その三つとは、明治維新、関東大震災、太平洋戦争である。明治維新では、東京の山の手に居住する幕臣が一斉に退去して住人が入れ替わり、関東大震災と東京空襲では特に下町区域が焼け野原になってしまった。三つを併せれば、江戸と東京は全く違う都市になってしまっていて、昔の町の佇まいを蘇らせるのは日本の他の都市に比べると難しい、それが東京という町であると言う。
日本という国の歴史の断層はどこに置かれるのだろうか?そう考えるのは、新井白石『読史余論』と同じ問題意識になるのだが、近現代史に視野を限れば、ほぼ全員が明治維新の前と後、その次に太平洋戦争の前と後。そう観るのが、確立された歴史観だろうと思われる、というか思ってきた。
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しかし、実態は違う感じがする。
まず太平洋戦争の敗戦が最大の断層。次が、嘉永7(1854)年3月3日の日米和親条約締結で行った開国、というより再開国。この二つが実際の断層だとみる。
明治維新の前と後は、法制的な面はともかく、国民生活には連続している面も多い。暮らし向きの変化はそう断絶的なものではなかった。幕末の経済変化は開国によるものだ。そう見るのが実態に近い。たとえば島崎藤村の『夜明け前』、尾崎紅葉や樋口一葉の作品を読んでみたまえ。他方、太平洋戦争後の日本社会の変化は周知のとおりだ。
ところが、オーソドクシーというか、正統歴史観という超保守的な立場から言えば、やはり王政復古と明治維新が近代日本の出発点になるわけである。この立場に立てば、最大の歴史の分岐点は明治維新である。そして、戦前日本と戦後日本との連続性を強調するのである。
いまでは、小生、それはフィクション、というか願望に近いのだと思っている。旧幕臣・福沢諭吉は『二世を生きた』と語っているが、小生の祖父の世代もまた別の世を生きた感覚をもっていた。
実態と意識にずれがあるのは、フィクシャスな理念がまだなお日本人の意識下で生きているからだ。
その理念とは水戸学的な正統歴史観である。この見方があるから、明治維新は正しい。太平洋戦争敗戦時に「国体」は守られた。故に、連続していると意識してしまう。つまり清算をしていないのだな。
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19世紀後半の世界史的背景を考えれば、日本と欧米との通商が拡大する方向は最初から決まっていたことである。その時点で権力が幕府から新政府へ移動したのは、宮廷クーデターによるもので、それ以上でも以下でもない。
カビの生えた水戸学的な日本史からはそろそろ卒業すればいい。そんな風に、小生、今後に期待、いや多分そうなっていくと予想しているのだな。
同主旨の投稿を数日前にしているが、メモ代わりとして、書き留めておきたい。
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