強者が弱者を力で押さえつければ、弱者はより弱い人たちを同じように攻撃するのだと。その心理的根幹には、理不尽な力を行使される恐怖がPTSDとなって、今度はもっと弱い他者への攻撃衝動となって現れる。心理学的にはそんな解釈があるのだという。
その背景には、ギスギスした社会。細々と人間を管理する社会があるのだという。となると、「最強の強者」とは●●さん、▲▲君ではなく、この国の「社会」そのもの。こんな結論になるのかもしれない。『長い物には巻かれる』習慣で生きるとしても、従属の裏には引火性ストレスの蓄積が進んでいる。
いかにも分かりやすい話しだ。印象として大変怖い話しでもある。
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ただ、どうなのだろうなあ……。警察庁が公表している資料によれば、刑法犯総数は減少トレンドが続いている。凶悪犯も減っているし、窃盗犯も減っている − 数字を見ると粗暴犯や知能犯が増えてはいるが。
愚息達が成長する過程をずっと見てきた。「平穏な学校時代でありました」とは決して言わないが、喧嘩や殴り合いがあったとは、あまり聞いたことがない。小生も、小学生のころ廊下で騎馬戦に興じていた時、バランスを崩してガラス窓に頭をつっこんで、かなりの出血をともなう大怪我をして両親を吃驚させたことがある。いやまあ…、病院に急行して縫合したのだが、麻酔がきくのを待っている時間がないというので、野戦病院さながらそのまま縫ったのだね。あれほど痛かった経験はその後一度もない。
話題がそれてしまった。本日みたバラエティ番組では、ベトナム戦争、イラク戦争から帰還した元米軍兵士がPTSDに苦しんでいる。そこから話しが始まったのだった。
カミさんの父は太平洋戦争終戦時に中国戦線にいた。満州ではなく華中(華南だったかな?)であったので、比較的早期に帰国できたそうだが、戦時のことは家庭では一度も話さなかったそうである。カミさんと結婚した時には、もう義父は亡くなっていたので親しく会話をする機会は持てなかったのだが、色々な重荷をずっと持ち続けていたのだろうと思っている。(追記:カミさんに確認すると満州にいたらしい)
幸いにして、戦後日本で兵役の義務はない。この国はもう「戦争機械」のような国家ではない。戦前期・日本においては、一人の国民の心の痛みなどは、塵ほどの重みもなかったはずである。戦後の国民的大災害といえば、伊勢湾台風、関西大震災、東日本大震災などの天災である。何十万人という桁数で心に傷を負った人たちが日常的に生まれ続けるメカニズムは、現在の日本には(幸いにして)ないのである。この一点だけは、小生、文字どおり「幸いにして」と書いておきたいのだ、な。
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平和であるからといって、繁栄しているからといって、みな一人残らず和気靄々と満足している状態などは理想にすぎず、いわば「社会的戦傷者」とでも言うべき人たちには常に配慮するべきである。
戦後日本は、武力による戦争を放棄する代わりに経済で戦争をしてきたという意識であったのだろう。でなければ、父のような「滅私奉公」精神があるはずがなかった。だとすれば『一将功なりて万骨枯る』という結末であってはならないわけで、成功の報酬のかなりの部分は、競争に敗れた人たち(及びその子弟達)の尊厳を守る活動に充てるべきだ。これも一つのロジックだろうと思うのだね。
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日本は、戦後第一世代から第二世代を経て、第三世代へ代替わりする時期である。戦後の果実はもう十分に実っていると見るべきだ。
競争と原始の弱肉強食は違う。勝敗は必ずしも人の才能と努力だけでは決まらない。だからこそ、社会の底辺に沈んだ人たちに対する「武士の情け」が大事である。
社会の進歩には競争と勝敗が避けられぬものならば、せめて敗者への労りを惜しまないのが文明というものだろう。古代の文明社会に生きた孟子は、真偽の二値を判別する「智」を最下位におき、より上位には相手に譲る「礼」、悪を羞じる「義」、不憫を感じる「仁」の感情をおいた。先進的な文明を維持・運営する経験は、中国の側に長い蓄積がある。文明社会のマネジメントは、合理的戦略による競争だけでは、十分ではない。
ここでもまた、合理的議論の限界を認めるべきなのじゃないか。最近はそう思うことが増えた。
集団的自衛権の解釈改憲や自衛隊の派遣範囲拡大、さらには徴兵制復活や預金封鎖など原発汚染水さながらメディアに漏れ出ている色々な話題はすべて本日は割愛した。そもそも現行憲法と明らかに矛盾する法律はたとえ国会を通っても憲法で規定している最高裁による違憲訴訟に耐えられない。杞憂による議論は空理空論と変わらない。
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