聴いた第一印象は、低音部が弱い。しかし、ずっと聴いていると、BOSEの音は輪郭が広がっていて些かファジーであるのに比べて、TIMEDOMAINは輪郭線の線幅が1ピクセルという感じで、極めて明瞭である。「これでクリアだという評価につながっているのだな」と、納得した次第だ。
それにしても、この音がアンプ内蔵で2万円とは・・・音を拾っている機械がiPhoneという携帯であるので、2万円ポッキリというわけではないが、安く良質の音が手に入るようになったものだ。
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小生がオーディオなるものに初めて触れたのは、すごく遅くて中学一年の頃である。亡くなった父が母と一緒に秋葉原まで出かけてVictorのコンソール型(といったか、一体型のやつである)の幅が1メートル以上もあるステレオを注文してきたのだ。それが冬休みに入ってから我が家に届き、当時のピアノの大家Wilhelm Kempffによるベートーベン・ピアノ奏鳴曲第8番をきいた、それが小生のオーディオ初体験だ。あのステレオはいくらしたのだろうかなあ?確か9万円とか、10万円とか母が言っていたような気がするが。であるとすれば、帰属家賃を除く消費者物価指数(総合)で物価全般を測ると、2005年を100とする接続指数で1965年当時は25.5である。2005年以降はほとんど消費者物価は横ばいだから、概ね当時の価格を4倍すると今の生活感覚に近くなる。9万のステレオは、今の尺度にすれば36万円になる計算だ。
高級なオーディオ製品を買ってきたものだなあ、と。今更ながら父の購入動機をいぶかしく思います。それにも増して、いま聴いているタイムドメインの音質はなかなか良く、当時のビクターより確実に上を行っている。しかしながら、満足度は比べ物にならず、昭和40年当時のステレオが勝っている。音は悪くとも36万円の価値があった。音は良くなっていても、いまは2万円の価値しかない。昔と同じ音質なら1万円もカネを払おうとしないだろう。
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良いものを作ってもカネを払おうとしない時代。だからデフレなのだな。そうも言える。それは人が満足を感じなくなったからだ。
いくら良質のものを作っても、技術を磨いても、人が価値を認めなければ、カネを払って買おうとはしない。カネは、その人の汗と労力の果実だからだ。少しの報酬を得るのに苦労をする時代であれば、なおのことカネを大事にする。人が価値を感じる根源には、人の汗と労力、それと涙がある。楽に、自動的に提供されるものに、人は価値を認めようとはしない。その意味で、マルクスの、というかアダム・スミスの<労働価値説>は完全に死んではいない。金融界の高給に広く疑惑が浸透しているのは、それが真の価値を提供したことによる対価ではなく、多くは偶然とラッキー、更にはウソによる収入だとみているからだと考察される。
そう考えると、モノではなく、いま価値を認められるのはサービスだということになる。心遣いと、馳走の精神に人は価値をみとめ、感謝の気持ちとしてカネを払う。だからサービスは「儲かる」のだ。無手勝流で金儲けをする奴らよと伝統的製造業が宣うとすれば、それは価値の本質を忘れた嫉妬である。日本はモノ作りの国という製造業界自作自演による神話劇はそろそろお仕舞いにする時期が来たようだ。
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