○「視聴者を裏切りたい」脚本家心理
しかし、脚本家にしてみれば、「そういうわけにはいかない」というのが本音だ。基本的に脚本家が書いているのは「人間ドラマ」であり、その軸となるのは人間の業や本質。『○○妻』の脚本家・遊川和彦のような「オリジナルにこだわる」脚本家は、なおさらそこにこだわっている。
遊川に限らず作家性の強い脚本家は、「先の読めるドラマは書きたくない」「今の世の中、単純なハッピーエンドの方がウソくさい」と思っている。例えば、冬ドラマで『問題のあるレストラン』を手がけた坂元裕二もその一人。同作もバッドエンドとまではいかないものの、最終回は「ささいなクレームで店を閉める」という厳しい展開だった。また、『デート~恋とはどんなものかしら~』を手がけた古沢良太もハッピーエンドにしたものの、最後まで普通の恋愛を描かず、視聴者の裏をかこうとしていた。
これらの展開や結末は、いわば"ドラマに強い思い入れを持つ脚本家のアイデンティティ"。『○○妻』の遊川と『ウロボロス』の古家和尚が、「これはただのバッドエンドではないから、よく考えてみて」と言っている声が聞こえてきそうだ。(出所)Yahoo! ニュース :: 毎ナビニュース 3月26日10時30分配信
「今の世の中、単純なハッピーエンドの方がウソくさい」というのは、確かにその通りだ。
その通りなのだが、連想ゲーム的に考えると、やはりちょっとおかしい。それで覚え書きにしておく。
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大体、古今を問わず、ハッピーエンドで終わる人間より、バッドエンドで最後を迎える人間の方がずっと多いものだ。『一将功なりて、万骨枯る』という格言は、ビジネスでも勉学でも、スポーツでも、どこでも当てはまる事実だろう。
故に、作品にリアリティをもたせたいのであれば、リッチよりはプアを、成功よりは失敗を、出世よりは没落を描くべきである。
この事情は、一人の人生でも、どこの家庭もそうであるし、企業経営も同じである。ほとんど全ての会社は一定時間が過ぎ去れば、経営が悪化して消え去る運命にある。これが統計的な事実である。長命な企業は稀なのだ。
しかし、どの国のビジネススクールでもケーススタディの授業で、失敗例を研究することは少なく、成功例を一生懸命に学ぶものだ。
夢を見たいためではない。夢とビジネスは無関係ではないが、夢をもてば成功するわけではない。とはいえ、成功を求めずして、成功はしないものだ。どれほど確率が小さくとも、誰でも成功は可能である。チャンスがある。だから成功について知りたいし、幸福になる方法を知りたいと思う。これまた現実の世界そのものだ。
ハッピーエンドよりバッドエンドの方が現実的なのですよというのは、ヒットを打つより、凡打に終わる方がいかにもあり得るのだよ。その発想と同じである。統計的事実とは合致しているが、こんな意識は人を楽しませるエンターテインメントとは正反対だ、な。人は「単なる事実」を示されても、何も楽しくはないし、感動することもない。そんなものを視ようとは思わないものだ。『人はいずれ死ぬものですよね』と、そんな当たり前の事実を教えられても、つまらないのだ。
人間何でも「にもかかわらず・・・」、この言葉の後に創造力が出て来るのではないか。ドラマの語源に一度戻った方がいい。
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