2017年11月3日金曜日

モリカケ・ロングラン・・・まさかないとは思うが

大学設置審議会で加計学園獣医学部(今治市)の新設が認可される方向となった。これでこの春から世を騒がせてきた加計学園騒動も一区切りがつくだろう。審議会の新設認可が出る前と後とでは問題の性質がかなり異なってくるのは明白だからだーというより、問題そのものが実存していたのかどうかすら相当曖昧な状態に置かれている。だからこそ、世間は納得していないとも言えるのだろうが、正に、問題はないということの証明は至難であるという一例になってしまった。

その「まだ問題はあるのか」という点だが、世間には、設置審議会の審議内容自体に疑問符をつける人もいる。あるいは、大上段に振りかぶって『大学設置審議会の加計学園の獣医学部設置認可は、問題が無かった事を意味しない』といった論調もある。

一般的には、大学設置審議会の認可には問題がある可能性が常にある。もちろん厳しい認可要件を設ければ、設置される大学に問題が潜在している確率を低く出来る。しかし、中央官庁が大学新設に厳しい要件を課すことが適切かどうかという問題も片方にはある。と言って、要件を緩くすると、日本国内の審査基準が国際基準より甘いのではないかというバイアスが生じる。いわゆる統計分析でいうアルファ・ベータ問題だ。審査を担当する委員も神の目を備えているわけではない。一般論を述べても、だから加計学園獣医学部について何かの具体的な問題点があると指摘することにはならない。一般論は一般論である。

森友はどうか。こちらは会計検査院の審査によりごみ撤去費用が過大に見積もられていたという結論が出てくる方向だ。値引きが過大であったということでもある。

しかし、この問題は詰めれば詰めるほど事務手続き上の瑕疵の有無の問題となり、直接の責任は近畿財務局、せいぜいは財務省理財局長まで監督責任が及ぶかどうかではあるまいか。ましてもっと上の事務次官、さらに上の麻生財務大臣にまで国有財産処分の不手際の責任が及ぶとか、行政府の最高責任者である総理大臣に責任が及ぶという風には、正直言って、ちょっと「同意しかねますなあ」と言わざるを得ない。

そんなことを言えば、小生が暮らしている北海道の地方都市の一隅で行われた国有地払い下げ、その後の宅地造成においても、何か東京の首相官邸の力が行使され、不正が行われていた可能性がある。そんな見方もとれるということになる。

まあ、とれるのだよということだろうが、そもそも力を行使する側において動機がないのではないか ― 森友経由でカネが政治家にわたるなどという裏の贈収賄の構造でもあるならまた別だが、しかし、話しは政治家がカネをもらったのではなく、寄付をしたというのが問題になっているくらいで真逆である。

ま、森友事件で問題があったとすれば、首相夫人が名誉園長をしていた。この一点だけではないだろうか。やはり、公の場で何か一言、夫人の釈明があってもいいような気もしないでもないが、『軽率なことでございました』というだけになるのは確実であるし、だから首相を辞めさせるという風にはならないのではないか。

ま、マスメディア大手はどれほどの扱いをしたいと予定しているかは不明だが、春先とはかなり違ってくるのではないだろうか。

2017年10月29日日曜日

文明は戦争で進化する??

戦前期日本の軍国主義を象徴する悪名高い刊行物として「国防の本義と其強化の提唱」(俗称:陸軍パンフレット、陸パン)というのがある。昭和9年(1934年)10月1日に発表され、世間はビックリ仰天した。誰が頼んだわけでもないのに陸軍が国家戦略の基本をマスメディアを通して提唱し始めたのだから吃驚するのは無理もなかった。

その書き出しはこうである。
たたかひは創造の父、文化の母である。試練の個人に於ける、競争の国家に於ける、斉しく夫々の生命の生成発展、文化創造の動機であり刺戟である。
(参考サイト)http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1455287
(別サイト)http://teikoku.xxxxxxxx.jp/1934_kokubo.htm

満州事変、5.15事件と一部軍人の「決起」に刮目していた世間は、今度は不言実行の寡黙な組織だと見ていた軍部が「国家戦略」を語り始めたことに驚き、マスメディアも軍人集団というこの新参者の「理論」をもてはやした。新しい理論とは、国家的危機(≒存立危機事態)を乗り越えるための「戦略の必要」、「総動員体制の確立」だった。

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中世が終わり、特に15世紀以降、ヨーロッパがその国力において先進国・中国を凌駕するに至ったのは、戦争と内乱を契機にして技術文明、中でも軍事技術がより速やかに発展したことが主因である、と。これはよく指摘される点だ。戦争の敗者になる恐怖を克服しようとすれば、敵国よりも人口を増やし、軍事技術を進化させ、敵国よりも優れた兵器を保有することが欠かせない。そのためには先ず基礎科学の発展を国家として支援し、優秀な人材は身分や家柄、出自を問わず、実力本位で抜擢する。人づくりには大いに金をかけ学校制度を設けて体系的・組織的に育成する。このように、戦争の危機が常に目前にあるなら、負けないための国家戦略が何より重要になるのは事実だろう。これは理解しやすい話だ。

古代中国でも内乱があい続いた春秋戦国時代においてこそ、産業が大いに発展し、その後の漢帝国によるアジア世界制覇の基礎をつくった。日本でも庶民の農業生産技術とその結果である生活水準がもっとも速やかに発展したのは、中央政府の統制が衰えた15世紀から16世紀、いわゆる「戦国時代」であったとされている。

戦争こそ創造と文化をもたらすものであるというのは、確かに真相の一面をついている。

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上の話題に関連して、先日、大学の同僚と以下のような話をした。

小生: 確かに、軍に召集されると、色々な技術は身につきますよね。危険物取扱(笑)の資格も得られるし、大型特殊車両の運転免許も自動的に取得できますしね。この資格は、世間でも役に立ちますよ。 ツブシがききますから。
同僚: 土木技術とか、怪我の応急処置とか、それも出来るようになります。 
小生: 格闘技も身につきますよね。危険な状況から逃げるのでなく、そんなことは止めろと無頼漢にも言えるようになります。
同僚: 何より武器を扱えるようになります。最先端の兵器の構造や操作法を学ぶには、基礎科学の知識が要りますから、頭脳も必要です。数学が苦手とか言ってられません。 
小生: 敵国の言葉も知っている必要がありますヨ。大体は戦争ではなく、戦争の前か戦争の後かで平和である時の方が長いわけですから、その間に相手の発想や考え方を互いに話をしてよくつかんでおくほうがいい。 
同僚: 外国語も自然に身につく、と(笑)。 
小生: そうなんですよ。友人もつくっておけるわけです。だからネ、たとえば江戸幕府ができて17世紀の中頃、将軍が三代目の家光の頃になって、関ヶ原や大坂の陣を経験した人たちは「若い者はなっちゃいない」と。平和ボケしてると。槍一つ満足に使えないと。厳しい交渉もできんと。年寄りは本当に若い世代をバカにしたんですね。 
同僚: それは今の日本もそうですよ。戦争を知らない世代が心配だ。何もできんと。勇気もない。危機感もないと。そんなことをずっと話しています。 
小生: だけどネ、思うんですけどネ、江戸時代の最初の文化の花が咲くのは元禄時代ですよ。戦の世が終わって、戦争を知っている年寄りがみんないなくなった後です。戦争が完全に歴史の彼方に消え去ったあとに文化の花が開き始めた。それも戦いを知っている武士の町じゃありません。江戸ではなくて、商人の中心地であった大阪が舞台です。その後も、徳川250年の平和が続く中、現代にもつながる江戸文化が華やかに展開されたのは文化文政。1800年代の初めです。今に伝わる日本文化はみな戦争とは無縁の、平和から生み出されたものです。
同僚: 戦争は文化の母であるとか、父であるとか、それは違うと。 
小生: ハッキリ違うと思いますねえ。戦争をようやく忘れられる、そんな時代が来て、やっと人は本当の新しい文化を作り始める。そうではないのですかネエ。確かに、古代中国でも戦国時代に軍事技術が進歩した。その軍事技術で漢帝国はアジア社会の覇権を得た。しかし、戦争は戦争でしかありませんよ。残酷です。そこにあるのは死と破壊しかなかったじゃありませんか。戦争が終わって到来した平和な世界で古代中国の文化は花開いたわけでしょう。戦争の傷跡がいえたあと、次の戦争を準備する必要がなくなったとき、人間は文化的活動にエネルギーをさけるのだ、と。そんな風に感じるんですよね。 
同僚: 平和ボケするくらいじゃないと、新しい文化は生まれてこないと・・・そういうわけですか(笑)。 
小生: そう思ったりするんですよネエ。戦争は進歩に必要じゃあないんですよ。社会をオープンにして、ビジネスを自由にして、競争を促進して、誰でも富を得るチャンスを持てるようにする。これを世界の全ての人間に保証してやれば戦争などは必要じゃあないですよ。競争で技術は進歩できます。イノベーションは起こります。実際、イノベーションは平和な世界でも起こっているでしょ?それを国境で壁をつくる。難民規制だ、社会保障だ、守ることばかりを考えるから、壁の外側の人は暴力で侵略する。相手を破壊することによって自己の安全をはかる。そんな誘因を相手に与えるだけです。そうなんじゃないでしょうかネエ・・・。
同僚: 創造的破壊は戦争の代わりに世界を進歩させる・・・なるほどねえ。 
小生: 自由競争、自由貿易と戦争を比べるなんて無理筋かもしれませんけどネ(笑)、そんな風に思いません? 

北朝鮮危機を材料にして、政治を展開することは、新しい時代を切り開く政治戦略では決してあり得ない。ひょっとすると、選択可能なより良い世界へ至る道を閉ざすだけの愚策であるかもしれない。この点だけは頭に入れておかなければなるまい。

戦争の危機は創造の父、文化の母などではないのだと思う。

2017年10月27日金曜日

選挙のあと: ある会話

カミさんとこんな会話をした。

小生: (朝刊のページをめくりながら)それにしても今年はタヌキの当たり年だねえ。 
カミさん: (朝飯をテーブルに並べながら)そうなの? 
小生: 朝ドラの「ひよっこ」を主演した有村さんサ、タヌキ美人って言われてるらしいよ。 
カミさん: ああ、タヌキ顔ってこと? 
小生: そうそう。かと思うとネ、緑のタヌキ。これは小池百合子のことだね。 
カミさん: 緑って? 
小生: いつも緑の服、着てるじゃない。本人は勝負服って思ってるそうだけどサ。まあ、緑より、魔女服の黒のほうがファッションとしては人柄にピッタリ合ってるけどネ。 
カミさん: 魔女は可哀想なんじゃないの?都知事でしょ! 
小生: アハハ、まあ「都知事」なんだけどネ(笑)。そうそう、ある新聞には「女帝」と書いているのもあるなあ。そういえば、フランスの新聞大手に「フィガロ(Le Figaro)」っていうのがあるんだけどネ、投票日にパリに海外出張した小池さんのことを「逃亡中の女王」って書いたらしいから、まあ「女帝」っていうのもその通りかもしれないねえ・・・「女帝」か・・、処刑されたマリー・アントワネットということなのかな? いや、あれは「王妃」だもんな、というかそもそも聖なる乙女、ジャンヌ・ダルクだったはずだが・・・ 
カミさん: もう放っておきなさいヨ 
小生: 今年の流行語大賞、何になるだろうねえ・・・。これまでは『違うだろう!!』が圧倒的に大賞候補だったそうなんだけどネ、ここに来て『排除します』が追い込みをかけてるらしいヨ。両方とも女性が語った言葉だからナア、やっぱり今年は「女性が輝く年」なんだねえ。酉年っていうのはそうなのかなあ・・・。
カミさん: (にらみながら)調べてみたら
 それにしても小池代表、「創業者の責任」があるからと言って、代表続投の意志を表明したらしい。「都政に専念します」という発言と早くも矛盾して来た。

代表を続けてもウソをついた。代表を辞めてもウソをついた。そう言われるだろうねえ。

希望の党は今度の選挙で180人以上が討ち死にを遂げた。多くの人の恨みが集まってしまった。これまでのように一人で戦って来たなら、勝つにしろ、負けるにしろ自分だけで引き受ければよい。しかし、今度ばかりは多くの人の人生を変えてしまった。仲間に入れておいて暗転させてしまった。リーダーとして望んだ大敗のツケは、ずっと永くつきまとっていくだろう。

それにしても、「政治が趣味」という人もいるんだねえと小生はツクヅクと感じる。頼まれてもあんな修羅場には出向いていかないが・・・、人は色々、人生いろいろである。

画作は小生の趣味だが、絵を自分の人生にしなくて本当によかったと感じる。絵を職業にすれば、絵で勝負することになるし、そうなると高い評価を得られるような絵を自分も描きたいと。そればかりを思うようになる。多分、絵が苦痛になる。それは一番寂しいことである。趣味に他人の人生を巻き込むと、もはや趣味にならない。他人の人生を預かるなら、自分の人生をもかける職業にしないといけない。

【加筆:同日21:30】
巷間、小池代表をつるし上げている旧民進党議員について、負けてから大将を非難するのは仁義にもとるという批判がある。そうかと思えば、非難するのはもっともであるという指摘もあって、両論様々の状況だ。すべて戦いは、白兵戦である以上、兵隊個々の強さが最重要なファクターであるのは事実だ。しかし、個の強さで戦いの勝敗が決まるのならば、何も戦略や戦術などを論じる必要はない。『勇将の下に弱卒なし』ともいう。確かに、希望の党に「はせ参じた」(というより逃げ込んできた?)旧民進党議員は自分の意志でそうしたのであり、しかもそろいもそろって弱卒だったかもしれない。しかし、兵を挙げて戦う兵を募ったのは明らかに希望の党である。希望の党の目で『排除する。絞り込む』とも明言しているのだ。その最高責任者は自らその代表となった小池百合子女史である。戦うなら必勝の戦略を講じておくのは兵の命を大事に思う大将の責務であろう。4人のうち3人が討ち死にを遂げるという結末になれば采配を揮った将軍は自決するであろう。弱卒を強兵に変えることもできるのが勇将であるという格言に沿って言うなら、小池代表は少なくとも勇将ではなかった。周囲から『あなたのせいではありませんヨ』などと慰めてもらえるような立場ではない。ひたすら謹慎するのが当然である。これだけは言えそうである。まあ、小生の個人的感覚から言えばこんな印象になるだろうか。
身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ
出処進退の美しさを日本人は何よりも重んじるものである。マア、今となっては又もや御身大事、風を読んでいるようにホノ見えるので、遅きに失したのだが。

2017年10月25日水曜日

前回投稿の補足:選挙戦のあと

今夏の都議選のあと、民進党はたかが地方選である都議選惨敗の責任をとる形で野田佳彦幹事長が辞任した。その幹事長の後任をきめる人選がうまくいかず、結局、蓮舫代表まで辞任するに至り、民進党は代表選を行うことになった。すべてはここから始まった。

職業生活が最終盤にさしかかり、隠居が間近に迫り、余裕ができてきた割にはまだまだ世間の修羅場に興味が残っている間は、▲▲三国志というか、●●戦国時代というのが本当に面白くて、フォローしていると局面の変化ごとに次はどうなるかと思わず唸っているのだな。とにかくリアルタイムの覇権闘争を自分は安全なところに身を置いて観察することほど面白い見世物は世の中にはない ー 当人達は生きるか死ぬかなので、大変なことはわかっている、この点は実に申し訳ないとは思っている。

よく分からないのだが、民主党が政権を失うに至ったA級戦犯は野田元首相だというのが党内世論だと色々な媒体を通して伝わってきている。まあ、確かに解散の引き金を引いたのは野田首相ではあったからだろう。

小生は、民主党支持者でもなく、遠い北海道で暮らしているのでよく知らないのだが、外から見ていて、野田元首相=A級戦犯という認識は納得が到底いかない勘違いである。民主党が信頼を失うに至ったのは、第一に菅直人元首相、第二に鳩山由紀夫元首相のあまりの低品質とお粗末な管理能力が原因であった。小生のカミさんは『民主党にも普通の人がいたんだね、野田さんが最初に首相をやればよかったのに』と話しているくらいだ。こんな感想が、実は一番多いのではないだろうか。

聞けば、野田元首相が民進党の幹事長をやっていること自体に党内では反感があったという。聞けば、菅元首相が野田幹事長辞任の旗を水面下で振っていたという。もしこれが事実なら、菅直人・元首相は民主党を二度つぶした、と。そう言っても過言じゃないかもネエ。

もう瓦解したあとで何をどうやっても元には戻らないが、大組織(であったろう)を崩壊させかねないような人物は、常に組織の中にいるものである。組織のためになる人物は、自らの好悪は別として、その能力は認めるという姿勢が全ての党員に欠かせなかったのではないだろうか。特に「政党という組織」に所属して活動をしている人たちは。

内部の不統一にもかかわらず、民進党は潜在的には高いポテンシャルを秘めた政党組織であった。このまま消滅して結党までの苦労が水泡に帰すとすれば、創立の理念も失われ、日本の国益にとってマイナスとなるのは間違いない。

× × ×

ともかくも、今回の「政治ドラマ」の幕がおりた。犠牲をある程度覚悟していたはずの安倍総裁は想定外の大勝利を得た。民進党議員たちは理由もないのに流浪を余儀なくされ苦労をしたが合計人数では意外や勢力を維持した。前原代表は微妙だが、政治家としては終わっただろう。小池百合子都知事は政治家として大怪我をした。巻き込まれ事故かもしれないが、本人も無茶をした。再起不能かもしれない。

交通事故もそうだが大怪我というのは、往々にして、しなくともいいことをして、その時に不意に運勢が暗転して、やってしまうものである。

2017年10月23日月曜日

まとめ: 選挙のあとに

衆院選2017の結果は、各社の世論調査や事前予測をほぼなぞるようであったので、実際の開票結果は予測の確認といったような塩梅だった。投票率が53.7%というのは関係ない。投票率が仮に95%であったとしても結果に大差はなかったであろう。基礎的な統計学でわかることだ。

やはり与党の圧勝、希望の党の自滅につきる。

これまでの投稿から抜粋するだけでも、総括としては十分なような気がする。

一つは9月29日付けの投稿から以下の下り。
マスメディア各社は面白いものだから<これで政権選択選挙>になったと力説している(もはや解説ではなく、まして報道ではない)。
見ようによっては確かにそうだが、それよりは今度の選挙は<イメージ*ムード vs ファンダメンタルズ>のどちらがより確実な勝因でありうるのか。こうとらえる方が正確だと思って見ている。
やはり選挙の勝敗は経済や外交など各面のファンダメンタルズが最も決め手になることが再確認できたと。そう結論づけている。

北朝鮮、中国ファクターもそうだが、景気、雇用状況、株価動向、物価動向、対米関係、対アジア関係、対露関係等々、どれをみても政権交代を望むような情勢はなかった。森友騒動、加計学園問題が、選挙期間中に結局は大きな論点として議論が広がることがなかったのは、国民の目がゆがんでいるのではなく、それが現実のリアリティそのものであるからだ。実際、与党が大勝したあとの本日、日経平均株価は岩戸景気時の14連騰を57年振りに更新する15連騰となった。安心感である。このような情況では野党が与党に勝てる理屈は基本的にはないのだ、な。というか、こんな情勢の中で与党を追い詰めようとしても、いざ選挙となると、うまく行くには余程の事情がいる。余程の事情があれば、まずは内閣不信任案が通るはずだ。不信任でなく、経済社会が好転しているなら、普通は野党の負けだ。

もしも民進党の左から右まで全てを小池代表が受け入れて、共産党とも協力して、日本新党ブームの再来を目指したとすればどうだったろうか?小生思うに、それでもダメだったと推量する。そもそも統一的政策提言がない以上、野合批判には耐えられないのだ。日本新党が成功した要素として、小沢一郎の『日本改造計画』があり、その小沢本人がバブル崩壊後の日本の政治で様々な仕掛けを進めていたことを忘れてはならない。民主党が政権を奪った時も、前年秋のリーマン危機で経済が混乱していた背景もあるが、同時に民主党の「マニフェスト」に対して、また民主党に所属する議員達に対して、国民が鮮烈な魅力を感じたことも勝利をもたらす主因となっていた。

一言で言えば、今回の与党大勝は民進党が自ら蒔いたタネによるものであった。マイナーな森友・加計問題であっても、内閣支持率に執拗な打撃を与え続ける蓮舫・野田執行部の戦術はそれなりの効果をあげていた。少し見っともない戦術(加えて、それなりに負の副作用もある戦術)であったにしてもだ。6月15日未明の通常国会では内閣不信任案の動議を提出してもいる ー もちろん与党によって否決されている。民進党は既に戦闘モードをとっており、自民党は受けて立つ政局として認識していた。一部のマスメディアも反政権闘争を展開中であったことはまだ記憶も新しい。民進党はそのまま不動の体制を維持すれば、安倍政権はジリ貧だったであろう。安倍政権がその危険を回避するため、いつか好機があれば早期に衆議院を解散して、信を国民に直接問いたいと考えたのは周知のことであり、小生が暮らしている北海道にも早期解散の可能性は伝わっていた。

その民進党の体制が都議選の敗退の責任をとるという理由で覆ってしまった。自壊した。そこに隙と混乱が生じた。安倍政権は当然の選択をした。そもそも、好機がくれば解散というのは政権の基本戦略であり、民進党はそれを熟知していたはずだ。それを民進党は自らが最も不利な状態でさせた。まさに「敗北の方程式」である。勝負はここで決まっていたのである。要するに、そういう事であった。前原・小池会談は、つじつま合わせで瓢箪から出たコマに過ぎない。後始末の茶番劇である。

リアリティを無視して、シナリオだけを書いても、うまく行くはずはなかったのである。

さて、もう一つは10月2日付けから。
頭をつかって、風をみて、一日中動き回ったり、雲隠れしたりしているが、肝心の結果が出てこない。忙しいわりには効率が悪い。キョロキョロしている割には、結果的には迷い道にばかり入りこんでノロマである。だからキョロマ。語源はこんなところだろう。
キョロマ達が時代の風にあおられて走り回っても、目立つことは目立つが、それは輝くとは言わないだろう。不動の定位置にあって光を放つのでなければ、「輝く」という動詞は使えない。
今回の「希望の党」と「民進党」の合流騒動を通して、頭が一番いい人は誰であったか。それは女性ではない。やはり民進党の前原代表が一番頭がいい。小池さんは他人がやるべき汚れ役を代わりに引き受けた分、人がよくて頭がわるい。ただ悪いはマイナス、いいはプラスとならないところが、人間評価の面白いところだ。
世間では希望の党の小池百合子代表が、不評を通り越していまや嫌悪の対象にすらなった印象で落ちも落ちたりという感が拭えないが、そもそも上に引用したように、小池代表がやろうとしたことは、前原民進党代表が自らの手を汚してやらなければならなかった事である。前原代表をすら使い捨てにしなかったところに小池代表の甘さがあったといえば言えるだろう。かつ、そこに小池女史が政治家として内に秘めていなければならない老獪さ、狡猾さがいま一つであることの証明をも見てとれるだろう。そもそも同女史が政治家として築いてきた実績はそう大きくはない。同女史がもっている政治家としての真の力量はそれほど高くはないということはこの点からも明らかだったはずだ。

本当は冷静にそう見ておくべきだったのではないだろうか。「小池劇場」のプロデューサーは、ご本人というより、視聴率が欲しかった(と同時にアンチ安倍闘争を盛り上げたかった)マスメディア大手企業である。そうみれば、小池百合子といえども、マスコミに使い捨てられようとしている<政治女優>の一人に過ぎない。

◇ ◇ ◇

ま、今回の与党大勝は民進党の(敢えて希望の党とは書かない)オウンゴールである。しかし、オウンゴールで試合の決着がつくというケースは確かにあるのである。

今回の選挙が多分に偶発的なものであったにせよ、これが結果であることに変わりはなく、これから新たな情況で決められて行く政治的決定が、日本の将来を決める現実そのものとなる。マスコミは政治ドラマをプロデュースしているつもりであったろうが、実際に起こることはドラマではない。

曲がり角を何気なく曲がったら、そこが迷い道であったことにならなければ幸いだと思っている。

小生自身は、前にも投稿したとおり、一地方紙や小規模な専門家集団が発表する小雑誌ならまだしも、巨大なマスコミ企業が暗黙に一つの政治的立場をとりながら政治に大きな影響力を行使することには全て反対である。そもそもマスメディア大手企業は個人企業ではなく営利法人であるが、法人には参政権はなく、投票権もない。そのような法人が発表する政見は、具体的にどのような人間集団の意見を代表しているのか、ある人間集団を代表しているのか、特定人物の主義を伝えているのか、外国人を代表しているのか、他の企業の代行をしているのか、外からはまったく分からないからである。このような主体が、国民に広く影響を及ぼすという形で実質的に参政権を行使している状況は、まったく不適切だと思っている。

【10月24日加筆】
立憲民主党・希望の党・無所属を合計した旧民進党系候補者の当選者は公示前議席を上回ったとの報道だ。これまた<瓢箪から出たコマ>が回りまわった末の<もっけの幸い>であった。立憲民主党に吹いた追い風の強さがいかに強かったかがわかる。今回の選挙で風を起こしたのは、老いたお局・小池百合子ではなく若年寄・枝野幸男であったということだ。そしてその風は、電波に乗せる映像と言葉ではなく、とった行動の勇敢さに吹いた。これまた疑いのないことだ。
まさに文字通り
巧言令色すくないかな仁(論語・学而)
いい言葉だ。

2017年10月21日土曜日

メモ: 能力を構成する複数の次元

人生のかなりの割合を<仕事>というものが占めている。職業人生がうまく終わるか、失敗して終わるかは、その人の幸福を大きく左右すると言ってもよい ー もちろん仕事で失敗しても、家庭生活で埋め合わせられている人も多いし、この逆のパターンもある。ま、職業も家庭生活も両方ともうまくまとめたい。幸福へ至ることは西洋哲学では最高善とされている。善でありたいというのは、極めて論理的な願いなのだ。

幸福かどうかを結果、幸福を求めているその人の人間的要素を原因として大ぐくりに整理すると、瞬間的時間において考えるか、少し時間をおいた短い期間で考えるか・・・という具合に、能力にも複数の側面、というか次元がある。

いま現時点でどう話すか、何をするかを選ぶのは<感情>によることが多いような気がする。少し長めの時間をとった時に、是非や優劣の順序を決めるのは、やはり<理性>である。しかし、もっと長い期間をとったとき、方向軸がぶれず、一貫した努力を続けていけるかどうかは、理性というより<意欲>が大事だ。<意志>とも言える。そして、意欲や意志が適切であるかどうかは、最後にはその人の心の中にある<理念>が大事になる。では、その理念を形成するのは・・・。キリがないが、多分、その社会の慣習や伝統・美意識、宗教や哲学・世界観が軸になるわけで、マクロ的には<国民性>とか<民度>というものになって現れるのかもしれない。

この中で、いわゆる「頭がいい」というのは、理性の働きが速い、的確である、記憶力と論理的思考力が卓越している。大体、そんな意味をこめることが多い。頭だけではダメだというのは、感情の美しさや意欲、理念が高邁であるかどうかも同程度、というか一層重要であるからだろう。

ここまで書いてきて語呂合わせのように気がついたが、意欲といえば欲、意志といえば志だ。志(ココロザシ)といえばイメージが良いが、実は欲(ヨク)と一体のもの、実は同じものかもしれないねえ。そんなことだ。

2017年10月18日水曜日

メモ: 経済問題、最近の七不思議にまた二つ

今日時点で疑問に感じている点が少なくとも二つはある。なぜ本筋の議論をしようとしないのか、小生にとっての七不思議にリストアップした(もう七つは超えてしまったが)。

疑問1: 給付型奨学金の拡大
とりあえず簡単のため大学・大学院に議論の対象を限定しておきたい。「貸すのではなく、お金をあげるのだ」とすれば、どんな学生にお金をあげるのか、給付型奨学金の支給対象者の選別方法で紛糾するのは必至だ(授業料免除などは予算枠があるので学内で適否が審査されている)。 万が一、税金をドブに捨てるようなケースが発生するならば、どんな理想があれ、それ自体が悪(というより、退廃?堕落?)であろうから、支給による効果を最初にチェックするのは当然であろう。規模が小さいなら、世間の関心を呼ばずに「なんとなく支給」という方式もありえるだろうが、拡大するなら合理的に説明可能な方式を決める必要がある。これは非常な難問であるに違いない。
給付型の「学費支援」は日本は既に実質的に広範にやっている。 
公費で運営する国公立大学の授業料を一律的にさらに引き下げればよい。 
授業料をゼロにするセグメントがあってもよい。必要なら、国公立大学、学部・学科を新設したり、定員を増やせばよい。 
大学への合否判定で自動的にスクリーニングできるので来年度からでも実施可能だ。特に地方圏の子弟にとっては「希望の道」になる。経営の拙い割には不透明で国民の目が届きにくい私立大学を淘汰できるというプラスの効果も期待できるだろう。
戦前期は、陸海軍の士官学校、兵学校(現代の防大も同じ)、教員など教育指導者を育成する師範学校は授業料がゼロであった。ただ公費支給範囲がいかにも狭かった。が、経済的に恵まれない子弟が学問を志し、才能を開花させる道は提供されていた ー このことは日本が貧しさからスタートしたことの現れでもある。危機感の現れと言ってもよい。同じ危機感をもてば同じ選択につながるのではないか。
引き下げようと思えば簡単に引き下げられる国公立大学の授業料をまったく検討することなく、はるかに難しい制度設計が伴う給付型奨学金を議論するのは、やっぱり七不思議だネエ。そう感じてしまう。 

疑問2: 企業の内部留保課税
同じことは配当に対する分離課税税率を20%から(たとえば)30%に引き上げればよい。しかし、こうすると株主は配当で受け取るのではなく、内部留保による株価上昇という形でもらう方を選ぶはずだ。だから配当課税を重くしても税収は増えない理屈だ。 
故に、内部留保課税。目的は資本所得課税の強化である ー 資本課税にまで踏み込んでくると財産権不可侵とぶつかり社会主義に近くなる。同じことは所得税の累進度強化でも達成できる。アメリカなら共和党ではなく民主党政権がやりそうな政策である。 
配当・内部留保など資本所得に対する税率を引き上げるなら、日本企業に資金を投じる魅力が外国企業に比べて下がる。いまでも日本人にとってイギリス株を買うのは魅力的だ。というのは、配当の源泉税率はイギリス側でゼロである。加えて、イギリスでは法人実効税率が20%で日本の30%弱より随分低い(資料はここ、イギリスはもっと引き下げようと言っている)。それもあって英企業の配当利回りは非常に高い。だから日本株を買うより英株の方が有利だ ー アメリカ株ならいわゆる「配当の二重課税問題」があり複雑になるが、概して米企業の配当利回りは高く、米株有利の状況がある。今でも日本企業は資本調達で不利なのだ。 にも関わらず、もっと日本企業を不利にしようとしている。これは不思議である。
日本で新規事業が減れば、優良な就業機会が減る。収入は伸びず、低劣な仕事ばかりが増える。アメリカならこんな反対論が必ず共和党支持者から噴出して、与野党が伯仲するだろう。が、日本では「実は財務省も腹のなかでは考えていたのだ」などと、あたかも内部留保課税が正しい道であるかのような流れが出来かかる。これ、実に不思議だ。どちらが正しいなどと簡単に結論が出るような問題ではないのだ。
まあ、自民党政権では所得税の累進度強化は言い出せないだろう。分離課税廃止などは絶対無理ともいえる。これは自明だ。資本所得課税も言えない。だから消費税の税率引き上げを提案している。消費税率の引き上げは<党派的>と言えばたしかに党派的ではある。自民党の党益からみれば仕方のない選択だ ー 大衆福祉国家の理念が強かったヨーロッパは、それでも付加価値税20%の世界を築いているのだが。資本所得課税強化より穏やかな選択、たとえば所得税の累進度強化(さらには配当・譲渡益の分離課税廃止)を正面から訴えている政党が日本にないのは、やや不思議だ。低所得層から中の下までを減税、中所得層の上からは増税。人口でいえば利益を得る人が多いはずなのだが誰も言わない。近年の格差拡大は株式運用益の大小でほとんど説明できるはずだ。これを言う政党が一つもない。不思議だ。七不思議にリストアップしてもよいのだが、多分、ブレーンらしいブレーンがいないだけの話なのかもしれない。でなければ、自分の所得にとってマイナスだからかもしれない。

ついでにいうと、今度の選挙でどこかの党が口にしているベーシック・インカム。『私たちも言葉は耳にしています、良さそうネ、公約に入れておきましょうカ』という感覚で、まるで『サンタクロースが住んでいるお伽の国があるのヨ、そこではネ、・・・』という母の寝物語にも似ていて、どう考えておけばよいのか分からない。