やれやれ、オスプレイは事故のあと飛行再開。辺野古も埋立て工事再開。これでいいのか、ということでマスメディアも結構批判的なトーンが強い。
そういえば、先般の新潟県知事選では柏崎原発再稼働を認めない(のは確実な)知事が誕生した。これは日本のエネルギー国家戦略が揺さぶられるほどの衝撃に(多分)なるだろう。
他方、沖縄で起きた今回のオスプレイ飛行再開と最高裁判決だが、今後沖縄県の人たちが日本という国の中でどう生きていくか、どんな未来を描くか、根底にまでさかのぼって考える一つのきっかけになっていくかもしれない。そんな風に、小生、思うのだな。
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12月の大きな「イベント」としては、やはり日本の首相とロシアの大統領が会談して、北方領土や経済協力について協議が行われたことが挙げられるだろう。
その北方領土だが、せめて小さな歯舞・色丹島は「返還」されるのではないか、と。日本の側ではそんな期待が高まっていたものである。
しかし国後島も択捉島も江戸時代からずっと日本の領土であった。日本(幕府)がロシア帝国と条約を結び国境を定めるまでは、二つの島に「国」というものはなかった。
北方領土が日本の統治から離れたのは第二次世界大戦の後である。ロシア政府がいうように「第二次世界大戦の結果」であると言えば確かにそうとも言えるが、「領土不拡大の原則」には違反した事例となっている。客観的にはそうなるのだろう。だから紛糾している。当のロシアにも今さら解決への名案などはないのだろう。
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沖縄は北方領土とはまったく違う。
そもそも江戸時代には沖縄には琉球王朝が存在していた。沖縄が公式に日本の領土になったのは明治5年。明治政権による琉球処分から以降のことだ。そして、第二次世界大戦に敗れ明治政権が崩壊した後、沖縄は再び日本の統治から離れ、アメリカが支配した。日本の統治下に「戻った」のは、1972年になってからだ。
もし、沖縄がアメリカに統治されている期間、地元の人たちが日本の統治下に戻ることを嫌悪し、歴史を通した沖縄の独立をアメリカに説明し、日本から独立した国家を形成したいと願望していれば、歴史の経緯から沖縄が単純に日本の統治下に戻るということはなかったのではなかろうか。そう思うことが、小生、ずっとあるのだな。
沖縄という土地が日本の一部だと主張するなら、それよりはもっと大きな声で国後島や択捉島が日本であると言わなければ、つじつまが合わないのだ。
しかし、世間ではそんな受け取り方はしていないようだ。
北方領土は戻らなくとも仕方がない、と。そう日本人が考えられるなら、沖縄県が日本の統治を離れて独立したいと言い出しても、それなら仕方がないと言わなければおかしい。
北方領土が日本ではないと感じるなら、沖縄の方がもっと強い意味で日本ではなかった。歴史はそうであったのだから。
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もし沖縄がまだアメリカ統治下にあるとき、日本には戻らず、さりとて独立した軍隊をもつことも選ばず、アメリカなりイギリスなりが保証国となって永世中立国としての地位が認められていたら、どうなっていただろう。
時代は、おそらく昭和20年代後半。日本本土は独立してからまだ日が浅い。内地に駐留していた米軍もあまたいた。
沖縄が非武装化されるなら、在日米軍の重点配置地区は沖縄ではなく、おそらく鹿児島県大隅半島、あるいは朝鮮半島に近い岩国基地。
沖縄という国は日本語を使用する永世中立国となり、日米にはやはり安保条約というものがあり、米軍は主として鹿児島県、山口県に配置される・・・・・・。
そんな想像をするのも歴史シミュレーションとしては面白い。
ま、薩長政権が明治という時代をつくり、その最後の結末として戦争に敗れ、米軍基地の大半を県内に配置されるという負担を抱えて現在に至る。
そんな図式になっていたかもしれず、もしそうであれば、それはそれで歴史を通した倫理の現実化という面では納得に行く結果であったかもしれない。
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現実は夢想よりはずっと過酷である。
もし日米同盟を根拠に沖縄県内に多数の米軍が配置されているなら、ロジックからいえば多数の自衛隊も配置され共同で軍事活動をしているのでなければ、理屈に合わんだろう。
そんな姿になっていれば、たとえ最善の選択ではなかったかもしれないが、日本という国の統治下に戻るという選択をした沖縄県の人たちに、少しは納得のできる形になろうというものではないか。
これは日本のために日本人がやっている軍事活動なのだ、と。少なくともそんな情景でなければ、占領されているかのような感覚は抑えようがないわな、と。暮らしている郷土であれば誰しもそう思うはずである。
これまた歴史的シミュレーション。百戯の中である。
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