2012年1月31日火曜日

経済学を知らない欧州当局?

Financial Timesが欧州財政統合について論じている。コピー・ペーストには厳格であるようなので、オリジナルをリンクしておく。


とはいえ結論の部分だけは許容範囲だろうと思われる。
So if Spain were to follow the example of Greece, and ignore what happened in Japan, the most likely result would be a severe and prolonged recession. To me, that is a much larger threat to the eurozone than any of the various crisis offshoots that excite us momentarily. In the big scheme of things, it really does not matter whether Greek bondholders agree on a voluntary participation. If Spain were to fall down a black hole, no rescue fund, however large, would be able to drag it out. 
The irony is that a fiscal treaty that set out to reduce the eurozone’s debt could be the cause of a debt explosion, because it greatly increases the risks of a semi-permanent slump in large parts of southern Europe. If that were to happen, nothing could save the eurozone. (Source: Financial Times, January 29, 2012 9:01 pm, by Wolfgang Münchau)
筆者のMünchau氏は今回の財政協定は”狂気の沙汰(quite mad)”と形容している。善かれと思って実行することが良い結果を生むとは限らない。財政緊縮はその典型である。スペインが、IMF推奨の緊縮策をより一層ドラスティックにして財政赤字縮小を目指す。これは破滅的な負のループにヨーロッパ全体を陥れることになるだろう。景気後退期には税収の自然減など自動安定装置(Built-in Stabilizer) を活用するべきであって、意図的に財政均衡を目指すべきではない。この指摘は、マクロ経済学のテキスト通りで大変オーソドックスだ。昨夏のECBによる唐突な金利引き上げもそうだが、確かに大陸欧州の政策当局は経済学を知らない。そう言われても仕方がありません。

だから今回の財政協定は<不必要>であるとファイナンシャル・タイムズは論じている。キャメロン首相との対立も不必要な対立である、と。英国は、いまのEUについていけない。そんな議論だ。

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同じことは、野田現政権が進めようとしている消費税率引き上げについても当てはまりそうだ。が、こちらは話しは別。IMF、OECDとも日本については、いつ金融市場が混乱して、国債が販売不能になるかもしれないので、可及的速やかに増税をするのがよいと推奨している。たとえば

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強調されている背景は、言うまでもなく東日本大震災からの復興事業に要する財源調達。新しく発生した財政需要に対して、国債の新規発行では、市場で消化しきれないという判断がある。

小生、いつも最も不思議に思うのは、民主党のマニフェストだ。大震災前に作成した長期方針が、大震災後にも通用するかのように議論している。その民主党とマスメディアの思考構造である。たとえば関東大震災前に政府が公表していた政策方針が、大震災の後にも変更なく有効であったか。そんなはずがないであろう。

起こった大災害は起こったものとして戦略を変更しなくてはならない。変更するのは、無論、その時点で政権にある与党である。いくら政権に戻りたいと思っても「現在のマニフェストでは今回の大震災は想定されていない。故に、現在のマニフェストは破産している。与党は有権者との約束を果たせない。早々に解散をして民意を問うべきである」、こんな風に叫ぶ野党党首がいたとすれば、単なる<バカ>である。想定外の変動が起きるたびに選挙をしないといけない。野党は想定外の大災害を待ち望むようになるだろう。そんなモチベーションを与える制度が良い制度であるはずがない。

民主党は、大震災後の日本が歩むべき道筋を示すために<改訂マニフェスト>を速やかにまとめるべきである。それに基づいて、消費税率引き上げと社会保障の再構築に関して議論するのが正攻法のはずである。













2012年1月30日月曜日

スタッフの業か?為すべきことを諦め、為し得ることを為す

好きな作家にアイザック・アシモフがいる。ア氏のファウンデーション・シリーズはデューン「砂の惑星」とともに小生が若かったころ、仕事仕事で無味乾燥だった毎日を支えてくれた大作である。そのファウンデーション・シリーズは、ア氏が他界した後、グレゴリー・ベンフォードの「ファウンデーションの危機」によって書き継がれた。そこで出てくるショート・フレーズ
天才は為すべきことを為し、秀才は為し得ることを為す
これが、小生、とても気に入っているのだ。

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時々、想像してみる。いま経済産業省に勤務していてエネルギー事業を担当していたらどうであったろうと。そもそも福島原発事故による損害賠償債務はサンクコストであり、東電はその債務弁済を電力事業で回収することはできない理屈だ。できるとすれば、顧客が東電以外の企業からエネルギーを購入することが不可能で、しかもそれを政府が担保している。そんな法的独占が必要である。しかし、法的独占の下で賠償支払いを円滑にするに十分な価格を設定しようとすれば、やはりそれは政治的に可能ではないだろう。また、首都圏だけをそうしても意味がない。日本全体でエネルギー独占体制を堅持し、その枠組みの中で賠償債務を価格に転嫁する。事業で回収しようとすれば、こうするしかないのがロジックだ。理屈としてはあるが、実際には製造業の海外シフトを加速させるだけだから、どう考えても東電による円滑な賠償支払いは無理である ― しかも現時点においては、原発再稼働を社会が受け入れるかどうかというハードルまである。

とすれば、企業として東電が保有している資産を売却して賠償するしかない。債務超過に陥れば、あとは国の責任になる。国の責任を東電に対する公的資本注入という形で実行するか、それとも東電を清算して、別の組織が賠償債務を引き継ぐか。行きつくところは、この点の検討しかないわけである。

しかし、「この点の検討しかないと思うのです」と述べたところで、「誰も君の考えを聞いちゃいないよ」という風にしか物事は進んでいかないだろう。そもそも総理大臣や経済産業大臣が考える線に従って物事を進めることすらできないのが現実なのだから。現時点で政策決定を支配しているのは<ロジック>だけではないだろう。東京電力という巨大企業に残っている生存本能、政治家との仁義、責任回避を求めるエゴ等々、あらゆるファクターがもつれ合っているはずであり、一人一人の官僚が構築する理屈は、しょせん理屈でしかない。

与えられた組織の中で与えられた責任と権限の中で仕事を全うしようとすれば、自らの為し得ることの中で最善の選択肢をとることで満足するしかない。たとえそれが、学問的な見地から正当ではないと自らは考えていても、組織とそれをとりまく社会が容認しないのであれば、為すべきことを為すことはできない。秀才は努力をすれば誰でもなりうるが、天才は努力をしてもなれるわけではない。秀才は教育によって養成可能であるが、天才は社会がそれを認めるかどうかにかかっている。

為すべきことを為す人材がいないとすれば、それは天才が権力を得る機会がないからだ。アシモフ=ベンフォードならそう言うにちがいない。真の天才は、機会が与えられずとも、自らが機会を創出して、それを為すのであろうが。

2012年1月29日日曜日

日曜日の話し(1/29)

昨日は、卒業年次の学生達によるビジネスワークショップが札駅前サテライトにて開催されたのだが、千歳線雪害のためJRが走らず、1時間の遅参となった。自宅はマンションゆえ除雪の労役は免れているが、戸建ての住人は誠に大変であるよし。

雪は、北海道においては只々労働の原因となる厄介者であるが、それでも夜になって静寂の中を帰宅する時、深々と降る雪の中を歩くのは心やすまるひと時である。見あげれば北極星や北斗七星がはっきりと眺められるなら尚更のことだ。小生は、冬空にかかる銀河がいかに雄大であるか、北海道に移住して初めて知った。惜しむらくは雪の上がった晴天の夜にしか見られないことだ。

雪を描いた名作となると絵画では印象派のモネが懐かしい。古くはブリューゲルも雪景が上手だ。


モネ、雪のアルジャントゥイユ、1875年

モネは他にも何枚か雪の絵を描いているが、いずれも暖かく、生命を包みこむ感覚に満ちている。しかし、上の作品をみても、これは雪が降り積もった風景であって、雪が降り積もりつつあるその時ではないようだ。

小生が好む現代洋画家に戸狩公久氏がいる。呼吸を学ぶため模写をさせて頂いたこともある。下は氏が小樽を主題とした名品である。


戸狩公久、北幻(小樽)

まさに雪が天から落ちてきているその時間における港と石造り倉庫を描いている。温かい雪ではないが、モネの雪に比べると意外と饒舌な雪である。冷たくはあるが、雪の下で熱い生命を育てている、そういう雪ではなかろうか。

2012年1月27日金曜日

メルケル税制改革の収穫期が訪れたドイツ?

日本の野田政権と財務省は悲願の消費税率引き上げに向けて<不退転>の姿勢を貫く覚悟のようだ。それにしても、震災復興、電力不安さらには欧州債務危機にまで揺さぶられる国内経済の中、「なぜいま?」という声は強い。

独紙Sueddeutsche Zeitungには以下の報道があった。
Im Dezember 2011 hat der Bund so viele Steuern wie noch nie in einem Monat eingenommen: Finanzminister Schäuble darf sich einem Bericht des Handelsblatts zufolge über mehr als 70 Milliarden Euro freuen. Das bedeutet für den Bund: Die Neuverschuldung 2012 könnte niedriger ausfallen als geplant. (Source: SZ 27, 1, 2012)
昨年12月のドイツの税収は、景気後退の懸念が強まる欧州にあって何と過去最高を記録したとのこと。この結果、国債の新規発行は予定より下目で済みそうであるとの見込み。何と羨ましい。我が国の財務省官僚は唸りそうである。


しかし、これも付け焼き刃ではない改革の長い道のりを経た成果である。たとえば資料「ドイツ税制改革」を参照。下は資料本文から引用した。
2005 年の連邦議会選挙の結果、社会民主党(SPD)とキリスト教民主/社会同盟(CDU/CSU)による大連立政権が成立し、CDU党首のメルケルが首相に就任した。当時のドイツは、4年連続でマーストリヒト条約における財政赤字基準(一般政府の財政赤字対GDP比3%以内に抑制等)を超過しており、財政再建が喫緊の課題とされていた。こうした背景から、メルケル大連立政権の下で、一連の税制抜本改革が行われることとなった。
2005年の政権獲得後、キリスト教民主/社会同盟は前与党である社会民主党とメルケル大連立内閣を結成し、EU条約違反となっていた財政不均衡を是正するため、税制改革を実行した。政権獲得の翌年には付加価値税率の引き上げ、所得税最高税率の引き上げを決め、1年後には法人税率の引き下げを決めた。柱がしっかりとした誠に骨太の政策であり、「1万円ばらまき」のような華奢な人気取り政策は議論すらしていない。リーマン危機の少し以前のことであり、経済状況はピークアウトの心配は唱えられていたが、その後に比すれば御の字であった。時機の選択は適切だった。

これに比べると・・・などと言っても何が始まるわけでもないが、国家に責任をとることをためらわない「西洋の政党」と日本の政党物真似劇との違いが如実に現れているではないか。これでは、極めて悪い意味での<和魂洋才>。真似するなら全て100%、西洋のマネをするべきであった。

2012年1月26日木曜日

バンドワゴン効果なのか?タイムドメイン社のスピーカーをゲット

スピーカー"TIMEDOMAIN light"を買って、それにiPhone 4Sをつないでプレスリーを聴いているところだ。価格は約2万円。いままではBOSEを使っていた。

聴いた第一印象は、低音部が弱い。しかし、ずっと聴いていると、BOSEの音は輪郭が広がっていて些かファジーであるのに比べて、TIMEDOMAINは輪郭線の線幅が1ピクセルという感じで、極めて明瞭である。「これでクリアだという評価につながっているのだな」と、納得した次第だ。

それにしても、この音がアンプ内蔵で2万円とは・・・音を拾っている機械がiPhoneという携帯であるので、2万円ポッキリというわけではないが、安く良質の音が手に入るようになったものだ。

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小生がオーディオなるものに初めて触れたのは、すごく遅くて中学一年の頃である。亡くなった父が母と一緒に秋葉原まで出かけてVictorのコンソール型(といったか、一体型のやつである)の幅が1メートル以上もあるステレオを注文してきたのだ。それが冬休みに入ってから我が家に届き、当時のピアノの大家Wilhelm Kempffによるベートーベン・ピアノ奏鳴曲第8番をきいた、それが小生のオーディオ初体験だ。あのステレオはいくらしたのだろうかなあ?確か9万円とか、10万円とか母が言っていたような気がするが。であるとすれば、帰属家賃を除く消費者物価指数(総合)で物価全般を測ると、2005年を100とする接続指数で1965年当時は25.5である。2005年以降はほとんど消費者物価は横ばいだから、概ね当時の価格を4倍すると今の生活感覚に近くなる。9万のステレオは、今の尺度にすれば36万円になる計算だ。

高級なオーディオ製品を買ってきたものだなあ、と。今更ながら父の購入動機をいぶかしく思います。それにも増して、いま聴いているタイムドメインの音質はなかなか良く、当時のビクターより確実に上を行っている。しかしながら、満足度は比べ物にならず、昭和40年当時のステレオが勝っている。音は悪くとも36万円の価値があった。音は良くなっていても、いまは2万円の価値しかない。昔と同じ音質なら1万円もカネを払おうとしないだろう。

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良いものを作ってもカネを払おうとしない時代。だからデフレなのだな。そうも言える。それは人が満足を感じなくなったからだ。

いくら良質のものを作っても、技術を磨いても、人が価値を認めなければ、カネを払って買おうとはしない。カネは、その人の汗と労力の果実だからだ。少しの報酬を得るのに苦労をする時代であれば、なおのことカネを大事にする。人が価値を感じる根源には、人の汗と労力、それと涙がある。楽に、自動的に提供されるものに、人は価値を認めようとはしない。その意味で、マルクスの、というかアダム・スミスの<労働価値説>は完全に死んではいない。金融界の高給に広く疑惑が浸透しているのは、それが真の価値を提供したことによる対価ではなく、多くは偶然とラッキー、更にはウソによる収入だとみているからだと考察される。

そう考えると、モノではなく、いま価値を認められるのはサービスだということになる。心遣いと、馳走の精神に人は価値をみとめ、感謝の気持ちとしてカネを払う。だからサービスは「儲かる」のだ。無手勝流で金儲けをする奴らよと伝統的製造業が宣うとすれば、それは価値の本質を忘れた嫉妬である。日本はモノ作りの国という製造業界自作自演による神話劇はそろそろお仕舞いにする時期が来たようだ。

2012年1月25日水曜日

ベア支持論は労組シンパになるのか?

またまた日経から引用すると以下のような報道がある。経団連と連合の定昇是非論である。
経団連と連合は25日午前、2012年の春季交渉を巡るトップ会談を開き、労使間の協議が事実上始まった。経団連は今回の経営側の指針として、一人ひとりの基本給を一定時期に上げる定期昇給について「延期・凍結」の可能性を指摘している。これに対し連合の古賀伸明会長は会談後、記者団に「踏み込みすぎ。労使の信頼関係が置き去りにされる」と批判した。 
経団連の米倉弘昌会長は会談の冒頭に「長引くデフレや行きすぎた円高、欧米諸国の景気低迷など日本企業を取り巻く環境は極めて厳しい」と指摘。賃上げよりも国内雇用の維持・創出に重点を置くべきだとの考えを示した。経団連は23日発表した「経営労働政策委員会報告」で「ベースアップは論外」としたうえで定昇について「延期・凍結」の可能性に言及、厳しい姿勢を示している。
これに対し連合の古賀会長は「人への投資が困難を乗り越えて未来をつくる」と主張。「(労働者への)適正な配分による個人消費の拡大が成長とデフレ脱却にもつながる」と強調した。連合は昨年に引き続き給与総額の1%引き上げを求めている。
(出所:日本経済新聞2012/1/25 11:00 配信)
経営者側は定期昇給は論外。労働側は適正な配分が消費需要拡大とデフレ脱却につながると主張している。

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小生は、今回ばかりは連合側の主張がマクロ経済上の観点から適切だと思う。とはいえ、この辺、経済学者の間で意見が相当分かれてくる論点だと予測している。以前、インフレーションが大問題である頃、コストプッシュ型か、ディマンドプル型かという論議がなされたものだ。今のデフレーションについても思考の枠組みは同じでよい。分析技術は高度化したが、経済を見る目が昔と今で全然違うということは、革命があったわけでもないし、あり得ないことだ。

確かに総需要が低下すれば、企業側のコストが一定でも物価が下落することは授業でも説明している。需要が低下すると、生産が縮小し、雇用も縮小する。雇用が縮小すれば窓際族はリストラされるので労働の限界生産性が高くなる。企業側の均衡条件は
価格×労働の限界生産力=名目賃金
である。限界生産力が高止まる分、名目賃金一定の下では、企業側に低価格攻勢を仕掛ける余裕が生まれる。だから賃金は据え置き、価格は下がることになる。この場合、実質賃金は上がるわけである。結果だけをみると、実質賃金が高すぎるために、雇用を拡大できないという理屈も、現象的には当てはまっている。しかし、労働市場で需給バランスをとるような調整は行われていないので、実質賃金が高すぎるので云々という価格調整論をとりあげても、意味のない議論である。

もし賃金一定ではなく、名目賃金を下げれば、企業側はより一層の低価格攻勢をかける動機をもつ。これは上の式から簡単に分かることだ。では、定昇が行われるとどうか?この場合、一定の人的資源に高いコストがかかる。上の式の右辺が上がるので、左辺も上がらないといけない。雇用のスリム化で雇用者の生産性が上がっているとしても、同時に価格を下げるという動機は弱くなる。このロジックは日本市場においても、グローバル市場においても、当てはまる。

定期昇給は国内企業から、日本と世界双方の市場で、攻撃的安値戦略をとる誘因を奪うだろう。

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しかし、それでは国内市場に輸入されてくるアジア製品に太刀打ちできないのではないか?そんな疑問がある。そもそも輸入されているアジア製品には何らかの形で日本企業が関係している。一律に判断することはできないが、国内企業が低価格攻勢への誘因を持たなくなれば、輸入品販売企業もまた価格引き下げ競争への誘因を失うのがロジックだ。そもそも千円で売れる商品を何が悲しくて900円に割り引くのか?よほどの過剰生産能力がなければそんな安値戦術を自ら仕掛ける動機は企業にはない。競合企業が安値で売るからである。自作自演の値下げ競争を停止させる一つの方策は、<コスト圧力>を上げることである。

それでもなお、国内企業が輸入品に市場を奪われて企業利益が低迷するかもしれない。それが怖いがために、国内雇用者の賃金を引き下げている状況とくらべて、いずれがより心配な経済状況であるのか、真剣に議論しておかなければならない。が、それはさておいても、本当に国内企業の利益が激減するなら、株式市場が暴落するだろう。それは円高から円安へのトレンドを生むだろう。

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あるいはまた、国内の労働コストが上がれば、国内企業の海外流出が加速するのではないか?そんな心配もある。就業機会が減ってしまっては賃金もまた下がるしかないではないかというわけだ。

小生は、日本の産業政策がずっと不毛であったのは、この論点を避け続けたことにあるとみている。むしろ、賃金を抑制することでしか国内で採算のとれない産業が、海外に自然に流出したあと、それでは国内市場ではどこで労働需要があるのか?それをこそ議論しなければならなかった。日本は生活大国とはほど遠い。ものは揃っていて、相応に豊かではあるが、満足感や幸福感に乏しく、暮らしを楽しむ機会が少ない。リタイア後の10年は人生を楽しみ、10年は体をいたわる。そんな構想をたてても、国内にはよい事業者が十分育っていない。身の回りで充実したいところは実は非常に多いと小生は思っている。伝統的なモノづくり産業が、消費者の財布からお金を吸収し続けているために、伸びるべき新産業が伸びられずにいる ― もちろん求められているサービス分野がほとんど全て規制の網にからめとられている点もある。

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それ故に、コストダウン+安値攻勢という自作自演のデフレ劇はそろそろ止めにして、労働組合には正当な報酬を獲得するべく粛々と経営者側と交渉して頂きたい。もちろん正規社員のための団体交渉ではなく、労働者のための団体交渉としてであるが。

日銀がいくらペーパーマネーを印刷してもマネーは海外に流出するばかりで、デフレは延々と続いている。デフレを退治する最後の特効薬はコスト・プッシュ。つまりは定期昇給実施である。小生、そう見ているところだ。

2012年1月23日月曜日

東電 — 経営見直しは解体のことなのか?

日経が(他紙も報道するだろうが)こんな記事を流している。
東京電力と政府は公的資金を使った資本注入後の東電について、火力発電部門の分離・売却を軸とした経営形態見直し案の検討に入った。東電の発電能力の約6割を占める火力部門に外部資金を導入し、コスト圧縮にもつなげる。残る原子力などの発電や送配電、販売などの各部門は経営透明化のため社内分社による独立運営とする案が有力。これまでの発送電の一体運営を一部見直す形となり、電力市場の競争が本格化する。(出所:日本経済新聞1月23日朝刊)
記事によれば東電本体には水力、原子力、送配電、営業サービス部門が残り、機能別にそれぞれが独立カンパニーとなる。東電本社は持株会社になるのか。この個別カンパニーで最大の資産規模を持つのが送配電部門だ。記事に引用されている資産額を引用すると水力、原発、送配電それぞれ6600億円、7000億円、5兆500億円。資産収益率が部門ごとに一様であれば、利益の大半は送配電事業から得るという理屈になる。燃料コストの上昇傾向が見込まれる火力部門(6600億円)は、他企業との競争、M&Aに委ね、というかリストラをして、送配電事業をプロフィットセンターとする。正に<選択と集中>、そういう構想のようだ。

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顧客は、独立系の火力エネルギー価格と、東電が遠隔地から引っ張ってくる原発・水力エネルギー価格を比べて、いずれか安い方から買うという行動をとるだろう。東電の遠隔地エネルギーが安価であれば、独立系事業は競争力は持たないが、超過需要があれば限界費用で市場価格を決められるので東電には超過利潤が形成される。しかもそれは独占利潤ではないという理屈になる。東電のキャッシュフローは賠償負担に十分耐えられる。多分、今回の経営見直しはこのような経済メカニズムを期待しているのだろう。

とはいえ、東電が保有する原発施設は福島県、新潟県、青森県ですべて遠隔地である。福島原発の再稼働は多分半永久的に無理だろう。新潟柏崎、刈羽原発も再稼働には多くの困難がある。青森東通原発は建設して無事稼働できるのか?いずれにしても原発安全投資を行ってはじめて稼働できるのではないか。その投資負担がある。というより、民間企業の事業として原発事業を継続することは政治的に可能なのだろうか?

売電収入が低調であれば ― これも電気料金を完全に市場で決めるのか、規制料金にするのかでどのようにでもなるが ― まさに100%送配電収入に依存せざるを得ない経営体質になるだろう。その送配電施設は、重複投資を避けるという理屈の下に民間企業である東電本体が独占するはずだ。送配電設備の使用料金は、東電が負担する損害賠償債務支払い額を上乗せした独占価格に設定される可能性が高い。そのように高い送配電使用料を独立系発電事業者が負担すれば、いくら競争原理の活用でコストを節減しても、首都圏内のエネルギー価格抑制には焼け石に水だ。首都圏内の製造業空洞化が急速に進むことは間違いがない。それを防止するには、規格統一の名の下に全国の送配電網を電力会社から切り離し<送配電事業公社化の検討>を俎上に上げざるを得ない。もしそうなれば、福島原発事故の損害賠償は、送配電設備の使用料負担を通して、まさに全国民、全企業が支払うという結末になろう。そうなれば首都圏内の製造業空洞化ではなく、日本全体の製造業空洞化を加速させることになる。

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大事なことは、福島原発の損害賠償コストは<サンクコスト>であって、世界市場においてはどう工夫をしても回収不能である点だ。損害賠償コストは、電力原価には含めようがない以上、商品価格・サービス価格にのせてとることは土台無理である。無理を通すには独占を維持するしかない。その独占は、首都圏だけではなく、全国を網羅するしかない。しかし、そうすれば企業は日本から脱出するだけなのだ。

原発事故による損害規模は民間企業が負担するレベルを超えている。速やかに清算し、従来の事業を継承する新組織を設立し、それでも残る賠償債務はエネルギー計画を推進して来た国が責任を負うのが筋である。そのためにエネルギー事業のうち、必要な部分を国営事業とし、その公社が送配電事業以外の関連事業 — ほぼ察しはつくだろうが、たとえば既存電力会社の超過利潤吸収は当然のことになる、その場合、市場を自由化しておけば電力料金の上昇圧力にはならない — を行って利益をあげ、利益から福島原発事故の補償を進めていく。選択肢としては、このような方向しかないのではなかろうか。そうでなければ税である。それも電力税では資源配分のロスが大きい。一般財源を使うしかないのだ。しかし、それは国民の容認する所ではあるまい。だから国が営利事業に参入して、税以外の財源を創出するしかないのだ。営利事業のビジネスチャンスは、新たな規制が生み出しうること、言うを待たない。もちろん日本社会が、<背に腹は代えられぬ>ということで、そうした国による営利事業を容認することが前提ではあるが。要は、税以外の財源創出の工夫の余地はいくらでもあるということだ。それ以外に、原発事故による広範な地域の損害賠償を支払うことが可能だろうか?