2016年12月31日土曜日

どちらに「ニュース価値」があるのかと思わせること

格言のとおり『未辛抱、申酉騒ぐ』を地で行くような申年の一年間であった。

年末には安倍総理がオバマ米大統領とともに真珠湾・アリゾナ記念館を訪問し演説した。日本の稲田防衛相も同行したが、帰国した直後に単身で靖国神社に参拝した。与党からもその「軽率な」行動には疑問が呈されているようだ。

何と言っても「女性の防衛大臣」であるせいだろう。社会的なうねりになるような批判は起こっていない。しかし、日本の軍部(≒自衛隊)を統括する閣僚が、国際平和への誓いを述べた総理演説に陪席した直後、「自身の信念」だという理由で旧連合国が嫌悪している靖国神社に自ら参拝する、と・・・

連想されるのは「軍国主義」であろう。「武断主義」と言葉を変えれば、現代の日本人にも共感を感じる人は多いはずだ。日本人の小生でもそう思うくらいだ。だから問題なのだ。明治・大正の伝統であった国際(=列国との)協調がもはや賞味期限切れであると勘違いし、独善的な軍国主義への道をとろうと「覚悟」を決めたのが、その時代である。「志」といえば聞こえはいいが、かの石原莞爾も戦後になって「誤り」を認めている。

その他の論点は多数の文献もあり今更書く必要はない。

とにかくも、

自国の文化的な伝統を体現する、それでいて未来性を感じさせるスマートな歴史感覚を期待してやまない。防衛相の発言・行動から伝わってくるのは単に「カビの臭い」である。

普段は安倍政権の政策には厳しいマスメディアが、なぜこの件で一致して非難をしていないのか。メディアという会社の行動原理については、小生の理解力は確かに不十分だ。


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韓国・釜山に従軍慰安婦像が設置されることになったそうで、これまたニュースになっている。日本政府としては「遺憾」だと伝えているよし。

上の防衛相靖国神社参拝の一件とどちらが「ニュース価値」があるだろうか?

マスメディアなる会社の思考回路は、小生の理解を超えるものであるが、そもそも彫像をつくる位の自由はどこの国民であれあるだろうに・・・と、小生はそう思う。

まあ、芸術、というか審美的基準から創造しているというよりは、政治的主張のツールとして慰安婦像を制作しているのであろう。とすれば、従軍慰安婦像なる作品は美術的作品ではないのだろう。政治的主張なのだろう。政治的主張であれば、日本にも、その「責任」はともかくもあるとして、政治的反論として言いたいことがあるのも事実だろう。

それより、政治的行動であれば、もっと美しい(と日本人である小生は感じてしまうが)、颯爽とした政治戦略をとれるのではないか。どことなく、哀れであり、自虐的であり、誇りを失わせる行き方ではないのだろうか。個人的には、小生、そう感じることが多い。

が、これもまた「表現の自由」の範疇には含まれると考えるべきだろう。日本国内においては(たとえ政治的思惑があるにせよ)表現の自由を憲法で保証しておきながら、韓国人が韓国で、いや韓国外の世界のどこであってもだ、表現していることに険しい目を向ける、と。そんな権利は日本人にはないと思う。

ま、無論、立場を変えて逆のことをするにしても、日本人にも「表現の自由」はあるし、それがもしヘイトスピーチや(これは勘違いだと思うが)ワサビテロであるのであれば、韓国人も自由に表現すればいいのだろう。とはいえ、方法の選択、戦略的な深さ等々、どうしても「低レベル感」を感じてしまうし、誰でも自由である以上はそれがもたらす結果に対しても責任を負うべきなのだが。さて、どうなっていくやら……


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ただ、マア、あれである。

確かに原爆や東京大空襲による犠牲者を悼む彫像は、日本人は制作するだろう。もし、そんな感性に立つなら戊辰戦争で「賊軍」と呼ばれ、討ち死にを遂げた日本人を悼む彫像もあってしかるべきだし、どこかに既にあるのかもしれない。

しかし、たとえ「賊軍」とされたことが悔しいとしても、その彫像のレプリカを多数つくって、多数の場所に配置することは、日本人はしないのではないか。「ちょっと感覚的に違うなあ・・・」、是非はともかく、そんな感じがするのだ、な。

悲惨な記憶や敗北の記憶、失敗の歴史は形にして継承するのが文化だが、やはり現実に世界の各地に残っている歴史遺産の多くは、パリやローマの「凱旋門」であるにせよ、北京の壮大な故宮であるにせよ、壮大な成功を記念するモニュメントではなかろうか。いわゆる「レジェンド」とはそういうものを指す。いくら侵略を憎悪し、400年余り前に侵入してきた満州族が憎いと言っても、宮城内の景山で縊死した明朝最後の皇帝・崇禎帝の彫像を清朝が滅亡後に設置するなどは、やっていない(と思う)。

2001年9月11日にアメリカを見舞った同時多発テロで倒壊したワールドトレードセンター跡「グラウンド・ゼロ」には、犠牲者を悼むメモリアル・モニュメントが制作されている。それは訪れる人を厳粛にさせるものである。しかし、具象的な彫刻という形はとっていない --- アブストラクトな建築的作品になっている---犠牲者となった人の名は刻まれているが。いくらその人を生前に知っている、記憶がまだ明瞭であるとしても、その人(たち)の肖像画なり、彫刻を展示するなどは、今後もしないのではないかなあ・・・。

まして彫像のレプリカを、アルカイダ発祥の地であるアラブの地に多数設置する・・・。

いや、やりませんわ、こんなことは。そう感じるのも事実なのである。

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メッカではないが、犠牲者に哀悼を捧げ、慰藉を祈る中心は、唯一の地点に決めておくほうが求心性があると感じるし、日本に過半の責任があるのであれば(あると思うからカネを出したのだろう)、そんな祈りの場の建設にこそ協力するべきではないだろうか。

そのほうがずっと賢いわ、そう思ったりもするのだ。


2016年12月28日水曜日

父に対して子は何をやりとげたと言えるのか?

歳末である。また一年がたったが、比較的に短命で亡くなった両親は齢をとらない。時間を超越している。

父が亡くなってからもう37年余が経過した。父は息子が北海道で暮らしていることを知らない。母も知らない。

思い返してみると、父は「自宅」、というか「持家」という方が正確か、そういう自分が建てた家には生涯住んだことがなかった。ずっと社宅住まいであった。父の実家は、ずっと祖父の持家であり、父が亡くなったときもそうであった。父の弟である叔父たちは全員結構早く家を持ったが。やはり、落語ではないが『寿限無、寿限無、ごこうのすりきれ、しゅうりんがんのぐうりんだい、食う寝るところに住むところ・・・」だねえ。家は持っておいた方が安心だ。小生は、父ほどの才能にも、勤勉さにも恵まれず、根性に至ればまったく足元にも及ばないのだが、それでも今年の春、住宅ローンを完済したから、いま暮らしているマンションは小生個人の財産になった。

といっても、恥ずかしき限りである。

小生がずっと昔に小役人に採用された時、たまたま大臣秘書官をやっていて、資料を頻繁に手渡したS.N.先輩は次官にまで栄達したのだが、先ごろ奥様からハガキが届き、亡くなられたとのこと。縦の社会を横に移動して、北海道に移住したものだから、旧知の人と覚えず疎遠になった。こんな風に突然の訃報が届き、驚くのは何度目だろう。

いま驚くと書いたが、若いころは誰かが亡くなったと聞けば、文字通りエッと驚き、葬儀に駆け付けたものだが、そんな心境といまの心境は明らかに違っている。

散る落ち葉 残る紅葉と 別れけり

人生の少し先を歩いている人が曲がり角を曲がって、急に姿が見えなくなったのと似ている。ただそれだけのことのように感じる。

こんなことを考えるようになったいま、父には何をやったと話をすることができるだろう。

逝きてのち 三十七年 家一軒 
        我に残るや 父逝きてのち 


2016年12月26日月曜日

断想: 時間と存在、プラス流転

もう数年(以上?)前から時に愛読させてもらっているのが画家・菊池理氏によるブログ「イッキ描きブログ」である。本年12月12日の氏の投稿の中に小生の感性に触れる文章があった。『史上最強の哲学入門・東洋の哲人たち』を読書している中での感想を述べた所だ。

「存在とは時間なのである」と書いてある。自分で書いた。

ということは、時間とは存在なのか?
「早いねぇ~、もう12月だよ」とか言って、月日の経つ早さに驚き、おののき、ちょっと嫌っている。年寄りには特に早く感じる。寿命が近づいているから恐ろしい。
しかし、時間が存在なのだとすれば、月日が経つことによってわれわれは生きている。考えようによっては生きている証拠でもある。生を実感できる根本かも。「もう12月だよ。もう12日だよ」というのは生を謳歌しているのかもしれない。
生きているよぉ~~~。
確かにそうだと思う。

統計分析を専門にして授業もやっている身だが、特に強調しているのは『元のデータの値そのものを見ていても、将来など見通せませんよ。予測とは変化のパターンがこれまでと変わらないという一定の前提の下で、将来もこうなるという計算のことです』。

物事は変化して初めて知覚に触れるものである。「存在」といえば、一定不変の物と考えがちだが、周囲の世界が一定不変で、全てのものが一定の場所にとどまり、同じ状態を維持するなら、私たちはそれらを認識することはできないだろう、と小生は思うのだ。

そもそも「生命」は、変化の相に存在することは明らかだ。生は変化であり、一定の状態への復帰は死を、いや死後の解体プロセスの行きつく先を意味している。

この意味では、小生は『万物は流転する』といった古代ギリシアの哲学者に賛成するものだ。だから、変化が時間の中で生まれうるものである以上、「人間」にとっての「存在」とは「時間」に他ならないと考えているのだ。

・・・・・・いやあ、時間が出来てきた証拠である。連日の投稿ができるとは。世間では「歳末」といっているらしい・・・

2016年12月25日日曜日

「社説」とは何を語る場所なのか?

今年の業務も昨日のワークショップで終わりとなり、あとは年明け後の再開に向けて資料準備をするだけとなった。それをネットにアップロードして学生に提供すれば、目出度く御用納めとなる。

一昨日は天皇誕生日で記録的なドカ雪。昨日のクリスマスイブは雪晴れ、夜はホワイトクリスマスとなったが、JRは昼まで運休、高速道路では事故があった。交通は終日混乱した。

いやあ、まったくボロボロですわ・・・。それでも万難を排して大学までくるから、ずっと北海道で暮らしている学生たちは慣れているのだろうか、実にたくましいものである。

それで、今日は久しぶりに長閑な気持ちになって道新をパラパラとめくる。

と、社説の「給付型奨学金 さらなる拡充が必要だ」が目にはいる。普段は「社説」を読むことはないが、テーマがテーマだから目をとおす。

早速、「これはあかんなあ」と。教師をしている小生の悪い癖である、ついダメ出しをしてしまうのだ、な。

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まず「これって、もらう側の願望を述べているだけじゃないですか。もらえるなら、少しでも多くもらいたい。これは当たり前のことで、わざわざ書くまでもないですよね?支給する側の論理はどうなっているんですか?」、まずこう言うだろうねえ。

それから「重要な事実を指摘するときはデータを示さないといけませんね。最近の用語を使うとエビデンスはあるのか、ということです」。こんな指摘もするだろう。たとえば、支給型奨学金がないのはOECD加盟国の中では日本とアイスランドだけである(ウン、ウン)。しかも「日本は他国より学費が高めである」、そうかなあ、どこの数字を見ているの?こんなコメントは当然出す。

学生のレポートでも数字の出所は必ず入れるように言っているし、もし出所を明らかにしない場合、その数字が正しければ所謂「盗作」、正しくなければ「捏造」。そう非難されても仕方がないのですよ、と。

最近では、私的なブログでもデータの出所は明示し、何かを指摘するならエビデンスをつけるものである。それが出来なければエッセーとして書くべきだ。「これではブログ未満ですよ!」、ここまで言えば学生はしょげ返るので、多分言わないと思うけれど。

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ある家で父親の会社が経営不振に陥り、家計が苦しくなった。子供の小遣いを削るしかないと言い聞かせる。すると「△君は今月からお小遣いが増えるんだって、なぜうちはダメなの?」。いるだけのカネはないのが常態である以上、資金管理、家計管理、つまり「お金を工面すること」の重要性は、幼い頃からよく語りきかせ、理解させていくことが最も大事である。ここが欠けていると、単に「いるんだから仕方がない」となり自己破産一直線とあいなる。

単に「困っている人を助ける」という風なヤワヤワで甘口の言葉ではなく、「なぜ公金を使って困っている人に授業料を払ってあげる」ことが重要であるのか。もっと価値ある使い方はないのか。読者に伝える意見があるとすれば、この点を伝え、理解してもらう。これでこそ「社説」になろうというものだ。マスメディアの存在価値はここにあるのではないだろうか。

国から金をもらえるとなれば、そりゃあもらった方がいいわな、と。そう思う人は多い。年金、奨学金、児童手当。揺りかごから墓場までそうだ。で、費用を調達する必要があるからと「増税」をいうと「負担」が暮らしを圧迫すると言う。「国債」を増発すると言うと将来が心配だと言う。「どうするの?」と聞かれると「無駄を省けば」という。

非論理的である。それならそれで、財務省(と地方自治体)は無駄なところばかりに予算をつけている、彼らの目は節穴か、と。そういう具体論を語るべきだ。

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メディアの「社説」は色々な目的が込められているに違いない。大きな問題に対してロジカルに実証的な議論を展開する場所ではない。それには文字数が少なすぎる。とはいえ、エッセーではない。何かの主張をしたいに違いない。主張をするとしても、販売部数が減るような、顧客が離れるような主張はやめておく(のだろう)。

「社説」とは、論文にしては短く、レポートにしてはエビデンスがなく、エッセーにしては主張的であり、マーケティングのツールにしては営業臭がしない。

最近とみに鵺(ヌエ)的に感じてきているのが、メディアの「社説」なる記事である。

2016年12月23日金曜日

好きになれない『働き方改革』という言葉

安倍政権の一枚看板は『働き方改革』である。その推進ということもあって総理が労働組合・連合の神津会長と会談したという記事があった。

まあ、自民党政権の総理が労働組合のトップと会って悪いわけじゃあない。しかし、「シックリ来ねえなあ・・・」と言いたくなるのは小生がへそ曲がりだからである。

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『働き方改革』とは一体何を言いたいのだろう。

働くのは個々の普通の日本人なのだから、「働き方」くらいは自分で決めればよいではないか。

正規社員と非正規社員を分けることは止めよう。差別は禁止して同じ賃金を支給する。非正規社員にも賞与を支給する。主婦が仕事をしやすい環境にしよう、と。政府は色々と勤労者の側に立った提案をしているが、そもそも「政府」、というか「政治家」が自分の仕事に取り組んでいる普通の日本人全体が喜ぶようなことを真剣に実現しようとするものだろうか。そうしたいはずだと期待するその理由は小生には理解不能である。

『働き方改革』とは、1990年代から推進されてきた新自由主義、規制緩和、成果主義等々の方向転換のことである。それは「ゆとり教育」の見直しとほとんど違いはない。なぜ転換するかと言えば、企業という生産現場において、その欠陥が次第に明らかになってきたからである。更に、いま高齢化が進んでいる。人手不足である。働きやすいシステムを作るのは生産現場の要望である。賃金上昇を抑えることができる。この点が(ほぼ唯一の)ポイントである、な。

政府が財界に求めている賃金引上げとバランスをとる、いわば「埋め合わせ」であろう。

単にそれだけのことではないか。

大体、『働きやすい』といえばイメージは良いが、同じことは『雇いやすい』でもあるのだ。この点から論評しているメディアを、小生、見たことはない。

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マスメディアが「働き方改革」の推進を大義に掲げ、にわかシンパになって旗を振っているのはマッコト滑稽としか言いようがない。

いま必要なのは、高齢化と人出不足が進行するなら、そのための賃金上昇をモチベーションにして、ロボットやAIの導入を加速し、サービス部門の生産性を上げる。それがロボットやAI産業を発展させて就業機会を増やす。社会全体が豊かになる。これが最優先、というより抵抗し難い時代の流れというものだ。もう10年も前からわかっていることである。その方向を歩んでいけるような経済社会システムを考えることが現時点の課題だろう。賃金と利益、所得のありかたについて根底から考え直すことも大問題になるはずだ。

「働き方改革」を成し遂げれば、生産性は上がるか?生産性は下がる。ほぼ確実にという形容詞をつけておく。そして生産性が上がるモメントを阻害する効果を持つだろう。

生産性が上がらないことをするのは自由だが、競争優位性を築く手法ではないので、浸透するとか、拡大するという方向には向かわない。

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まして働き方を改革してもらって、仕事をするから社会に貢献していると勘違いし、それが一生の目的だと思い、だから家庭で過ごす時間を減らし、仕事につく時間を増やし、そうして自分の充実した人生がおくれる、と。こんな風に思う日本人が増えていくとしたら・・・もし、そんな社会になっていくなら、これは文字通りのあれだネ、チャップリンの『モダンタイムズ』だ。

ロボットに対抗しようと、人間がロボットのように働こうなど、アホのやることですぜ。社会の基盤である家族や家庭が破壊されるだけの結果になるだろう。

大体からして、家族や家庭の存在価値は法律上きわめて軽いものになっているのが、近年の潮流である ― 相当の保守的立場からではあるが。

「働いて」得るものは要するに「食い扶持」である。つまるところ、自分と家族が幸福になるためのカネである。戦友は命をかけた修羅場をともにするので親友となるが、仕事仲間は大体がカネでつながった縁だ。カネをもらう場でつながった知人は友人とはなり難いものである。

地縁・人縁とはいうが、金縁という言葉は辞書にない。『仕事は裏切らない』とよく言われることがあるが、統計的にみれば仕事に裏切られた人の方を数多く知っているような気がする。仕事を抜きで信じられる人をこそ愛することができ、また裏切られることもないのだと思う。

こんなことを書くとは、「流石はへそ曲がり」でありんしょう。

2016年12月22日木曜日

夢想: 今の姿とは違っていたかもしれない「沖縄」

オスプレイが海上に不時着したかと思えば、詳細が曖昧なまま飛行再開となったことで地元沖縄の人たちは憤りを感じているという。そうかと思えば、普天間基地の移転先に予定されている辺野古地区。埋め立て承認取消しは合法か違法かという事案で最高裁判決が出た。沖縄県は敗訴し、工事再開の目途が立った。

やれやれ、オスプレイは事故のあと飛行再開。辺野古も埋立て工事再開。これでいいのか、ということでマスメディアも結構批判的なトーンが強い。

そういえば、先般の新潟県知事選では柏崎原発再稼働を認めない(のは確実な)知事が誕生した。これは日本のエネルギー国家戦略が揺さぶられるほどの衝撃に(多分)なるだろう。

他方、沖縄で起きた今回のオスプレイ飛行再開と最高裁判決だが、今後沖縄県の人たちが日本という国の中でどう生きていくか、どんな未来を描くか、根底にまでさかのぼって考える一つのきっかけになっていくかもしれない。そんな風に、小生、思うのだな。

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12月の大きな「イベント」としては、やはり日本の首相とロシアの大統領が会談して、北方領土や経済協力について協議が行われたことが挙げられるだろう。

その北方領土だが、せめて小さな歯舞・色丹島は「返還」されるのではないか、と。日本の側ではそんな期待が高まっていたものである。

しかし国後島も択捉島も江戸時代からずっと日本の領土であった。日本(幕府)がロシア帝国と条約を結び国境を定めるまでは、二つの島に「国」というものはなかった。

北方領土が日本の統治から離れたのは第二次世界大戦の後である。ロシア政府がいうように「第二次世界大戦の結果」であると言えば確かにそうとも言えるが、「領土不拡大の原則」には違反した事例となっている。客観的にはそうなるのだろう。だから紛糾している。当のロシアにも今さら解決への名案などはないのだろう。

★ ★ ★

沖縄は北方領土とはまったく違う。

そもそも江戸時代には沖縄には琉球王朝が存在していた。沖縄が公式に日本の領土になったのは明治5年。明治政権による琉球処分から以降のことだ。そして、第二次世界大戦に敗れ明治政権が崩壊した後、沖縄は再び日本の統治から離れ、アメリカが支配した。日本の統治下に「戻った」のは、1972年になってからだ。

もし、沖縄がアメリカに統治されている期間、地元の人たちが日本の統治下に戻ることを嫌悪し、歴史を通した沖縄の独立をアメリカに説明し、日本から独立した国家を形成したいと願望していれば、歴史の経緯から沖縄が単純に日本の統治下に戻るということはなかったのではなかろうか。そう思うことが、小生、ずっとあるのだな。

沖縄という土地が日本の一部だと主張するなら、それよりはもっと大きな声で国後島や択捉島が日本であると言わなければ、つじつまが合わないのだ。

しかし、世間ではそんな受け取り方はしていないようだ。

北方領土は戻らなくとも仕方がない、と。そう日本人が考えられるなら、沖縄県が日本の統治を離れて独立したいと言い出しても、それなら仕方がないと言わなければおかしい。

北方領土が日本ではないと感じるなら、沖縄の方がもっと強い意味で日本ではなかった。歴史はそうであったのだから。

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もし沖縄がまだアメリカ統治下にあるとき、日本には戻らず、さりとて独立した軍隊をもつことも選ばず、アメリカなりイギリスなりが保証国となって永世中立国としての地位が認められていたら、どうなっていただろう。

時代は、おそらく昭和20年代後半。日本本土は独立してからまだ日が浅い。内地に駐留していた米軍もあまたいた。

沖縄が非武装化されるなら、在日米軍の重点配置地区は沖縄ではなく、おそらく鹿児島県大隅半島、あるいは朝鮮半島に近い岩国基地。

沖縄という国は日本語を使用する永世中立国となり、日米にはやはり安保条約というものがあり、米軍は主として鹿児島県、山口県に配置される・・・・・・。

そんな想像をするのも歴史シミュレーションとしては面白い。

ま、薩長政権が明治という時代をつくり、その最後の結末として戦争に敗れ、米軍基地の大半を県内に配置されるという負担を抱えて現在に至る。

そんな図式になっていたかもしれず、もしそうであれば、それはそれで歴史を通した倫理の現実化という面では納得に行く結果であったかもしれない。

★ ★ ★

現実は夢想よりはずっと過酷である。

もし日米同盟を根拠に沖縄県内に多数の米軍が配置されているなら、ロジックからいえば多数の自衛隊も配置され共同で軍事活動をしているのでなければ、理屈に合わんだろう。

そんな姿になっていれば、たとえ最善の選択ではなかったかもしれないが、日本という国の統治下に戻るという選択をした沖縄県の人たちに、少しは納得のできる形になろうというものではないか。

これは日本のために日本人がやっている軍事活動なのだ、と。少なくともそんな情景でなければ、占領されているかのような感覚は抑えようがないわな、と。暮らしている郷土であれば誰しもそう思うはずである。

これまた歴史的シミュレーション。百戯の中である。


2016年12月15日木曜日

断想: 今日のATMは混んでいた・・・

小生が暮らす港町も白一色になった。昨日は、仕事の合間に年末・年始用の絵を水彩で描いていたのを一挙に仕上げた。水彩といってもガッシュで、支持体は水彩紙ではなく、キャンバス"Aqua Claessens"を使っている。中々、というより非常に気に入っている。

油彩は足し算、水彩は引き算。油彩は碁に似ていて、水彩は将棋に似ていると常々感じていたので、透明水彩なるものに苦手感がずっと尾を引きづっていた。ガッシュは、同じ水彩顔料とはいうものの、その表現手法は透明水彩とはまったく違い、異文化の世界である。これが油彩に慣れてきた者としては体感的にピンとくる。

ただ、絵具に置いた上に絵具を乗せると、往々にして溶け出して、混色されてしまうのには面食らったが、それはそれで水彩特有の想定外を演出することができるので、面白いと感じるようになった。


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それで、今日はカミさんと買い物に同行した。まず郵便局で用事があるというのでよると、結構混んでいる。次に、銀行通帳がATMを通らなくなったというので支店に行くと、ここもATMの前には結構人が並んでいる。スーパーに入ると、混雑である。『どうしたのかねえ?』、『今日は年金支給日じゃなかったかなあ・・・』。

そうか役所も俸給支給日は15日から16日だ。年金もそうなのか。それでATMというわけか。


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門をいずれば 我もゆく人 秋の暮

蕪村の名句である。

年ふりて 我も年金 雪の朝

こんな生活はまだ少し先のことだが、偶数月の15日には待ってましたとATMに駆け付けるのだろうか。クレジットカードや電子マネーががあるので、現金の必要性は昔よりは低下していると思うのだが。

2016年12月13日火曜日

妄想:時代によってキーワードは変わる、「偽善」と「責任」

少し前にNHKでドラマ『夏目漱石の妻』が放映され中々の出来栄えであると評価も高かったようだ。もちろん小生も毎回楽しみにしてリアルタイムで視聴した。

漱石の作品は大体は読んだ。明治生まれの祖父が好きだったので影響を受けたきらいがある。

漱石がよく使う言葉は「偽善」、あるいは「偽善者」である。作品中ではヒポクリットとフリガナが振られていることが多いが、この言葉の意味が実感としてわからなかったのは10代という年齢を考えれば無理はなかった。言うまでもなくネガティブな意味合いで使われているのはわかった。しかしながら、「偽善」のどこがいけないのか、それが感覚としてわからなかったのだ、な。

今では(勿論)わかる。そして偽善なる行為・発言が嫌でたまらないのは漱石と同じになった(と思う)。

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現代日本語で言うと、「偽善」イコール何になるだろう?

さっきまで風呂につかっていてふと思った。ひょっとすると「ぶりっ子」というのは偽善になるのではないか。「風を読む」、これも偽善かもしれない。心のホンネを隠して他人や社会にこびるような発言をしたり、気に入られる行為を故意に見せたりするのは、典型的な「偽善」である。

漱石は人間のそういう行為が嫌いであったようだ。とすれば、当然のことながら非社交的になるわな。確かにそうであったようだ。成長する過程において、状況の変化により手のひらを返すような「裏切り」を経験してきたことが原因かもしれない。

人間たるもの、いつかは決定的なタイミングで本音を出すものである。だから「偽善者」は危険なのだ。

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そんな「偽善」という言葉が使われる場面は最近ではほとんどなくなっている。日常的にネガティブな議論をしている時によく使われるのは「責任」という言葉だ。

何をしても「責任」を問うのが現代社会の井戸端会議である。何事も誰かの責任において管理運営されている、と。そんな共有感覚が日本社会に浸透しているためだろう。

「偽善」と「責任」。この二つの言葉には関係がある。そもそも偽善者は物事の責任を負うつもりはない。責任は、本来、リアルな概念である。自分の命をすらかけなければならない時もある。それが「責任」である。偽善者は責任をとろうとしない。だから漱石は何より嫌いだったのである。

責任から解放されれば、人は善人になれる。また善人でありたいと願うものだ。リアルな「責任」などと野暮なことをいわず、「人間関係」だけを目的にすれば、誰でも人は「偽善者」になる。というか、「偽善者」になるのが最も合理的である。

もちろん、リアルな意味で責任を持つ人がいなければ、社会は運営できない。そんな覚悟をもった人間が社会を本当の意味で管理する。必然的に、そんな種類の人は偽善者ではない。

ここまで言えば、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の大審判官で次兄イワンの語る社会哲学とほとんど同じになる。

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なんだか話が難しくなった。

心づくしが「偽善」だと言われることはあるだろう。「おもてなし」が「偽善」だと言われることもある。「おもてなし」が偽善ではなく、リアルな心を表現する行動なのだと相手に伝えるには、真に100パーセントの本気の気持ちで、相手と交流することが大事だ。

「おもてなし」を人間関係の面から語る時、なんとなく嫌な気持ちになるのは、小生がへそ曲がりであるからだ。とはいうものの、まったく的外れの感覚でもないと思っている。


2016年12月7日水曜日

この2、3日; 日本語の変化と統計教育の変化を思う

北海道地方はこの2、3日、にわかに冬らしくなり、昨日の吹雪のあと今日は冷え込んでいる。空は晴れているが雪晴れというやつであって、真冬日である。

若ければ、宅から車で10分のところにあるスキー場に急行していただろう。

昨朝、居間のカーテンを開けながら『結構、雪ってるなあ』、そんな単語が口をついて出たら、カミさんが「エッ?」と聞き返した。

雪ってる、そんな動詞はまだ現代日本語にはない。が、面白くもあるではないか。

「イヤア、雨ってるねえ・・・」、意味は通じるはずだ。そもそも、「曇ってる」という動詞がある以上、「雪ってる」、「雨ってる」だって、あっても可笑しくないだろう。神ってる、はちょっと違うような気もするが。「雨が降っていますね」よりは「雨ってますねえ」のほうが生活実感があるようにも感じるのだ、な。

言葉は風俗や生活習慣と同じで、これまでにも変態に次ぐ変態を遂げてきている。「をかし」という形容詞の意味は現代の「おかしい」と全く変わってしまったし、現代語の「すごい」も昔の「スゴシ」とはまったく意味が違う。

雪が降るを語源として「雪る」という動詞が派生する。ごくごく自然なメタモルフォーゼである。そもそもイタリア語もフランス語ももとはラテン語なのである。



***



学部向け授業の数理統計学も終盤である。昨日はカイ二乗分布と不偏分散の関係をとりあげた。

が、どうなのだろう。たとえば身長の分布が正規分布$N(170,10^2)$になっているとして、そこから6人の無作為データをとって不偏分散$\hat{\sigma^2}$を算出するとする。その値が144を超える確率はいくらあるのだろうか。そんな例題をとりあげた。

解答するだけなら、
jikken <- replicate(10000,var(rnorm(6,mean=170,sd=10)))
という10000回程度ののシミュレーションを行えばいい。そうすれば
sum(jikken > 144)/10000
実際に144を超えたケースの回数を数えるだけだ。大体20%程度の確率で不偏分散の値が144以上になるサンプルが出てきうるわけだ。

「これだけを知りたいなら、カイ二乗分布やそれが不偏分散の値とどのように関係づけられているかという勉強はいらないのですよ」と、そんな数理統計学担当者としては不適切な説明もせざるをえないのが、最近の統計教育の現状である。

ここを理論的にやれば

$$
P\left( \hat{\sigma^2} > 144 \right)
= P\left(\frac{10^2}{6-1} \chi^2_{6-1} > 144 \right)
= P\left( \chi^2_5 > 7.2 \right)
= 0.2061859
$$

となるのだが、普通の履修者にここまでさせる必要はないだろう。

更に、不偏分散という統計量の分散がどの程度出てくるのか。これまたたった1行の実験から様子はわかるのである。それを理論的に詰めると:

$$
V\left[\hat{\sigma^2}\right] = V\left[ \frac{10^2}{6-1} \chi^2_5 \right] = 20^2 \times 10 = 4000
$$

『この4000は、実験結果から得られる分散4084と大体近いでしょ?』、と。理論計算は、だから、事実にも当てはまっている。こんな講義になるのであるが、こんな風に理論的に成り立っている結論をわざわざ実験で確かめるのが必要かという疑問もあるだろうし、Rという統計ツールで簡単にわかる事柄に数学を使って考えさせる。これは統計学なのだろうか。そんな疑問をも感じるのだ、な。

数学の勉強に使っている時間を統計分析ソフトの勉強に使った方が生産性は遥かに高い。

確かに大学の統計教育は激変期にあるようだ。

2016年12月3日土曜日

荷風全集が届いた晩に思う

荷風全集が昨晩届いた。夕刻まで待っても届かないので、何かの事情で遅れたのだろうと、カミさんと話していた。

ところが、夜の9時半も過ぎてから電話があり『これから届けにうかがってもいいでしょうか』と。『まだ仕事をしているんだねえ』、『ブラック企業なんじゃないの』とカミさんも驚く。全集は四六判だが29冊揃うとなると結構ずっしりと重い。ダンボールを肩にかついだ担当者が玄関から入ってくる時は流石に気の毒に感じ、『重かったでしょ?』、『そうですね、結構・・・』、『本当に有難うございました』。やはりブラック企業なのかねえ・・・。

『あれだけ頑張って仕事をしていくらもらっているのかしらねえ』とカミさんは細かいことを云うが、ひょっとすると、もはや大した仕事をしていない小生よりも、案外水揚げは少ないのかもしれないと、そんな風に予想したりもする。

「格差拡大」がそれ自体として悪いというロジックは存在しない。悪いと云う人、構わないという人、すべてその人の価値観からそう言っている。そんな議論は本ブログでもとっくの昔にすませている。しかし、現在の賃金のあり方は確かにおかしい、と。直感的にそう感じるのも事実なのだな。

どうもロジックと感覚とが離れてきている。

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「競争」を良いこととして大前提をおくと、より多くの結果(=収入・成果)を少ない努力(=コスト)で得てこそ、その人(会社)は高く評価されるのである。

故に、頭脳と知恵 − それに天賦の才能があればなおさらいいが − で楽をして、利益を要領よくあげる人は豊かになる。逆に、大した利益にならない事に時間と労力を用いるのは愚かである。競争社会ではそんな風に考えることになってしまう。

この考え方からビジネススクールの顧客志向。プロダクトアウトよりはマーケットインという方向性はすぐに出てくる。
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しかし・・・。小生はへそ曲がりだ。どうも割り切れない。

カミさんと一緒に遅い朝食をとりながら朝ドラを視るのが、ここ数年の習慣になっているが、本日放映された「べっぴんさん」はこんな話だった。大手デパートに納品できるチャンスが舞い込んできたのだが、相手と相談するとシャツの襟裏の自社ブランド名を使えなくなるという。それは嫌だ。やっている意味がない。「この話はなかったことにしてほしい」と。これは自分たちがやりたいと思っている「仕事」ではないと。

我儘である。世間をなめている。ドラマはこんな展開だ。

が、「仕事」とは結局は何なのだろうか。自分にとって、である。でないと意味が伝わらなくなる。どうやらこれがドラマの基本テーマらしいのだな。

ビジネススクールでは『自分たちがいいと思っても、客がいいと思ってくれなければ、いいとは言えないんですよ』。そんな説明を常にやっているのだが、本当にそうだろうか?

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客に買ってもらえるのを有難いと考える所から話を始めてもよい。なるほどオーソドックスだ。一方、良いモノを作ってくれるのは有難いと考える所から話しをしてもいいだろう。

「いい仕事」をしたい。仕事をするときに思うことは、誰でも同じだろう。とすれば、どうすれば売れるかではなく、どうすればいい仕事が出来るのか。毎日を意味のあるものにできるのか。この問いかけに関心を持たない人はいまい。

いいモノを作ったからと言って、それで儲かるとは言えない。それは確かだ。しかし、いい仕事をしてきた人は、結局、チャンスが向こうからやってくる。社会はよい仕事師を放ってはおかないものである。これも少ない経験からだがわかっている。もちろん逆は逆である。ダメな仕事をしても結果はよいことがあるが、それは単なる運である。持続可能性がない。

よい仕事の本質を考える。こちらのほうが、今の日本には実はより必要な問いかけかもしれない。

人間集団である会社がよいビジネスをするより、少なくとも自分は良い仕事をしようと努力する。こちらのほうが、問題としては正解がありそうではないか。

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とはいえ、聖人君子でない限り『人知らずして憤らず、亦た君子ならずや』という境地にはならないものだ。むしろ『恒産無くして恒心無し』。金欠病は人の心を荒ませるものだ。

一国だけで「福祉国家」をきどっても、他国が競争原理主義をとれば、国全体が金欠病になる。

とても難しい問題だ。政治で解決するわけにもいかないし、ね・・・