体育館や公民館に避難している人が多い。避難所では、大抵の場合、花見の要領で家族数に応じた面積にシートを引き、後から来た人は「ここはよろしいでしょうか?」とうかがいながら、「じゃあ失礼します、よろしくお願いします」と挨拶をしつつ、周りの人は「もっとこっちにいらっしゃい」、「どこから来たの?」と声をかけたりする。避難所マナーというか、災害時エチケットというか、かなりの人間集団になっているのに妙に静かで、大人しい。特に外国人はそう感じることが多いと聞く。
国によって状況が違うのは勿論だが、それでも海外の最大公約数的情況は、まず先についた人は相当広めに領域をとって、後から来た人は段々と狭くなる。「もう少し向こうに行ってくれませんか」、「そっちが後から来たんだから」……、「ここにパンを置いておいたはずなのに」、「うちが盗んだとでもいうの!」等々、ローカルな口論、盗難、略奪があちらこちらで増えていく。無秩序化していく。それが群衆化したときの人類普遍の負の現象であるそうだ。ところが日本では、大抵の場合、「群衆」というより「集団化」して行動している。これは普段のトレーニングの成果なのか?モラルが高いせいなのか?素養が高いからなのか?「災害慣れ」、「避難慣れ」しているせいなのか?特別の理由なくこのように行動できるはずはない。そういう目線は多いようである。
だからこそ日本人の<集団主義>という指摘も出て来るのだろう。
ドーミエ、Don Quixote and the Dead Mule、1867年
Source: WebMuseum, Paris
小生は没落した騎士・ドンキホーテがとても好きである。とはいえ、まだセルバンテスの原作は完読していない。
ドンキホーテが、放浪の途中で海難に遭い馬も何も無くしてしまい、無一物で教会の裏にある掘建て小屋に収容されたとする。そうなったとしても、ドンキホーテは『かく尾羽うち枯らし、古のつわものの威勢は夢のごとく、思いいだすも難しうなり果てても、おのが誉れまであさましくも忘れつるよと、人から後ろ指をさされることあらんより、いっそ命がつきるほうがマシというものぞよ』、こんな風につぶやいて、同じように空元気を出して、周囲の人にいい場所を譲り、自分は片隅の隙間風が寒い所に腰をおろしたであろう。
正に文字通り、
惻隠の心は仁のはじめなり、辞譲の心は礼のはじめなり
であるのだ、な。騎士たるもの、強いだけであってはならぬ。
亡くなった母は戦争中に『欲しがりません、勝つまでは』と何度も教えられながら、学校生活を過ごしたそうである。
軍国主義は、まずこの日本国内でとっくの昔に否定され、いまでは「悪しき思想」、「誤った歴史」になっているのだが、それでも近隣諸国からしばしば日本の軍国主義思想が非難の矢面になることが多いのは、戦前の軍国主義時代に言われていた集団主義的行動の裏面に、習慣とかルールを超えたモラル、美学があり、日本人はそんなモラルと美意識をいまでも変わらず肯定し、心の中で信じている。その倫理自体は、世界で普遍性を有し、誤りではない。まことに傲然としている。低姿勢は言葉だけのことか、と。そこに危険性を感じ取っているからではないか。そんな気がしたりもするのだな。
日本と日本人は、第二次大戦(=日中戦争+太平洋戦争)のことで掘り下げた議論をもっとするべきだ。罪もあった、間違いも確かにあったのだ。まだまだ分析が足りない。広がりが足りない。姿勢が不真面目だ。そう思う所以だ。
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