明治憲法の改正手続きに則して日本国憲法は公布・施行された。これが(一応手続き的にも)公式の見解になっている。が、そんなことは可能かという問題が学会にはあると耳にしている。
ここで一つの問題:
日本国憲法の改正手続きに則して明治憲法に戻すことは論理的に可能か。
結論:
論理的には、可能だ。
◆ ◆ ◆
なぜそうなるかを以下にメモしておく。
一見すると、国民主権を原理とする日本国憲法から天皇主権を基礎とする明治憲法が導かれるはずがないと思われる。
簡単のため次のように記号を定める。「明治憲法を是とする」を命題A、「日本国憲法を是とする」を命題Bとする。現在の公式解釈は(論理としては)「AならばB」である。
仮に日本国憲法から明治憲法は導かれえないのだすれば、その命題は「BならばAでない」になる。ところが、この対偶をとれば「AであればBでない」となる。これを言葉になおすと「明治憲法を是とすれば日本国憲法は是にならない」となる。しかし、現に明治憲法から日本国憲法が導かれたと公式には解釈されている。故に、上の命題は真ではない。ということは、その対偶もまた真ではないことになる。即ち、元の「日本国憲法から明治憲法は導かれえない」という命題は偽である。故に、「日本国憲法から明治憲法は導かれうる」。
要するに、明治憲法の改正手続きから日本国憲法が制定されたのだと考えれば、日本国憲法を改正して明治憲法に戻すことができる。もちろん、国民投票でどうなるか、それは分からない。しかし、そんな改正が行われたとしても、決して不合理ではないわけだ。
上の議論は東大法学部の正統とされる「八月革命説」とは異なる。この学説に立てば、明治憲法から日本国憲法は得られない。昭和20年8月に(概念上の)革命が起きたと考える。もしそう考えるなら、日本国憲法から明治憲法は出てこない。実態としてはこちらが正しいのだろう。しかし、仮にそう考えるならば、今度は明治憲法を廃止して新たに日本国憲法を制定したのは誰か、という問題に解答する必要が出てくる。
この問題は、歴史的事実をどう認識するかという問題レベルを超えるものらしく、憲法学界でも一致した答えが未だにないようだ。このこと自体、一種、驚きでもある。が、まあ、それはそうかもしれない。まさか「アメリカ人が制定した」とは法理からして言えまい。なぜならアメリカ人には日本の憲法を制定する権利がないからだ。それとも連合軍が表明した意志として憲法改正が含まれていた。占領中であれば可能であった。実態はこれに近かったのかもしれない。が、そうであれば、日本国憲法は「民定憲法」とは言えないであろう。国民が制定したわけではないなら「国民主権」であるとも言えないかもしれない。これよりは明治憲法の改正手続きに則して日本国民が日本国憲法を定めたと解釈する方が収まりがよいかもしれない。どうもこれまたハッキリした統一見解がないようだ。
「戦後日本」の古くて、最も重要な出発点が、現・統治構造の下で今なお不明確である。ここは認めざるを得ないのではないだろうか。だから憲法の正当性に疑いをはさむ集団が存在する。ここから様々な問題が対処されないまま問題としてそこに現存するわけだ。
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