2016年12月23日金曜日

好きになれない『働き方改革』という言葉

安倍政権の一枚看板は『働き方改革』である。その推進ということもあって総理が労働組合・連合の神津会長と会談したという記事があった。

まあ、自民党政権の総理が労働組合のトップと会って悪いわけじゃあない。しかし、「シックリ来ねえなあ・・・」と言いたくなるのは小生がへそ曲がりだからである。

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『働き方改革』とは一体何を言いたいのだろう。

働くのは個々の普通の日本人なのだから、「働き方」くらいは自分で決めればよいではないか。

正規社員と非正規社員を分けることは止めよう。差別は禁止して同じ賃金を支給する。非正規社員にも賞与を支給する。主婦が仕事をしやすい環境にしよう、と。政府は色々と勤労者の側に立った提案をしているが、そもそも「政府」、というか「政治家」が自分の仕事に取り組んでいる普通の日本人全体が喜ぶようなことを真剣に実現しようとするものだろうか。そうしたいはずだと期待するその理由は小生には理解不能である。

『働き方改革』とは、1990年代から推進されてきた新自由主義、規制緩和、成果主義等々の方向転換のことである。それは「ゆとり教育」の見直しとほとんど違いはない。なぜ転換するかと言えば、企業という生産現場において、その欠陥が次第に明らかになってきたからである。更に、いま高齢化が進んでいる。人手不足である。働きやすいシステムを作るのは生産現場の要望である。賃金上昇を抑えることができる。この点が(ほぼ唯一の)ポイントである、な。

政府が財界に求めている賃金引上げとバランスをとる、いわば「埋め合わせ」であろう。

単にそれだけのことではないか。

大体、『働きやすい』といえばイメージは良いが、同じことは『雇いやすい』でもあるのだ。この点から論評しているメディアを、小生、見たことはない。

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マスメディアが「働き方改革」の推進を大義に掲げ、にわかシンパになって旗を振っているのはマッコト滑稽としか言いようがない。

いま必要なのは、高齢化と人出不足が進行するなら、そのための賃金上昇をモチベーションにして、ロボットやAIの導入を加速し、サービス部門の生産性を上げる。それがロボットやAI産業を発展させて就業機会を増やす。社会全体が豊かになる。これが最優先、というより抵抗し難い時代の流れというものだ。もう10年も前からわかっていることである。その方向を歩んでいけるような経済社会システムを考えることが現時点の課題だろう。賃金と利益、所得のありかたについて根底から考え直すことも大問題になるはずだ。

「働き方改革」を成し遂げれば、生産性は上がるか?生産性は下がる。ほぼ確実にという形容詞をつけておく。そして生産性が上がるモメントを阻害する効果を持つだろう。

生産性が上がらないことをするのは自由だが、競争優位性を築く手法ではないので、浸透するとか、拡大するという方向には向かわない。

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まして働き方を改革してもらって、仕事をするから社会に貢献していると勘違いし、それが一生の目的だと思い、だから家庭で過ごす時間を減らし、仕事につく時間を増やし、そうして自分の充実した人生がおくれる、と。こんな風に思う日本人が増えていくとしたら・・・もし、そんな社会になっていくなら、これは文字通りのあれだネ、チャップリンの『モダンタイムズ』だ。

ロボットに対抗しようと、人間がロボットのように働こうなど、アホのやることですぜ。社会の基盤である家族や家庭が破壊されるだけの結果になるだろう。

大体からして、家族や家庭の存在価値は法律上きわめて軽いものになっているのが、近年の潮流である ― 相当の保守的立場からではあるが。

「働いて」得るものは要するに「食い扶持」である。つまるところ、自分と家族が幸福になるためのカネである。戦友は命をかけた修羅場をともにするので親友となるが、仕事仲間は大体がカネでつながった縁だ。カネをもらう場でつながった知人は友人とはなり難いものである。

地縁・人縁とはいうが、金縁という言葉は辞書にない。『仕事は裏切らない』とよく言われることがあるが、統計的にみれば仕事に裏切られた人の方を数多く知っているような気がする。仕事を抜きで信じられる人をこそ愛することができ、また裏切られることもないのだと思う。

こんなことを書くとは、「流石はへそ曲がり」でありんしょう。

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