2014年4月27日日曜日

拡大期・国家の非合理性と予測不可能性

1931年から第二次大戦終戦まで日本の行動に予測可能性はなかったようである。その意味ではこの15年間、帝国日本に合理性はなかったと評されてもいいと思う。いうまでもないが、1931年というのは、突然、満州事変が起こった年である。

その後、日本はソ連に対抗することを基本戦略とするか、満州の奪還を目指す中国ナショナリズムと対峙することを優先するべきかで路線闘争を繰り広げることになる。

1937年に始まった「日華事変」は、全面的な日中戦争だったが、どちらが戦略的主導権をもって始めたことなのかは諸説あって直ちには決めかねるが、日本政府には満州事変の鮮烈な成功体験の記憶があったに違いない。実際、中国の主要都市は驚くべき速度で日本が占領するところになった。計算違いは、それでも中国政府が戦争を継続したことである。早期和平を望んだのは陸軍であり、勝利の報酬にこだわったのは内閣である。こうして「日華事変」は、前例のない泥沼の戦争になってしまった。この時点で日本は出口のない隘路を歩まざるを得なくなった。

中国には勝てぬと見た日本は北へ向かった。対ソ連である。しかし1939年のノモンハン事件で壊滅的打撃を受けたことで、ソ連の軍事力には勝てぬことが分かった。そこで日中戦争の解決を目指した。中国を大きく南方から包囲すれば四川省に移った中国政府の補給線を絶てる。しかし、南方に進めば英米の権益を侵害する。とりあえず英米とは関係が薄い北部仏印(=ベトナム周辺地域)に1940年に軍を進めた。日ソ中立条約を結んで北の脅威をなくした1941年には南部仏印に進む。ところが同盟を結んだドイツがソ連と戦争を始める。日本も条約を破棄してソ連を攻撃することの有利が議論された。満州に配置される軍を増強した。

1941年に南部仏印に軍を進めた段階で、アメリカが対日石油禁輸措置に踏み切った。海軍は対米開戦やむなしと腹をくくり、その年の冬に対米・英・蘭戦争開始するまで一直線となる。

こうしてみると、戦前期・日本の崩壊過程は、対中国関係の悪化が主因の一つを為す。この点は明らかだ。

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天廻り地は転じて、今日、中国は海洋進出を図り、日米、というかアメリカの権益と衝突する方向にある。尖閣諸島はその衝突劇の最初の断片にすぎないが、オバマ大統領が直接発言することで、防衛に向けたアメリカの本気度が相当明らかに示された。

中国の最終的目的の一つが台湾統合にあることに疑いはないが、台湾統合だけが中国の夢ではない。実際、中国はあらゆる方面で国境紛争を抱え込んでいる。

中国の戦略軸は「東進」、「西進」、「北進」、「南進」の四つがあるが、いずれに進んでも歴史的国際秩序と衝突する。その衝突をおそれずに実行するとすれば、東進でなければ、北か、西か、南に決まっている。西に向かえば、インドとの国境紛争が再び激化し、イギリス、ひいてはアメリカと対決することになる。それにインドは核武装している。南に行けばベトナム、ミャンマーがある。強硬策をとれば、欧州、アメリカと敵対することになる。北はロシアがいる。ロシアとの国境紛争は、プーチン政権になってから、あらかた解決してきたが、尖閣諸島が失われた領土であるなら、1860年の北京条約でロシア帝国に譲渡された沿海州も失われた中国領土の一つだろう。小さな岩礁とは異なり、広大な領土である。ウラジオストクはロシア帝国が建設した植民都市である。しかしながらロシアも核武装している。

中華民族再興という奔流のようなナショナリズムが、東から北に転じるならば、日本は安堵し、アメリカも欧州も次はどうなるかと心配はするだろうが、別に気にはしないだろう。とはいえ、東の日本はアメリカの核の傘にいるというだけだ。日米離間の策を講じる誘因が中国にあるのは確かだ。

中国から観れば、東と南が有望に見えるだろう。そこで海洋進出を唱える。これこそが侵略につながるという意識は、かつて侵略された中国にはないであろう。

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今朝のNHK『日曜討論会』の話題は、オバマ大統領来日とTPP、それから中国の将来だった。別に、上のような歴史的な話が語られたわけではなかったが、日本にとってアメリカと中国は、国の在り方が変わらないとすれば、将来もずっと付き合わなければならない大国であり、難問であるに違いない。


Goch, Night Cafe in Arles, 1888

ゴッホの水彩画はあまり見ないが、色の配置には日本の浮世絵の感性がにじみ出ている。部屋を透視図法的に眺めるのではなく、斜め上から見下ろす源氏物語風の吹抜屋台法をとっていれば、日本人が描いた作品かと思うだろう。このままでも、まるでスタジオジブリが制作したアニメの一画面であるかのようではないだろうか。

文化は、武威や威信の感覚とは無縁のものであり、一方が他方の産物を「いいね」と認めれば、急速に伝播するものである。伝播して、浸透して、定着すれば、人の交流が盛んになり、生活は豊かになる。

人類の最終的目標は、文明の興隆にある。国家の威信が気になるのは、戦前期・日本と同レベルの議論である。それでも中国が失われた威信に郷愁を感じるのは、歴史を通して常に中華であったためである。そして共産党政権は抗日戦に勝利したという武威によって正当性を保っているからである。日本に対して下手に出るわけにはどうしてもいかないのだ。第二次大戦の終結で日本は明治以降に得たものをすべて失い、幕末に比べてすらもっと小さくなってしまったのだが、今日の日本人は失われた日本の威信に憧れたりはしない-ごく少数のアナクロニストは常にいるものだが。覇権はアメリカと中国が争うものだ。もし、万が一、中国でアメリカとの最終戦争論が考えられているとすれば、それは戦前期・日本の名参謀であり、その後すぐに時代に追い越された石原莞爾と同じレベルの議論であると言わざるを得ない。

中国が<中華>であり続けたのは中国文化によるものだ。中国の武威が周辺国を屈服させたからではない。その文化的影響力が、いまの中国にはない。それが問題の源だ。


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