ゲーテとちょうど同時代に生きたドイツの画家、キャスパー・フリードリッヒはとても好きである。その当時、どうやら古代ギリシア・ローマへの憧れとともに廃墟趣味も世に広まっていたようで、フリードリッヒも何点か、崩れた石壁を描いている。ゲーテも中年にさしかかる前、一度、ローマに逃避行をしている。
Friedrich, Casper, Two Men By The Sea At Moonrise
まるでミレーの「晩鐘」のような色調であるが、晩鐘は1860年ころだから、1世代か2世代かフリードリッヒが先んじている。
ただこの作品をみると、北海道に暮らしている小生はどうしても岩内に近い雷電岬あたりを連想してしまうのだ。
(出所)これが見納め雷電岬暮色
岩礁のうえに二人の人物を点景として入れれば、上のフリードリッヒのモチーフと近似してくる。上る月と沈む太陽の違いがあるとしてもだ。
岩内や雷電岬といえば、やはり木田金次郎である。有島武郎が木田青年との交流を作品にした『生まれ出づる悩み』は、第一次大戦終了後の不況がほのかにうかがわれる描写もあったりして、経済学科であるにもかかわらず小生のゼミ生に「読め」といって読ませたことがある-それも10数年も昔になった。本当に歳月怱々、光陰矢の如しである。
木田画伯は、昭和29年、洞爺丸台風に煽られた岩内大火で多数の作品を失った。同伯が立ち直り、創作活動を再開できたのは、そうするだけの時間を天から与えられたからと聞いている。
才能も天からの贈り物である。その才能を十分に開花させるだけの時間を与えられない人もいる。それは使命をやりおおせたという証しなのだろうが、十分な時間こそ最大の贈り物であることに間違いはない。
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