齢を重ねてくると、これからの夢のようなプランや戦略を語ることから、だんだんと現状評価ややり方の改善のような話しになってくる。歴史全般の話しが増えて来るのも、自然の成り行きだ。歴史は『これからの話し』ではないからだ、な。
小生: 明治維新というのはネ、いわば「成功した2.26事件」だと、そう思ってるんだよね。大体、薩摩藩にしても、幕府の与党だったでしょ。実権を握っていた島津久光は倒幕なんて、とんでもない。そう固く思い込んでる保守的な人であったわけよ。それを上をだまして、西郷や大久保が下級公家や長州と組んで、官軍を編成して戊辰戦争を始めてしまって、あげくのはて藩という組織を廃止してしまった。これって、完全なクーデター、宮廷クーデターなわけだよね。
同僚: ウ〜ン・・・、普通の教科書とは大分違いますね。
小生: 坂本龍馬の志を諒とするするアナタには承服しがたいかもしれないねえ・・・でも、僕もね龍馬は好きなんだけど、龍馬の戦略とも違ってしまったんですよ。龍馬は大政奉還の立役者みたいなもんだから、サ。こう見るとネ、指揮ラインを無視した中堅層の独断暴走が、新しい世を切り開いたという、そんな歴史観になるでしょ。その成功体験が決定的にその後の社会から倫理感覚を奪ってしまった。その延長に、今度は満州で関東軍が暴走するとか、昭和維新とか、青年将校の崛起とか、あるわけね。1936年の2.26事件は「失敗した2.26事件」、その69年前にあった明治維新は「成功した2.26事件」。最初に成功したから、あとで繰り返されたと。そう思うようになったんだよねえ・・・。
その後、ルールを守ることとは、法とは、善とは、倫理的に正しい選択をすることと幸福な生活をおくれることとの関係に話しは進み、その間で安倍龍太郎の『維新の肖像』が話題となり、時に愚息が最近買ったインサイトのことも話して、1時半頃にお開きとなった。
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日本とドイツは国民性が似ているとよく言われる。しかし、全く違う点もある。ドイツ軍に2.26事件のような組織の弛みは、プロシア陸軍以来、発生していない。シャルンホルスト、グナイゼナウ、ルーデンドルフ、マンシュタイン、ロンメル等々、すべて指揮権をもち、有能かつカリスマ性のあった軍司令官、もしくは司令官を支えた参謀長である。機甲部隊を育てたグデリアンは、新戦略思想を上に理解してもらうまで苦労をしたが、その苦労を厭うことはなかった。
勇将の下に弱卒なし。ドイツはこれを地でやってきたが、日本は上が愚将だから下が頑張るなどと言っている。「ドイツに学んだ」といいながら、である。それは明治維新という本来学ぶべきではなかった「成功例」ーいまでいう「レジェンド」であるなーがあったからだ。そう思うようになった。
下が仲間をつのって自ママに頑張っても、組織が堕落するだけで、集団としての力は弱まり、最後の結果は無惨なものになる。これが日本の歴史で最大の教訓ではないだろうか。
組織戦略は、深い知恵に基づく一貫したルールに裏付けられるべきで、やさしいことではない。
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