団塊の世代。かつて日本経済を支え、二度の石油危機を見事に乗り越えるも、不良融資に暴走し、遂にはバブルを演出したが、その後の20年という時間の中で、消え行きつつある老兵たちの悲哀を感じさせてもいた。昭和も遠くなりにけり。そんな忘れがたい世代であるのだが、ここにきて格好な老後の生き甲斐を見つけたか。正直、そんな風に感じています。
ただ特定秘密保護法案で戦前期の暗黒のような日本に逆戻りするのか。小生、どうしてもアナクロニズム、というか風車に突撃した老騎士・ドンキホーテを見る思いがするのだなあ。敵はそこにはいませんぜ、旦那ガタ…。
Don Quixote and Sancho Panza by Honoré-Victorin Daumier, c. 1866-68
Source: Un Bar aux Folies
『おのれ、許せぬ』と前進突撃するのはよいが、声なき民を哀れなサンチョパンサにしてはなりませぬ。彼らは決して愚かではございませぬ。上のドーミエのように、ついて行ってはいるが、ちゃんと生き様は見ているのでござんすよ。
それより気の付いた事。反原発デモと比べて、今度の特定秘密保護反対デモの何と盛んなことであろうか。その広がり、激しさ双方において、反原発意識をはるかに上回る動員力を反国家機密は持つのである。実のところ、同じ民主主義国家として価値観を共有するはずのアメリカ、イギリスなどから日本が機密情報を提供してもらう場合、「これは機密にせられたし」と要求があったとき、「厳重に秘密にしましょう」と。そんな受け皿になる制度を設けるだけの話しである。相手が秘密にしておきたい情報が日本に渡ったら「知る権利」が最優先されるのだとしたら、相手は教えてくれないでしょう。そりゃあ、日本の損だ。
それに対して、エネルギーとして原発をどうみるかは切実な問題である。福島第一原発の事故で16万人の人が避難し、2年半たったいま現在も9万人余の人が自宅に戻れないでいるのである。この現状をみれば、理屈はぬきにして「反原発・脱原発」を意識せざるを得ないのが人情ではないかと。小生はそう思うのだ、な。ところが、日本全国の人は反国家機密には燃え上がっても、反原発の方はそこそこ。これが現実であることが再確認できた思いがする。(参照:福島民報、2013年12月8日)
まあ、背に腹は代えられんもんね。原発を全面放棄するのは、ちょっと無理かもしれんよねえ…。僕たち、私たちの暮らしってものもあるもんね。電気料金、これ以上あがると困るもんね。いろいろ事情があるわけでござんしょう。なんだかんだ言っても、この辺りに国民の最大公約数的な意識が浮かび上がってきた。そんな気持ちでいるのである。
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