2013年12月15日日曜日

日曜日の話し-親鸞の過激さ「悪人正機説」をどう感じる

親鸞は浄土真宗の宗祖であるとともに、真宗が一向宗と通称されていた時代においては、戦国大名たちにとっては言いようのない恐怖の大王のような名でもあったろう。と当時に、現代においては必読書の中に必ずあがる『歎異抄』の主人公でもあるので、日本に生まれたあらゆる仏僧の中で親鸞は弘法大師・空海と並ぶ知名度をもっている。

その親鸞の宗教思想は「悪人正機説」として知られている。高校時代の倫理、または日本史の授業で
善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや
という歎異抄の一節をきいた人は多いのじゃないかと思う。善人ですら極楽浄土に往生できるというのに、悪人が往生できないということがあるものか。現代語ではこういう意味になるが、いやあ逆説的であります。なぜこう考えるのか、反対ではないか、そう思いました。バカじゃないか、ミスプリじゃないかと。



しかし、味わい深いのだな、これが。今日、何気にドラマ「白夜行」のアウトラインをみていると、毎回、武田鉄矢扮する笹垣潤三が口にしていた歎異抄の一節がまとめられていた。下に引用しておく。


笹垣潤三(演:武田鉄矢)が作中で呟いた歎異抄の一節は次の通り。 
第1話:「悪をおそるるなかれ。弥陀の本願さまたげるほどの悪なきゆえに。」(第一章)
現代語訳:悪を恐れることはない。阿弥陀仏の本願を妨げるほどの悪はないのだから。 
第1話:「わがこころのよくて人殺さずにあらず。人害せじとおもうとも、百人千人殺すことあるべし。」(第十三章)
現代語訳:自分の心が善良だから人を殺さないというわけではない。いくら人を殺すまいと思っていても、百人や千人を殺してしまうこともあるだろう。 
第3話:「この親鸞は父母供養のため、一返にても念仏そうらわず。」(第五章)
現代語訳:この親鸞は、父母の供養のために念仏を唱えたことは一度もない。 
第4話:「いづれの行もおよびがたき身なれば、地獄は一定すみかぞかし。」(第二章)
現代語訳:どんな修行もできないこの自分なのだから、地獄こそが既に定まってしまっている自分の住みかなのだ。 
第5話:「念仏申せば八十億劫の罪滅す」(第十四章)
現代語訳:念仏を唱えれば十悪五逆といった重罪でも消滅する(と言うが、それは私たちが信ずべきことではない)。 
第6話:「苦悩の旧里(ふるさと)捨てがたく、安らぎの浄土は恋しからず候。」(第九章)
現代語訳:苦悩の多いこの世界は捨てがたいものであり、また安らぎの極楽浄土も恋しくはなれない。 
第7話:「念仏は浄土に生まれる種あり。地獄におつべき業や、総じて存知せざるなり。」(第二章)
現代語訳:念仏は浄土に生まれるためのものか、地獄に落ちるに違いない業か、全て私にも分からないことである。 
第9話:「弥陀の本願、悪人成仏のためなれば」(第三章)
現代語訳:阿弥陀仏の本願の真意は、悪人を成仏させるためのものである。
 このところ中韓関係は最悪であるが、第1話・第13章の言葉を日本人の本音、日本人の戦争観として先方に伝えるとしたら、儒教思想がまだ色濃く残る韓国人、中国人はどんな反応をするだろうか…、ちょっと怖いほどである。
わがこころのよくて人殺さずにあらず。人害せじとおもうとも、百人千人殺すことあるべし。
善人だから殺人をしない、悪人だから人を殺すというのは間違いだ。人を害したくはない、そう思っていても人を殺してしまう。100人、1000人の人を殺してしまうこともありうる。だから怖いのであり、そんな人が憐れであり、それ故に業を背負った悪人こそまず救済されるはずなのだ ― 親鸞の言いたいことを現代語にすればこういうことであったろう。

日本人である小生は、たとえば関東大震災の時の朝鮮人虐殺事件、南京事件など、関係者が歩んだ人生は他力本願思想でのみ救われるものであると発想するが、儒教思想においては罪は罪であり、その罪は永遠に消えることはない。

これがいわゆる「歴史問題」の本質であり、「正しい歴史認識」という言葉で先方が伝えたい意図であるなら、そもそも日本人の多くが心に抱いている宗教思想、倫理観とは根本的に対立していて、相互理解は至難である。そう言える気もするのだ、な。アジア文化圏にはあるが、島国日本と大陸とは越えられない溝がある。そう言ってもいいかもしれない。

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