2017年10月11日水曜日

今後の課題メモ: 美人の社会学? 女性の社会進出の一側面

「女性が輝く時代」、「女性の社会進出」というキーワードには小生は心底から賛成だ。亡くなった母は『お母さんは何も仕事ができないのが残念だわ、戦争で諦めたけど本当は帝国女子医専ていう学校があってネ、高等女学校を出たら、そこに進学したかったのよ』と、何度小生に話したかわからない。母は専業主婦であったから、父と結婚して主婦となってからは、いわゆる<仕事>というものを持つことはなく、ひたすら家庭の中で家事を担当して人生を生きた。成長してから調べてみると、母が進学したかったと言う「帝国女子医専」は現在の東邦大学医学部であることがわかった。

それでも母はそんな仕方で社会で重要な役回りを果たして生きたことに違いはない、と。そう思っている。他人では代替できない役回りを担っていたからである。そんな社会システムであったのだ。カネをもらってやる仕事と、カネをもらわずにやる仕事と、どちらが立派な仕事ですかと問われれば、人は答えるのに迷うだろう。

なので、女性の社会進出は母が聞けば当然のこと「いい世の中になったわね」と、そういうに違いない。

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しかし、どうも疑問に思うときが増えてきたことも事実だ。

世の中、色々な仕事がある。しかも人間の半数は男性である。ずばり『美人の女性はそれだけでエラくなるのに有利になるのではないか』。この問題はキチンと調べる必要があるのではないか。そう思うようになってきたのだな。

日本人は美人好き。いつだったか、いい加減な言葉だが、目にしたことがある。もちろん、「日本だけでそうだ」ということなら王朝時代の中国で「傾国の美女」やら「傾城」などという単語が生まれるはずがない。「クレオパトラの鼻がもう1センチ低かったなら世界の歴史は変わっていたであろう」というパスカルの言葉も同じだ。「美人」が世の中で果たしてきた役回りはどうやら国を問わず普遍的なものであるようだ。

魔女は絵本ではお婆さんの姿をしている。が、これは本当は奇妙だ。老婆は力弱き人間の象徴である。おそらくメッセージとしては「本当の姿は年老いた老婆である」という設定、物語のプロットとしての定石が<魔女=老婆>なのだろう。そして、人の前に現れる時は必ず美人になっている。美人に扮している。人は一般に他人を疑うが、美人には騙されるからだ。振り込め詐欺の例を引くまでもなく、お婆ちゃんは騙される立場におりがちであって、騙す方ではあるまい。人を騙すなら、お婆ちゃんより美人のほうに競争優位性がある。

若い頃からの小生の疑問は、『本当は老婆であるが、人前には美人に化けて現れるという童話がこれほどまで多いのはなぜか?』という問いである。

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これまでに述べたことと、政治家には世間全体の比率に比べて<美人>が相対的に多いような印象があることと、何か関連性はあるのだろうか?世界的大企業の取締役以上の女性経営者にも、やはり<美人>が相対的に多いような気がする。この点もまた調べてみると、何か面白い結果が得られるのではないだろうか。

特に社会の支配的地位につこうとする場合、多くの人の支持を得る必要がある。そんな時、特に女性が進出する場合には、美人であることが相当有利ではないのだろうか?

小生、今後のちょっとした「調査課題」として「美人の社会学」というものがあるのではないかと、そう思い始めているところだ。

『美人には気をつけよ』、古代から言い伝えられてきた言葉であるが、この格言と「女性の社会進出」という大きな目標と、どこか関連づけて考察する必要があるのではないかという問題意識だ。


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