感情や心情は、その時議論した参加者では共有できるが、歳月を経てしまえば理解可能な要素は論理のみ。そうなるものである。心の中の微妙な働きは、時間を共有した人たちでなければ、分かりあえないものである。故に、結論を導いた前提と論理は学問では何よりも大事な要素である。
この点に異論はまず出てこないと思うのだ、な。
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法学部は、大きく分けて法律学科と政治学科に分かれている。経済学部出身の小生は、その学部編成が最初は不思議で仕方がなかったが、商学部も会計学科と経営学科から構成されている所が多い。まあ、似たようなものかと今ではみている。
その会計学だが、国際会計学部門のニーズが最近非常に高まっている。そんな時代の流れの中で、小生の勤務先でも当該分野の重要性がよりハッキリと認識されている。そんな雰囲気がある。
法律学でも時代の潮流から無縁ではいられないのではないか?そんな風な思いはあるのだが、こと純文系である法学部に限っては、最も縁遠い分野なので、ほとんど何も知らないとしか言いようがない ― まだ文学部のほうが、計量心理学や形態素分析、テキストマイニングも発達してきているだけに、小生にとっては親近感を覚える。
国際法学はいま最も求められているはずである。経済の実態としてTPPなどという国際的経済共同体の構築が現実になされつつある以上、法律面における国際的相互調整は避けられないからだ。ということは、様々な法的概念についても相互理解、更には一体化が求められているはずだ。
そして、法律を支える国内憲法についても、普段の国際的目配りは欠かせないはずなのだな。
一体、どんな議論が日本側の憲法学界では繰り広げられつつあるのだろうか?
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戦争放棄や武力保持については、何も日本の憲法規定が世界でも稀なケースではないようだ。
参考資料にリンクをはっておく。
戦争を放棄している国としては日本の他にイタリアなどもある。ドイツは「侵略戦争」を放棄している。永世中立への道を選んだ国もある。イギリス辺りになると、憲法という形になった法典がない。「守るべき条文」がなくとも別に戦争機械になるわけではない。要は、国民の考え方だ。
日本国内の憲法学界がどの程度国際化されているのか、小生は全く知らない。しかし、現代と言う時代において、日本人だけが日本語で日本の憲法論議をしてみても、国際社会の中ではあまり大きな意味はなく、一言でいえば『コップの中の口げんか』。まあ、『ガラパゴス的論争』にしかならないのではないか?それを危惧する。
まあ、何も知らないので無責任なことは言えないが、戦後70年、一度として改憲を行ったことはない以上、日本の専門的憲法学者は学問から実践の場に踏み出した経験は一度もない。どうもそうなのじゃないか。まさか学問的に堕落してないよね……。
そんな心配もあるので、ちょっと補足までに、書き足しておいた。
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