火曜日に担当科目のオリエンテーションがあったが、起きた直後からだるくて、朝食を食べる気がしなかった。研究室には早めに入ったが、ゾクゾクとした寒気を感じ、ただ目をつむって椅子でじっとしていた。そういえば、前の夜から腹がしくしくと痛む感じで、寝返りをうつたびに腰から背にかけて痛みが走った。インフルか?それにしては喉は痛くない。いや、痛いことは痛いか…。分からん。が、とにかくしんどい。熱も出ているようだ。昼食に買ってあったパンは食べる気がしない。こんな感じでオリエンテーションを終えると、その日用事があって車を使っていたカミさんを呼んで、宅に戻る。戻ってすぐ寝込む。目が開けておられず、ひたすら眠る。「夜は何か食べれる?」、カミさんが聞くので、「重湯を作ってもらうかなあ…それに生姜をおろして、たっぶり添えて」。山のような生姜を一つまみずつ重湯に入れながら口にする。普段なら二、三回食べただけで閉口するはずだが、妙に美味くて、体が求めている感じがしたのは不思議なことだ。食後、プロポリスを10滴ほど水で薄めて服用する。喉にしみるので、雑菌が繁殖しているのかもしれない。その日は、たっぷりと眠り、たくさんの汗をかいた・・・
昨日もずっと病臥。食欲もなし。夜になってパン1個とバナナ1本がやっと喉をとおる。
本日は実質第1回の授業を行った。駆け足の「標準偏差」解説だったが、疲労困憊する。病み上がりである。
それにしても何だったのだろう。カミさんは、肩痛と腰痛を除けば、元気である。
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寝込んでいる間に、理研・小保方さんの研究不正騒動で一つ進展があり、TPPの方もアメリカのフロマン通商代表がやってきて、大統領訪日前の最後の協議が始まった。
報道ではないが、有力外交ウォッチャーはこんな見方をしている。
日豪EPA交渉で合意ができたものが、どうして日米TPP交渉でまとまらないのか。(出所)天木直人のブログ、2014年4月16日
それはもちろん米国が譲歩しないからだ。
だから日米TPP交渉は日本の全面譲歩か決裂か先送りしかない。
しかし先送りの選択はない。先送りすればもはやTPP交渉のモメンタムが失われ決裂と同じことになる。
だから日本の全面譲歩か決裂か二つに一つしかない。
そして安倍政権に決裂の選択はない。その場合は、オバマ訪日がぶちこわしになるからだ。今度こそオバマ政権は安倍政権を見放すことになる。
かくしてTPP交渉は日本の全面譲歩で終わるしかない。
天木氏は、昨年の終戦記念日翌日に以下のような文章を公開している。タイトルは『安倍首相の挑戦を正面から受けて立った歴史家・加藤陽子』である。要は「日本は、侵略なることをやったのか、やらなかったのか」。この基本的な問いかけが、予想外に・いまだに・紛糾するようなので歴史家として考えを述べた加藤氏に対して天木氏が感想を記した文章になっている。
私が注目したのは、加藤教授がそこで述べた次のような言葉だ。(出所)天木直人のブログ、2013年8月16日
「戦争が起こされた本当の原因と、国家が国民に対して行った説明が異なっていたということ、この歴史の事実を伝えることが歴史としての役割にあると考えています」
そして彼女は要旨次のように続けたのである。
すなわち満州事変の計画者・石原莞爾が満州事変を計画した際念頭にあったのは、ソ連の脅威に対抗するため国境線を北上させるため、そしてアメリカとの最終戦争の基地とするため、全満州を占領することだけであった。しかし、このような真の意図については、国民の前には決して明らかにされなかったのだと。
軍や在郷軍人会は、満州事変の前の年、国防思想普及運動というものを全国展開するが、ある軍人が農民に向かって演説した内容を、後に満鉄調査部に勤務する石堂清倫が聴き取ったものから再現するとこうだったと。
「諸君は五反歩の土地をもって、息子を中学にやれるか、日本は土地が狭くて人口が過剰である。このことを左翼は忘れている。だから、国内の土地所有制度を根本的に改革することでは改革はできない。ここでわれわれは、国内から外部へ眼を転じなければならない。満蒙の沃野を見よ。〔中略〕諸君は五反歩ではなしに一躍十町歩の地主になれる。つまり旦那衆になれる」
これが侵略でなくて何だと加藤教授は言っているのだ。
加藤氏の見方も、しょせんは現代に生きる一人の人間が過去の一連の事実をどう解釈して理解するかという、いわば『加藤氏が提案している一つの歴史』であり、その意味では当事者ではなく、ずっと後に生まれた人間の『あと理屈』であって、無条件に真実であるとは言えないのかもしれない-そんな無条件の真実があるのかどうか怪しいものだが。
しかし、このところ小生が『日本は、アメリカに敗北し、降伏文書への調印も米戦艦ミズーリ艦上で行った』という当たり前の事実の裏側にあるもう一つの異なる見方、『宣戦布告なき戦争・日中戦争は、中国が日本を8年間の持久戦へと誘った大戦略であり、失われた領土・台湾、満州他を奪回するためアメリカ、ソ連を介入するに至らせることが最終目的だった』と、それではその誘引策に日本が乗ってしまったのは何故かと、引き返す好機があったのに進んでいったのは何故かと、こんな問いかけに関心を持つきっかけになったのも加藤陽子氏の一連の著作であったので、上の文章にはよけいに興味をもったのだ。
突発的に発生した日中戦争(=日華事変)であるのだが、その発生前1936年5月の時点において、日本のシナ駐屯軍の規模は約3倍に増強されていた。これまた加藤氏の著作『とめられなかった戦争-NHKさかのぼり日本史』で知った次第だ。素人には史料まで読み込む時間はない。だから見方には偏りが生じるのが当たり前だ。歴史家の役割は、より全うな、個人の思い込みよりはよほどマシな歴史認識を教えてくれることにある。
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病気で目もあけていられない状態で寝込んでいると、頭の中で脈絡のない幾つかの音楽のメロディーを思い出すことがある。ウィンナワルツが鳴っているかと思うと、遊園地から映画館へ場面が変わり、西部劇『シェーン』をみている。古いねえ、だけどイイねえ。頭の中のCloud Playerが奏でる「愛しのクレメンタイン」、いつしかそれは「愛しのエリー」へと変わる。そして最後に「愛しのかも南蛮」。ああ、学生の頃に通った蕎麦屋、日暮里駅前の何という店だっけなあ…。あそこの鴨南蛮は美味かった。
何も口に入らないのが客観的状況であるにもかかわらず、寝ている頭の中では美味かった物を思い出している。人間の業というものだろう。
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