親が犯罪をおかしたからと言って、子が引け目に感じる義務は無い。親が「犯罪者」だから、子が不利益をこうむるなら、それはフェアじゃない。それが近代個人主義である。
だから国と国の関係もそう考えてよい。そんな理屈は成り立たないと思うのだな。
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親と子は別だと言うのは社会を個人に分解したときの法理である。いまは「家」も「一族」も法的存在ではない。だから親がおかした犯罪の責任の一部を子が継承することはない。犯罪者の一族という法的概念は現時点ではなくなった。それはそうだ。
しかし「主権国家」は国際社会において今も存在している。日本は主権国家だと考えるから「国のために殉じた人に追悼をささげるのは国家の権利である」と、そう語る人も多いのである。戦後日本は、戦前日本の子ではなく、「日本」は戦前から戦後へ、(形式的な手続きでしかなかったにせよ)憲法改正をへて、ずっと連続してきた。「家」はなくなったが、「国」は存在し続けているのである。日本は確かに敗亡はしなかったにせよ、かつて攻勢防御という思想で拡大戦略を企て、事敗れて敗戦を迎えた国なのである。この視点は、日本人が日本を思う時も、外国が日本を見る時も、どちらも同じだ。ありのままの事実を確認すること自体は、自虐史観でもないし、右傾化でもない。
第一次大戦後、参加したすべての帝国ードイツ帝国、ハプスブルグ帝国、ロシア帝国、トルコ帝国ーは滅亡し、皇帝は亡命するか、惨殺されるかしている。第二次大戦でも敗亡した枢軸国のうち、イタリアではクーデターがおこり、ムッソリーニは同国人によって処刑され、ドイツでは徹底抗戦ののちヒトラーは自殺、幹部は逮捕・処刑され、その後も同国人により執拗な戦争犯罪追求が続けられた。
それが国家間の「戦争のけじめ」だと言われれば、何度もこのブログで書いたが、日本はケジメのつけ方がいい加減だったのかもしれない。そのいい加減さには、なぜ戦争が起きてしまったかという経緯もあって日本の責任も大変深いものがあると思うが、占領した連合軍、というよりアメリカの占領政策もまた無原則・無責任に揺れ動いた、その点も大いにあった。で、メリハリのつかないまま現在に至る、こんな側面があると思うのだな。
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そもそも政治の延長で戦争を選ぶ以上、勝てば自国が正義となり、負ければ敵国が正義となり自国は相手から裁かれる。戦争とはそういう選択肢である。
小生の祖父は、戦前期・日本において判事をやっていた。治安維持法に基づいた裁判もやったかもしれない。国家権力の片棒をかついでいた、そう言われればそんな地位にいたのだろう。しかし、新憲法の下では新たな法服に衣替えをして、法廷にのぞみ続けた。カミさんの祖父は、内務省に勤めていた。戦時は、ある高校の校長であり、軍事教練を強化したそうだ。戦後は、別の公共施設に異動し、役人生活を全うした。
戦時体制に加担した責任をいかにしてとったのだろうか?
もしもいささかでも戦争に協力した者は戦争犯罪者であると考えるなら、かつて部族間戦争に敗北した側はすべて男性は処刑し、女性は奴隷とした「原始の正義」と同じ思想になるであろう。
責任をとるべき人がすべて責任をとり、刑罰に服するなら、戦後の統治そのものが不可能であったに違いない。だから、どこかで線をひく。それが戦後処理、つまり「戦争のけじめ」というものだろう。
それは責任が消えるという意味ではない。切符を切られなかったからといって、なかったことになるわけではない。それと同じだ。まして、というより「しかるに」と接続するべきか、戦時に指導的立場にあったから国に尽くした、国家の繁栄に尽くした、と。そうした人をあとになって公に称揚・顕彰することは敗戦国の国家主権の範囲内であるのだろうか?
同じ時代に上層部の仕事をすれば戦争犯罪者となり、中級レベルの仕事をすれば後の世で顕彰される。これは明らかに矛盾した結末だ。小生とカミさんの祖父は、この矛盾に苦しんだのじゃないだろうか。
残る選択肢は、戦争犯罪者をも自国の裁量で顕彰することである。自国が自国の歴史をみる見方と、外国が自国の歴史をみる見方に矛盾が生まれるが、開き直るならこれまた一つの選択肢であるに違いない。国内の矛盾を国内限りで解決し、それで生じた対外的な矛盾は首をすくめてやり過ごす発想だ…………よくやる手法だが、小生、あまり好きではない。
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日本で曲がりなりにも丸ごと消滅・失業したのは、陸海軍の軍人だけである—これも自衛隊創設でかなりの人が再就職したので明治維新後の社会革命とはスケールが違う。アメリカの立場からみれば、それで意図は達成された。だから、それでいいのだが、日本人までアメリカ人と同じ目線で日本のことを振り返るなら、そんな資格は流石にないのじゃないか。そもそも見逃された戦争責任は星の数ほどにあった。それが戦後日本の現実だった。「一億総懺悔」というフレーズは、国際政治的なパフォーマンスと決めつけてはいけない。そのときは本気でそう考えたことを忘却したらいかんのじゃないか。小生はこんな風に思うのだな。
親と子は別の人間だが、国は69年前の日本と今の日本は同じ国である。いや、満州事変を起こした83年前の日本と同じ国でもある。敗戦後に国の姿を変えたのだと、日本は言ってきたわけだし、それが国際的にも「殊勝」であると認められてきているのだが、それなら尚更のこと69年前に国として明言したことは、今でも有効である。言ってきたことには縛られるものである。アメリカと日本は、そもそも別の国で、ずっと言ってきたこと、やってきたことも違う。ここはグダグダにしてはいけない、と。理屈で考えてもそう思うのだな。集団的自衛権容認をしたからと言って、今までできなかったことが、すべてできるわけでもなく、これ自体で物事はあまり変わらないのじゃないかと思ったりもするのだが、明治憲法下で「統帥権」が独立しているのだと当の軍人達が気づく前と気づいた後では、すべてが変わってしまった。心配だと言う人の気持ちもわかるのだ。
いい加減な国である。嘘をつく国である。憲法はあれど、実際どうなるかは分からない国である、と。そんな印象を与えるなら、ほかにどんなプラスの効果があるにしても、それだけでトータルはマイナスである。ヘマはやってほしくないねえ……。
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長々と論じ過ぎた。
日本が旧敗戦国から名誉回復されるのはいつなのだろう?
それはおそらく、「戦争のない平和な世界」を実現するのに今後どれだけの日本人の血を流すかによる。唯一、その道しかない。小生はそう思っている。
50年先か、100年先のことになるか、見当もつかない。そんな世が人類共通の夢であれば50年先かもしれない。仮に戦争が人類のDNAに組み込まれた性癖であり、永遠になくならないのだとしても、それでも紛争解決に血を流して100年間も貢献するなら、先祖が命をかけてやった侵略という血の歴史があるにしても、国際社会で名誉ある地位が日本に対して認められるかもしれない。
文字通り『任重くして道遠し』。もしも覚悟がなければ、これまでのように大人しく低姿勢をまもり、経済中心でやっていくのが良いのではないだろうか。