている内に思い出したことがある。父と母が元気な頃、小生は目黒駅から恵比寿方向に歩いて15分程の所に家族と暮らしていたことがある。自室は二階の六畳部屋であり、窓を開けるとサッポロビールの恵比寿工場が見えた。夕方になると童謡「カラスの子」のメロディーで時を知らせるサイレンが流れる。そんな場所だった。その頃、就寝前の儀式のようになっていたのは、父から下げ渡され自分の本棚に持ち込んでいた古い「日本百科大事典」(全13巻)からランダムに一冊を取り出して、パラパラと何かを検索するでもなく、面白そうな解説を眠くなるまで読むことであった。百科事典だから五十音順で項目が並んでいるのだが、小生の贔屓は「す〜ち」―だったと記憶しているが― の巻だった。その頃、小生は高校生であり色々なことをしていたはずなのだが、既に病気がちであった父を心配する母の表情とサイレンが奏でる「カラスの子」、そして毎晩手に取った百科事典は、妙に生々しく覚えているのだ。

それにしても上の作品は同年代のドイツ表現派マッケの作品のようでもある。そのマッケは下のカンディンスキーのような作品を遺している。


Macke, Russian Ballet

二人の生身の身体はとっくの昔に消え去り、生前の記憶や交わした会話はたどりようもなく、今後将来の世界の進展にとってそれらはどうでもよいわけであるが、少なくとも生きている間、二人の芸術家にとって頭の中の記憶はとても大切であったに違いない。絵画作品は、自分の命とともに消えるはずの記憶を、時の流れの上に刻んだものである。そんな風に感じることが多い。町で買った古本のあるページにブルーのインクで書かれた文字をみるとき似たような感覚を覚えることがある。

2013年8月24日土曜日

福島第一: 東京五輪開催は辞退しておく方がいいのではないか

23日時点でのロイター電:
[23日 ロイター] - 2020年夏季五輪の東京招致委員会は23日、開催都市が決まる9月7日からの国際オリンピック委員会(IOC)総会に向け、東京都庁で出陣式を行った。
東京は2016年大会に続く2大会連続の立候補で、マドリード(スペイン)、イスタンブール(トルコ)と争う。開催地はブエノスアイレス(アルゼンチン)で開かれるIOC総会で委員の投票で決まる。
安倍晋三首相は出陣式で約800人の出席者を前に、「ブエノスアイレスでは2020年、東京のアナウンスを響かせましょう」と呼びかけ、自身も代表団の一員として現地入りすることを明らかにした。
しかし、東京五輪招致にカネをかけている状況ではなくなりつつあるのじゃあないか?

× × ×

本日のYahooニュースには福島第一原発周辺の汚染水拡散が次のように報じられている。
東京電力は23日、福島第一原発の港湾内で採取した海水の放射性トリチウム(三重水素)の濃度が1週間で8~18倍に高くなったと発表した。1~3号機周辺の地下水汚染の発覚で、監視を強めた6月以降では過去最高。港湾外への放射能汚染の拡大が進んでいるとみられる。(朝日新聞デジタル)
韓国・日本ツアーは旅行キャンセルが相次いでいるという。韓国政府から日本に情報提供が要請されたのは先日のことだ。

既にシンガポールでは

<福島汚染水漏れ問題>「日本政府は問題を直視し、安全対策を取れ」―シンガポール華字紙

というヘッドラインが踊っているし、
レコード・チャイナには

福島第1原発の汚染水流出に「海洋環境を汚染する日本に賠償を請求せよ」―中国版ツイッター
配信日時:2013年8月20日 19時30分

という文字がある。アメリカのBloombergも以下のように解説している。
8月23日(ブルームバーグ):東京電力福島第一原子力発電所の汚染水漏えい問題が深刻化し、原発の再稼働や原発技術の海外輸出など安倍晋三政権の掲げるアベノミクスの柱の一つともなる原子力政策に暗雲がたれ込めてきた。
(中略)
菅義偉官房長官は同日の会見で、「このような漏えいの発生は極めて遺憾」と指摘。「政府全体として早急に汚染水の漏えいを止めることに全力を尽くす」との決意を示した。ただ、東電も漏えい箇所の特定ができず、他のタンク近辺からも高濃度の汚染が確認されるなど、問題の解決にはまったくめどが立っていない。 
日本に50基ある原発のうち、48基は停止中。安倍政権は規制委員会の基準に基づいて安全性が確認されたものについては順次、再稼働させる方針を掲げている。 
一方、原発の再稼働に関しては共同通信が7月13、14日に行った世論調査でも反対が50.6%、賛成は40.0%と反対が半数を超えている。上智大学の中野晃一教授は福島第一の汚染水問題の深刻化は国民の間で原発への反発を強めることになると指摘する。
Original: Bloomberg, 2013,8,23 
もしも日本海流が南から北ではなく、北から南に流れていたら、首都圏の住人はこれほど安閑としてはおるまい。当の福島県人がなお静かである中、首都圏住人が先に霞ヶ関に集結して、デモを繰り広げていただろう。

黒潮が北へ流れているのは不幸中の幸いだが、仮に北海道東沖から放射性物質が検出される事態になれば、国後島、択捉島周辺からも検出されるのは時間の問題であり、仮にそうなればロシア政府は日本政府に対して公式に損害賠償を求めてくるだろうー もちろん生命に直ちに危険を及ぼす程の放射性数値にはならないだろうが、広い海洋全体を原状復帰させる能力が日本にはない以上、先方の賠償要求と此方の北方領土をチャラにするような形で手を打たされる位は十分予想できる。こんな展開もありえないわけではないなあと、今は想像している。

……こんな風に想像したが、ふと気になって確認すると、黒潮は千葉県沖からほぼ東方向へ流れ、北から南に流れる親潮が岸寄りに南下していると分かった。更に、福島沿岸寄りには日本海から津軽海峡を抜けた暖流が南下してもいる。そうか…、福島沖は黒潮が北上しているというより、潮の流れは北から南へ下がっているのか、と。そもそも国後、択捉辺りに黒潮は近づいていない。フ~ム、だとするとあれか、原発汚染水が福島第一港湾内から外へと漏出すれば、まずは南へ拡散していくわけか。危ういなあと感じた次第。

× × ×

原発管理当局は、いま伊方、川内、泊等々、再稼働申請のあった各原発の審査で手一杯だろう。というか、当局が立ち上がってからずっと原発再稼働の方角を向いて仕事をしてきており、重大事故を起こした福島第一原発については事故責任のある東電に任せて、その安全性担保には意識が向いていなかった兆候がある。

汚染水拡散がこれからどう進展するか現時点ではなんとも言えないが、おそらく現状は安倍政権にとっては想定外であろう。進展によっては、物事の優先順位を誤った<失政>となり、内閣支持率が一気に20%程度にまで急落、不支持率が40%超にまで上昇する、そんな事態もありえると予想する。また仮に東京五輪招致に成功するとしても一年後に辞退するという確率がゼロではない、と。小生はそう感じている。とすれば、いまの状況で五輪招致にエネルギーを投入するのは理に適っておらず、戦線を整理するべき状況であると。そう思うのだな。

IOC総会などに出ている場合ではなく、早急に帰国して、事態把握につとめるべきではないか。そう感じている国民は多いのじゃあないだろうか。

× × ×

これも本筋からずれていて、ちょっと違うか……首相官邸にいる極く少数のトップ・マネジメント層がすべて仕切っていくというのは、一日24時間という時間制約を考慮すると到底無理であると思うのだ。メガ企業も同じだろうが、トップがやるべきことは100万の人的リソースを最も効率的に活用することである。『三人寄れば文殊の知恵』という。数人の頭が百万の手足を意志のとおりに制御できるはずはないのだ。党員が各官庁の要所に何万という単位で浸透している国柄でもない。現場に十分な権限を与え、官僚百万人の士気を高めて、おのおの能力と組織力に基づいて現実と戦う、闘う勇気と生きがいを与えるのが日本の政治家の職務だろう。結局、日本の総理は一番奥に座る<床几大将>である。欧米や中国の指導者像とはずいぶん異なるが、天皇を戴いた日本ではずっとそうなのだから、せっかちに変えようとしても結果は出ない。そう割り切るしか良いやり方はないのではないか。

何もかも総理大臣の発言を待つというのでは、せいぜい一人もしくは仲間数人の話しであり、こんな風では権力を実質行使できるはずもなく、お先真っ暗じゃあないかとも、小生、最近思っているのだ、な。


2013年8月22日木曜日

労働価値説 vs 成果主義

日本の経済学界は、長年の間、マルクス経済学に席巻されていた。マルクス経済学は英国・古典派理論の完成者であるデヴィッド・リカードから派生した経済理論であると位置づけられる。即ち、投下労働量によって商品価値は最終的には決定される。現代風に分かりやすくいえば、商品価格はその商品の生産に要されるコストによって決まるものであると、こういう言い方になるか。

モノの価値は、投入されたコスト、つまり汗と時間で決まるのであって、たとえばそれを欲しい人がコストを超える価格を支払おうという状況があるとしても、それは一過性の出来事である。市場における競争が自由なら、ライバル企業が参入してくるので価格を高止まりさせることはできないし、また価格を支配すること自体がアンフェアである。

要するに、まあ、ものの価値は努力によって決まる。そういう見方であって、コストは窮極的には人の手に帰着するので、労働価値説は日本人にとって感覚的にも、倫理的にも実になじみやすい理論であったのだ。

小生が勤務するビジネススクールでは逆である。『一生懸命やったからといって、努力したからと言って、自動的に報われるわけではありませんよね。そんなことは皆さん、お分かりでしょ?』と。何度言うかしれない。『価値を決めるのは顧客です』、ここから顧客志向経営が展開されるわけである。

夏の甲子園大会で優勝旗がついに白河の関を超えて東北勢にもたらされるか。楽しみに準決勝を待ったところ、残念なことに花巻東も日大山形も敗退してしまった。その花巻東の「小さな二番打者」である千葉翔太選手のカット打法が「ルールに反している」、「いや努力の成果だ」と、巷では又々議論が盛り上がっているようだ。

ついにこんな言い方も出てきている。
「甲子園への遺言」など野球に関する著作が多いノンフィクション作家、門田隆将さんは「千葉選手の活躍は全国の体の小さな選手に勇気とやる気を与えたはずだ。自分の創意と工夫でレギュラーを勝ち取り、甲子園の土を踏んだ希望の星」と活躍を称賛。その一方で、大会審判部の対応について「そのプレースタイルは、誰もができるものではなく、一生懸命努力して会得したもの。高野連はその努力が分からないのか。希望の芽を摘もうとしている」と批判した。(出所)産経新聞、8月22日
「この努力が分からないのか!」。努力で価値が決まるのであれば、努力をすれば評価してくれるのであれば、企業経営者、中間管理職の仕事は極楽であろう。そんな思いがしきりとする小生である。

成果主義とは結果主義である。結果で評価が決まる。評価が努力に比例しない。確かに日本人の感性には反している。しかし、現実は運・不運がつきまとい、努力した人間の汗や涙はまったく顧みられることなく不条理な結果となるものだ。だからこそ、古代ギリシア人もローマ人も、中国人も、日本人も、勝敗は時の運と考え、神々の意思が人間社会の結末を決めると考えた。そのほうが現実に合うからだ。と同時に、敗者へのいたわりの気持ちも大切であると考えた― そこが単細胞的な成果原理主義とは違うところだ。

話しが脱線した。小生の亡父の口癖だが
人事をつくして天命をまつ
フェアであるはずの行為が、たまたまその時の見方でアンフェアであると判定されてしまうのも、不運の一例だ。意地悪な人間に意地悪な仕打ちをされたと考えるより、これも天命かと受け入れる方が、真っ直ぐな生き方でないかと、小生はこちらの方が好きである。

2013年8月20日火曜日

東京電力始末はいかが相成るのか?

カミさんとこんな話をよくする。
小生: それにしても東電の原発管理はお粗末だったねえ… 
カミさん: まだ福島では汚染水が出てるんでしょう?ようしないんじゃないの?なぜ国がしないのかしらねえ… 
小生: そりゃ、原発は国策で進めたわけだから、本当なら国が責任をもって事故の後始末はしないといけないところだけどさ。だけど、もし福島第一を国が責任をもってやるなんて言ったら、除染に▲▲兆円、被害者支援に■■兆円いるって話になって、財務省がウンというはずないよ。東電が会社ぐるみ身売りして、それでも足りないという状況を作れば、今度は世論の方が国も責任をもてっていう話になるんだろうけどねえ。 
カミさん: みんな無責任だよね! 
小生: そりゃあ、無責任だよ。絶句するほど無責任さ。東電だって生き延びるのに必死だしさ、まあ、あれだね。東電が、東電がと言いながら、電力業界を政府の思うとおりに作りかえて、最後にはつぶしてお金に換えて、後始末に使う腹だとは思うけどなあ。ま、とにかく、総理も大臣も東京電力には怖くて手を出せないんじゃないのかなあ。ちょっとでも手を出せば、『国だって責任あるだろう!』となるからね。
カミさん: 福島県の人たち、どうして黙っているのかしら? 
小生: これが千葉、茨城だったら大変さ、とっくに暴動が起こっていると思うよ。まあ、福島の人たちが1万人規模で霞が関に集結して、大規模デモを何回もすれば、政府も腰を抜かして、やるべきことをするだろうけどね……。大河ドラマの舞台を会津にしてくれたくらいで喜んでいる場合じゃないな。

先日、久闊を叙した旧友たちとの雑談でも話題になった。
友人A: おれたちの同期で東電に行った奴いたか?
友人B: 知らない。おれの周りにはいない。
小生: いなかったなあ。
友人A: 一人いたよ。さえねえ奴だったけどな。
小生: まだいるの?
友人A: 会ったことないから知らねえよ。
友人B: 電力会社に就職するって、あまり考えないっていうか、最初から目指すところじゃなかったような気がするんだよね。どうだった?
友人A: 給料が良かったんだろ?
小生: メーカーは競争が激しくて安いけど、メーカー類似にしては電力は高給取りだったからな。
どちらにしても、大震災の前後で人生が、文字通り、暗転したわけだ。今日はこんな報道をされている。
8月20日(ブルームバーグ):  東京電力は20日、福島第一原子力発電所で汚染水を貯めていた地上タンクから300トンの汚染水が漏えいしたと発表した。都内で会見した尾野昌之原子力・立地本部長代理によると、タンクからの汚染水漏れは過去4回発生しており、今回の漏えい量が最大になるという。
(中略)
同氏は、漏えいの原因は不明でタンク内で水が漏れた場所も特定もできていないと話した。現在も漏えいは継続しており、東電は堰の内側や漏えいしたタンクから水をポンプで回収し、別なタンクに移している。今後は水が染み込んで汚染された土壌を重機で除去するほか、排水溝への汚染水の侵入を防ぐため、土のうを積み上げることなどを予定している。(出所)Bloomberg.co.jp, 2013, 8, 20
 韓国政府からは汚染水漏れの情報提供を要請されているとのこと。
【ソウル=小倉健太郎】韓国外務省は19日、福島第1原子力発電所の汚染水が海に流出している問題で、流出状況などの資料を日本外務省に要請したと明らかにした。日本からは7月下旬以降、3度にわたり関連情報の提供があったが、追加で確認したい事項があるためという。(出所)日本経済新聞、8月20日朝刊
 2010年のメキシコ湾原油流出事故を起こした英国・ブリティッシュペトローリアム(BP)社は事故処理費用を調達するため、同じ年の2010年に早速300億ドル(=3兆円)を計上したという。ところが、しばらくたって昨年の11月時点に次の記事が出ている。
【ロンドン=松崎雄典】英石油大手BPは15日、2010年4月に発生したメキシコ湾原油流出事故での過失を認め、米司法省および米証券取引委員会(SEC)に合計約45億ドル(約3600億円)を支払うことで合意したと発表した。欧米メディアによると、企業の過失を問う罰金では過去最高額。米史上最悪の原油流出事故の影響の大きさを重くみた。
 ボブ・ダドリー最高経営責任者(CEO)は声明で「事故での過失を謝罪する」と述べ、11人の死亡につながった管理ミスや不作為を認めた。
 課徴金を支払うほか、生態系保護を目指す基金などに資金提供する。期間は3~5年。
 BPはこれまで381億ドルの事故関連費用を決算計上してきた。15日の合意で、さらに38億5千万ドルの追加費用が発生する見通し。今回の費用負担がBPの経営を大きく揺るがす可能性は低いものの、なお中央や地方政府、民間事業者などとの民事訴訟を残す。(出所)日本経済新聞、2012年11月16日
最近になって補償基金も払底したとの報道があった。
 【ロンドン=松崎雄典】英石油大手BPが、2010年4月に発生したメキシコ湾原油流出事故の賠償金の増加に苦しんでいる。賠償を求める個人や事業主が増え、個々の損害額も当初想定より膨らんだ。200億ドル(約2兆円)の補償基金はほぼ払底し、BPは「不合理な支払い」と主張している。企業が不祥事の責任をどこまで負うべきか、米国内で波紋を呼んでいる。
事故で被害を受けた湾岸住民やホテル、漁業などの事業者、州や地元政府といった10万を超える原告がBPを訴え、昨年3月に和解。ところが、和解金がBPが想定した78億ドルから日増しに膨らんでいる。(後略)(出所)日本経済新聞、2013年8月1日
ま、BPは資本金が2011年末時点で111,465 Million USドル(=約11兆円)あるメガ企業なので、原油流出事故だけで倒産するとも思えない。対する東京電力は2013年3月末時点で1兆4千億円程。BPの概ね10分の1である。そもそも、今後、電力市場は競争が激化する見通しである。事故処理費は、理屈からいってサンクコストであり、電力料金値上げで回収するなど、本来は不可能のはずだ。だから事故処理費用はそっくり資本を毀損するものと考えておかないといけないのではないか。到底、1兆円そこそこの資本金しか持たない企業が処理できる事故ではないのだ。増資を計画しても、資本市場から資金を調達できるはずがない。貸す銀行もない。

BP社がいま置かれている境遇をみても、東京電力という企業はもう企業生命を終えていると見るべきだ― 国有化されたいま、緊急治療室にいるわけだが、公的資金を返済してまた復活するのが経営目標であろう。そんな風に活かしておく方が便利だからといって、政府が自らの責任を避けるための<隠れ蓑>にするべきではないと思うのだが、どうだろう?





2013年8月18日日曜日

日曜日の話し(8/18)

お世話になっている寺で本日は施餓鬼会がある。回向が始まる前に着くように家を出たのだが、寺の境内、門前は既に駐車車両で一杯だった。今年は盆に墓参りまでしているので、回向料だけをカミさんに届けてもらって、そのまま買い物をすませ弁当を買ってから帰宅する。

帰宅してから、先日、友人たちと会食をした時に出た話題を思い出した。そういえばネット事情に詳しく、美術にも関心の深い友人は、愛用のmini iPadにモネやクリムトの画集アプリをインストールしていた。その数は10冊を超えていた。書籍の形でそれだけの画集を持ち運べば10キロ超の重量になる。やはり技術進歩は有難いものだと、機械には詳しくない方の友人に大いに吹聴したのだ。それを思い出して、小生のiPadにもクリムトを入れたところだ。まあ、もともとモネとセザンヌは既にインストールしているのだが、姉妹作品がこんなにあるとは知らなんだ。

そういえばフランス人のモネは、海や睡蓮などは何度も絵にしているが、実は当時としては最先端の文明の象徴であった蒸気機関車と駅構内の情景を何枚も写生している。同じ印象派のドガは、写生するにしても劇場の踊り子であったり、競馬場であったりしたのだから、モネは機械好きでもあったのだろう。


モネ、サンラザール駅、1877年
(出所)WebMuseum

パリのサンラザール駅はパリとノルマンディー地方を結ぶ鉄道の終着駅である。モネは同地方にある港町ル・アーブルが郷里だから、この駅を描く気になったのだろう。フランスで鉄道網が整備され始めたのは1830年代、パリとリヨン間が最初であるはずだ。フランス全土の鉄道網があらかた完成したのは1860年代になってからであり、その形が今日に至るまで基本型になっているという。

下は郷里ル・アーブルの港の風景である。


C. Monet, Fishing Boats Leaving the Harbor, Le Havre, 1874
Source: WebMuseum

舟の大半は漁船とはいうもののほとんど全部が帆船である。江戸の人々が蒸気機関の黒船に吃驚したのは、モネが上の作品を描いた年の21年前である。米国・東インド艦隊を率いたペリー提督は、帆船から蒸気船への切り替えを提言した海軍近代化の父であるそうだが、新しい技術が古い技術に完全にとってかわるには、相当長い時間を必要とするようである。

いまはインターネットのない生活は既に考えられなくなっているが、これからも更に一層身の回りの暮らしのあり方はインターネットが変えていくに違いない。20年先のライフ・スタイルなど想像を絶するというもので、いま話しても井戸端会議の域を出まい。インターネットは、情報通信技術だが、ロボットなど自動制御技術も<情報処理>には違いない。ロケット打ち上げ、宇宙ステーションの管理も情報処理、電子書籍の売買管理も同じ情報処理技術の賜物だ。Amazonは、メガネ不要の3次元映像再生端末を開発中であるという。現代の蒸気機関車はコンピューターだろう。

蒸気機関車を描く芸術家の心理は共感可能である。モネがいま生きていたら、おそらくロケットの打ち上げ風景を写生したいと言うに違いない。

不思議に感じるのは、エネルギー産業の最先端技術であったはずの原子力発電所を描いた絵画作品を一枚も知らないことだ。<新しい技術>というのは、色々な外部不経済を指摘されるにしても、その機能性に目を向けると確かに美しい。岡鹿之助が描いた「雪の発電所」- 水路式発電所 ‐は切手にもなっている。



アメリカのゴールデンゲート橋やパリのエッフェル塔、東京のスカイツリーが美しいのと同じ意味合いで、最新の技術には見たことのない<新しい美>が隠れているものであろう。ところが、原発施設に美を認める人がいない。美のモチーフとして原発施設を選んだ人がいない。小生は寡聞にしてみたことがない。これは大変不思議ではないかと思うのだ。

確かに不思議なのだが、小生は幼いころ、ウラン、というか放射性物質の放つ青白い光を美しいと感じたことをよく覚えている。




この時の気持ちは、キュリー夫人が夫ピエールとはじめて分離したラジウムをのぞきこんだ時の感動に似ているのではないかと自負している。
ひっそりと静まった闇の中、二つの顔が、ほのかに青白い光をのぞき込む。その神秘的な光の源を、ラジウムを―自分たちのラジウムを!
(出所)エーブ・キュリー(河野万里子訳)『キュリー夫人伝』(白水社)、255頁
上の写真は、ラジウムではなくコバルト60なのだが、水中で発するこの色は、やはり自然の神秘を蔵していて、とても美しいと感じるのだ。

2013年8月15日木曜日

消費税率引き上げ実現のほうに賭けるか、プラス一話

消費税率引き上げに慎重な代表が浜田宏一参与だろう。一般的な消費者もそうだと思う。まさか消費税率を早く上げてほしいと願っている消費者などはいないはずだ。不思議なことに日本共産党も増税に反対している―大きな政府、つまり大きな負担と大きな福祉を目標とするのが共産主義のはずなのだが。おそらく財政拡大・増税反対→財政破綻→資本課税強化による財政再建という線を狙っているのか……。

これに対して、財務省は増税に積極的であり(これは当たり前)、財界では経団連が
ずっと増税賛成派を演じている。加えて、IMFが日本の消費税率引き上げを断固支持すると公表した。以下は少し前のロイター報道から。
(IMFによる)5月の日本の審査報告書について、日本の当局者との協議を経て詳細を公表した。
報告書では「確かな財政・構造改革がなければ、開始された改革の信認に影響し、その成功を阻害することになる。これは日本だけでなく世界にとっても有害」と指摘。その上で「日本の債務水準は引き続き持続不可能で、金利上昇や資本フローの急変などの世界的なテールリスクの可能性が依然としてある」との見方を示した。
IMFはアベノミクスを支持したが、消費税は最低でも15%に引き上げるべきとし、債務水準の引き下げに向けて確固たる財政再建策を早急に策定すべきとの見解を示した。(出所)ロイター、2013年 08月 6日  
このように10%どころか15%まで上げなければ先行きおぼつかないと結論づけている。更にまた、信頼度の高い英紙"Financial Times"(7月31日付け)も以下のように消費税率引き上げを後押しする記事を日経経由で提供している。

[FT]安倍首相は消費増税を臆せず断行せよ(社説) 

 安倍晋三首相は昨年の衆院選に勝利した後、積極的な財政出動と大胆な金融緩和を打ち出し、市場に旋風を巻き起こした。しかし今月の参院選で2度目の勝利を収めた首相は気持ちが揺らいでいる。
(中略)
日本は国家財政を安全な水準まで戻す必要がある。長年続いたデフレと大量の国債発行で、公的債務は国民所得の250%に迫る異例の高水準にある。付加価値税から手を付けるのは当然のことだ。日本の付加価値税収は、経済協力開発機構(OECD)の他の加盟国の半分に満たないからだ。
 さらに、消費増税は他の多くの選択肢より利点が多い。付加価値税が上がれば、国内製品のみならず輸入品も対象となる。また、所得増税では捕捉しにくい、現金を蓄えた年金生活者も、付加価値税なら支払うことになる。
 首相は増税を決断する前に景気回復に十分な弾みがついたと確認したいだろう。今週発表された6月の鉱工業生産指数は前月比3.3%減という不本意な数字だった。しかし、工場の生産データの変動が大きいことはよく知られている。1~3月期の経済成長率は年率換算で4.1%と堅調な伸びだった。

 もちろん日本経済が苦境を脱したとはまだ言い切れない。だからこそ景気後退への対応策を用意しておくのは賢明だ。ただそれには、成長を促す財政政策を伴うべきだ。また低所得層向け所得減税を行えば、消費増税による所得配分への負の影響を緩和できるだろう。

5月23日の東証急落のあと、株価は中々上放れできずにいるが、その主要因として「安倍総理の迷い」が挙げられている。足下の議論の流れをみると、消費増税先送りを決める場合、景気腰折れ懸念が遠のくが故の株価上昇・景気拡大よりは、むしろ反対に日本の財政破綻リスクが近づくが故の国債売却、長期金利上昇、株価暴落、景気後退。こちらの可能性のほうが強まってきている。どうもそんな雰囲気なのだな。

東京市場で取引している参加者の大半は外国人だ。日本人が日本をどう考えるかでなく、世界が日本をどう見ているかで、日本の金融経済は決まる。カネの論理を無視していては国家の経済は成り立たない。ちょうど幕末の時代、薩摩藩が琉球との密輸、奄美大島などの砂糖専売を臆面もなくやり始め、その利益で軍事力を強化し、それで倒幕運動を展開できたようなものだ。長州藩も同じ。倒幕派にはカネがあり、佐幕派にはカネがなかったことが、明治維新の主要因と言って過言ではない。小生別に重商主義者ではないが、国家とマネーは切り離すことはできない。世界が日本に期待していることは、日本としてやったほうが、日本にとっても良いと思うのだ、な。

消費税率引上げは、本来、経済の理屈にかなっている。やれるならやったほうが良いに決まっている。ヨシッ、小生も「消費税率引き上げ→株価上昇」に賭けよう。しかしながら、そのためには財政破綻リスクを低下させることへの見返り、つまり投資の増加、海外マネーの日本流入を加速させるような政策をとらないといけない。これは多くの日本人が嫌う規制緩和、競争メカニズムの活用だ。企業優遇だ。反発があるだろう。人気は下がるだろう。まるで山本五十六の「男の修行」だ。
苦しいこともあるだろう。
云い度いこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣き度いこともあるだろう。
これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。
単に増税するだけであれば、浜田参与が心配するように日本経済は「心不全」で突然死してもおかしくはない。そんなバカなことをして平気な風が見えてくれば、海外マネーが流入するどころか、ジャパン・マネーが一斉に日本国外に流出するであろう。それで困るのは、日本国内の仕事で暮らしている普通の日本人であって、資産を海外に移転できる富裕階層はなにも困らない。分かっているだろうなあ、この理屈……、そんな風にみている。

★〜☆〜★

まったく違う話しだが、本日は終戦記念日。東京・日本武道館では例年のように「全国戦没者追悼式」があり、天皇皇后両陛下もご臨席されて以下のお言葉を述べられたよし。
本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
 終戦以来既に68年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。
 ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。(出所)読売新聞、8月15日
安倍総理、伊吹衆議院議長による式辞も報道されている。

このような追悼式を日本国家として開催しているにもかかわらず、更に閣僚として靖国神社に参拝する必要は、国家公務員の職責としては全くない理屈だ。参拝するとすれば、純粋に100%、個人として宗教的動機に基づいて参拝しているわけだ。なるほど個人としての信仰の自由は憲法が保障している所でもあるが、<国家神道の信者>が、閣僚という公職に就くことは、戦後日本において適切なのだろうか。疑念の余地はあるような気がする。

戦没者の霊魂の慰謝は、国家神道によるしかないわけではない。浄土宗でも、曹洞宗でも慰霊は行えるし、また戦死者の実家では盆供養をしているはずである。無論、戦死者がクリスチャンであれば、キリスト教によって魂を慰めることもできるのだ。そのほうが日本人としてははるかに適切な姿勢であろう。

戦前期日本は、神道を一種の「国教」として位置づけ内務省には神社局が設置されていた。その内務省は、戦後、GHQによって解体され、神社局を継承する形で政府と切り離したうえで神社本庁が開設された。そして神社本庁総裁には皇族が就くことになっており、その習慣は現在も変わらない。靖国神社は、神社本庁の統制下にはないとのことだが、祭事は帝国陸海軍が主宰していた。神社本庁は、いわゆるA級戦犯を「昭和殉難者」と見ており、その靖国神社への合祀を支持し、分祀の可能性は否定している。ともに国家神道のよりどころになっており、日本の保守層、というより極右(Far Right)勢力を支援する精神的拠点にもなっている、そう言えるのではないだろうか。

公平にみて、日本政府を代表する閣僚、国家公務員が、いかに自分自身の信仰に基づくとはいえ国家神道の象徴でもある靖国神社に参拝すれば、対外的拡大を基本戦略とした明治国家の大黒柱でもあっただけに、そりゃあ中国や韓国は憤激するだろう。毎年繰り返される靖国神社参拝騒動をどう治めるかは、日本の対中、対韓外交政策の問題であると同時に、日本国内の宗教政策でもある。『外国からとやかく言われる筋合いではない』と、国内事情と切り離せるかのように言える問題ではない。ここを認識することも大事だ。小生はそう思うのだ、な。

2013年8月14日水曜日

<善意→偽善→抑圧>という失敗の方程式こそ永遠の罠である

宮崎駿監督の「風立ちぬ」は、作品として余りに成功しつつあるが故に、世間の逆風も時にひどいようである。日本の右翼、韓国の反日の標的になったかと思うと、今度は日本禁煙学会のターゲットにもなってしまったようだ。

全文はここにあるが、初めの部分を下に引用しておきたい。
NPO法人「日本禁煙学会」が公開中の映画「風立ちぬ」(監督宮崎駿)の中のタバコの描写について苦言を呈している。
 製作担当者に送付した要望書を公式サイトにアップ。「教室での喫煙場面、職場で上司を含め職員の多くが喫煙している場面、高級リゾートホテルのレストラン内での喫煙場面など、数え上げれば枚挙にいとまがありません」と問題視した。
教室で喫煙しているというのは、たとえばそれが<大学>だとすれば旧制は小学校から6年、5年、3年、3年となっていたから、旧制大学は現大学の3年次、4年次プラス1年に相当する。現在の中高が旧制中学にほぼ相当し、旧制高校と大学を併せた6年が現在の大学4年に対応していると言ってよい。要するに、戦前期の教育システムのほうが高等教育により長い期間をかけていたわけである。ちょっと話が脱線した …… 煙草のことである。だから、旧制大学生は大学入学時に成人していたはずであり、喫煙自体は認められていたと思われる。そして旧制大学生は現在とは全く異なり、ごく少数の者だけが進学できる文字通りのエリートであって、学生とはいえ紳士として自由と責任を与えられていた。そんな風に遇されていた点も忘れるべきでない。もちろん教室で喫煙できたのかどうか、大学の教室で喫煙することは日常的に見られていたのか、まあ色々とそれが適切であるのかどうかというポイントはある。大学ではなく、旧制高校以下の学校であれば、喫煙禁止であったと思うが、残念ながら、小生まだこの作品をまだ見てはいないので、これ以上のことは言えない。

それより上に引用した記事をみて、これはもう善意の社会運動ではなく、ありのままの昔の習慣をも正しい状態に作り直そうとする偽善ではないかと感じたのだがどうだろう。

確かに現在は禁煙が社会に浸透してきている。それには科学的正当性もある。しかし、小生の幼少期には父は家内で大体煙草を口にくわえていたし、小生を時々呼んでは口からドーナツ型の紫煙をはきだし、小生はそれに興じて何度もやってとせがんだものである。祖父の家に遊びに行けば、そこにはやはり紫煙がたゆたっており、父のとは違ったその香りに私は祖父の存在を感覚的に記憶したとも言えるのだ。そんな父や祖父から、あるいはまた叔父たちから小生は「もらいタバコ」による被害を被ったかもしれないが、それが<被害>であるとは主観的に考えてはいないのだ、な。主観的にそうは思っていないのであれば、それが<タバコ被害>であると客観的に指摘してみても、必ずしも幸福の増進には結びつかず、科学的に正当なことをしているだけの自己満足であるとも、小生、言いたいところなのだな。そうした言動は、社会的善意の名を借りた僭越であり、またそれは<偽善>でもあるのではないか。

人は、可能な限り、周りの人たちがしていることを認めあい、社会的に絶対に容認できない明確な理由がない限り、その人たちの幸福を壊すべきではない。自由と責任が幸福の基礎であり、他者の善意、まして善意の指導は、多数による抑圧と識別できないものなのである。このことを忘れるべきではないと思う。<悪意>は、悪意の衣をまとっている限り、いつか世の中から排除される。しかし、善意による抑圧は時に社会の中で罠となって永続し、人々を苦しめるのである。歴史上、注意するべきは、むしろこちらの方ではないだろうか。