これに対して、財務省は増税に積極的であり(これは当たり前)、財界では経団連が
ずっと増税賛成派を演じている。加えて、IMFが日本の消費税率引き上げを断固支持すると公表した。以下は少し前のロイター報道から。
(IMFによる)5月の日本の審査報告書について、日本の当局者との協議を経て詳細を公表した。このように10%どころか15%まで上げなければ先行きおぼつかないと結論づけている。更にまた、信頼度の高い英紙"Financial Times"(7月31日付け)も以下のように消費税率引き上げを後押しする記事を日経経由で提供している。
報告書では「確かな財政・構造改革がなければ、開始された改革の信認に影響し、その成功を阻害することになる。これは日本だけでなく世界にとっても有害」と指摘。その上で「日本の債務水準は引き続き持続不可能で、金利上昇や資本フローの急変などの世界的なテールリスクの可能性が依然としてある」との見方を示した。
IMFはアベノミクスを支持したが、消費税は最低でも15%に引き上げるべきとし、債務水準の引き下げに向けて確固たる財政再建策を早急に策定すべきとの見解を示した。(出所)ロイター、2013年 08月 6日
[FT]安倍首相は消費増税を臆せず断行せよ(社説)
安倍晋三首相は昨年の衆院選に勝利した後、積極的な財政出動と大胆な金融緩和を打ち出し、市場に旋風を巻き起こした。しかし今月の参院選で2度目の勝利を収めた首相は気持ちが揺らいでいる。
(中略)
日本は国家財政を安全な水準まで戻す必要がある。長年続いたデフレと大量の国債発行で、公的債務は国民所得の250%に迫る異例の高水準にある。付加価値税から手を付けるのは当然のことだ。日本の付加価値税収は、経済協力開発機構(OECD)の他の加盟国の半分に満たないからだ。
さらに、消費増税は他の多くの選択肢より利点が多い。付加価値税が上がれば、国内製品のみならず輸入品も対象となる。また、所得増税では捕捉しにくい、現金を蓄えた年金生活者も、付加価値税なら支払うことになる。
首相は増税を決断する前に景気回復に十分な弾みがついたと確認したいだろう。今週発表された6月の鉱工業生産指数は前月比3.3%減という不本意な数字だった。しかし、工場の生産データの変動が大きいことはよく知られている。1~3月期の経済成長率は年率換算で4.1%と堅調な伸びだった。
もちろん日本経済が苦境を脱したとはまだ言い切れない。だからこそ景気後退への対応策を用意しておくのは賢明だ。ただそれには、成長を促す財政政策を伴うべきだ。また低所得層向け所得減税を行えば、消費増税による所得配分への負の影響を緩和できるだろう。
5月23日の東証急落のあと、株価は中々上放れできずにいるが、その主要因として「安倍総理の迷い」が挙げられている。足下の議論の流れをみると、消費増税先送りを決める場合、景気腰折れ懸念が遠のくが故の株価上昇・景気拡大よりは、むしろ反対に日本の財政破綻リスクが近づくが故の国債売却、長期金利上昇、株価暴落、景気後退。こちらの可能性のほうが強まってきている。どうもそんな雰囲気なのだな。
東京市場で取引している参加者の大半は外国人だ。日本人が日本をどう考えるかでなく、世界が日本をどう見ているかで、日本の金融経済は決まる。カネの論理を無視していては国家の経済は成り立たない。ちょうど幕末の時代、薩摩藩が琉球との密輸、奄美大島などの砂糖専売を臆面もなくやり始め、その利益で軍事力を強化し、それで倒幕運動を展開できたようなものだ。長州藩も同じ。倒幕派にはカネがあり、佐幕派にはカネがなかったことが、明治維新の主要因と言って過言ではない。小生別に重商主義者ではないが、国家とマネーは切り離すことはできない。世界が日本に期待していることは、日本としてやったほうが、日本にとっても良いと思うのだ、な。
消費税率引上げは、本来、経済の理屈にかなっている。やれるならやったほうが良いに決まっている。ヨシッ、小生も「消費税率引き上げ→株価上昇」に賭けよう。しかしながら、そのためには財政破綻リスクを低下させることへの見返り、つまり投資の増加、海外マネーの日本流入を加速させるような政策をとらないといけない。これは多くの日本人が嫌う規制緩和、競争メカニズムの活用だ。企業優遇だ。反発があるだろう。人気は下がるだろう。まるで山本五十六の「男の修行」だ。
苦しいこともあるだろう。単に増税するだけであれば、浜田参与が心配するように日本経済は「心不全」で突然死してもおかしくはない。そんなバカなことをして平気な風が見えてくれば、海外マネーが流入するどころか、ジャパン・マネーが一斉に日本国外に流出するであろう。それで困るのは、日本国内の仕事で暮らしている普通の日本人であって、資産を海外に移転できる富裕階層はなにも困らない。分かっているだろうなあ、この理屈……、そんな風にみている。
云い度いこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣き度いこともあるだろう。
これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。
★〜☆〜★
まったく違う話しだが、本日は終戦記念日。東京・日本武道館では例年のように「全国戦没者追悼式」があり、天皇皇后両陛下もご臨席されて以下のお言葉を述べられたよし。
本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。安倍総理、伊吹衆議院議長による式辞も報道されている。
終戦以来既に68年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。
ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。(出所)読売新聞、8月15日
このような追悼式を日本国家として開催しているにもかかわらず、更に閣僚として靖国神社に参拝する必要は、国家公務員の職責としては全くない理屈だ。参拝するとすれば、純粋に100%、個人として宗教的動機に基づいて参拝しているわけだ。なるほど個人としての信仰の自由は憲法が保障している所でもあるが、<国家神道の信者>が、閣僚という公職に就くことは、戦後日本において適切なのだろうか。疑念の余地はあるような気がする。
戦没者の霊魂の慰謝は、国家神道によるしかないわけではない。浄土宗でも、曹洞宗でも慰霊は行えるし、また戦死者の実家では盆供養をしているはずである。無論、戦死者がクリスチャンであれば、キリスト教によって魂を慰めることもできるのだ。そのほうが日本人としてははるかに適切な姿勢であろう。
戦前期日本は、神道を一種の「国教」として位置づけ内務省には神社局が設置されていた。その内務省は、戦後、GHQによって解体され、神社局を継承する形で政府と切り離したうえで神社本庁が開設された。そして神社本庁総裁には皇族が就くことになっており、その習慣は現在も変わらない。靖国神社は、神社本庁の統制下にはないとのことだが、祭事は帝国陸海軍が主宰していた。神社本庁は、いわゆるA級戦犯を「昭和殉難者」と見ており、その靖国神社への合祀を支持し、分祀の可能性は否定している。ともに国家神道のよりどころになっており、日本の保守層、というより極右(Far Right)勢力を支援する精神的拠点にもなっている、そう言えるのではないだろうか。
公平にみて、日本政府を代表する閣僚、国家公務員が、いかに自分自身の信仰に基づくとはいえ国家神道の象徴でもある靖国神社に参拝すれば、対外的拡大を基本戦略とした明治国家の大黒柱でもあっただけに、そりゃあ中国や韓国は憤激するだろう。毎年繰り返される靖国神社参拝騒動をどう治めるかは、日本の対中、対韓外交政策の問題であると同時に、日本国内の宗教政策でもある。『外国からとやかく言われる筋合いではない』と、国内事情と切り離せるかのように言える問題ではない。ここを認識することも大事だ。小生はそう思うのだ、な。
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