ところが2年ほど前に「魔女の一撃」と称される腰痛に襲われて以来、常習的にコルセットを装着し、鎮痛剤を貼り、そのうえロキソニンを服用することもしばしばとなった。
これでは、たとえばイタリア一周ツアーに出かけたとしても、どこでいつ動けなくなるかもしれない。そんな恐怖があるらしく、どうも年齢を重ねてからの旅行三昧という選択肢は、健康上の急変から無理らしくなってきたのだ。
一般に『▲▲になったら、〇〇をしたいよねえ』という夢約束は壊れるものであると昔から決まっている。詩人・三好達治も詠っている。
約束はみんな壊れたね
Enfence finie
そんな調子だが、先週末から三泊四日で伊豆の三島と東京に泊してきた。目的は、この4月に新潟に転勤する愚息もまじえて、三人で墓参りをして食事をすることだったが、併せて小生が小学校高学年を過ごした三島の町で食う鰻重というものの旨さをカミさんに教えてやりたかったこともある。
ところが町の中心部にある白滝公園周辺にあれだけ数多あったウナギ屋が一軒もない。繁盛した「うなよし」が見つからないのにも絶句しながら、「すみの坊」という馴染みのない店に入ると、そこは昔の「うなよし」そっくりだった。ホテルに戻って調べると、なんと商号使用をめぐって係争があり、店の名を変えたのだという。
驚いたのは値段でありました……噂には聞いていたが、うな丼(並)が3500円もするとは、だ。それでも美味であることには間違いない。間違いないが、テッチリもマル鍋もある中で、うなぎ2切れ+肝吸いを二人前で7000円となれば、やっぱり売れないであろう。そもそも「鰻重」という献立はもうない。いや、あったかな?あったとしても支出可能な範囲になかったのは確かだ。
父や母が三島の名物をなぜそこに住んでいる時に食わしてくれなかったのか。今となっては理由は分からぬ。当時はそれほど高い食材ではなかったはずなのに。何度もそう思ったが、いまとなっては『約束はみんな壊れたね』 じゃな。泊まったホテルは、その昔、亡父が四国の田舎から三島工場に転勤になった折、家族で泊まった旅館が前身である。その同じ地点に、50年以上も経ってから、息子夫婦が再び旅行に来て泊まることになるとは、父も母も想像もしていなかったに違いない。
カミさんと愚息と三人で墓参をすませてから、北総開発・都営地下鉄と乗継ぎ、浅草の三定で江戸風天ぷらを食する。カラッと淡泊が主流になった天ぷら料理が全盛のいま、新潟に行く前に東京風ではない、元祖・江戸風の天ぷらを食っていけと。そういうわけだったが、カミさんも愚息も意外や気に入った様子だった。何しろこんなコメントもネットにはある。
待つこと5~10分。(出所)食べログ「三定」
しっかりと蓋がされた丼が出てきました。
蓋で衣が蒸されてべっちょり。
う~ん・・・私はカラッと派なのでちょっとがっかり・・・
ただ聞けば、三定の天ぷらも全国、というか世界から集まる観光客を相手にしている内に、万人受けのする江戸風天ぷらになってしまっているということだ。
三ノ輪にある「土手の伊勢屋」は旧吉原が全盛の時分とそれほど違わない、まるで衣を食べるような本当の江戸前天ぷらを出しているようだ。ただ、口コミ情報を検索すると、むしろカラッとしているというコメントが多く、小生の記憶違いかもしれず、食べ物に関しては自ら食べてみないと分からない。
もっと若かったら小生も行ったけどねえ……、胃の調子がついてくるか。
そういえば、三島に泊まった翌日の午前中、東京へ戻る前に時間があったので沼津でシラス丼を食おうというので魚市場ヨコの食堂街まで行った。そこに丼物のテレビチャンピオンになったという店があり、行列ができているので、カミさんと小生の二人も参入して、並んだ末に桜エビと生シラス丼を食べてみたのだが、どうも何年か前に旧友と鎌倉腰越で食ったシラス丼のほうがずっと旨かったなあ。あれは旬だったからか。いや季節ばかりとも言えんような気がする。『約束は壊れたね』、ここでもそんな失望感が胸に残ったのである。
やれやれ、今日は戻った途端に食べ物の覚え書きか…、レベル落ちたなあ。
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