2017年10月9日月曜日

個人に政見があるなら新聞社にもあって当然だ

選挙の公示日は明日だが、いまだに小池百合子都知事兼希望の党代表が出るのか出ないのか、世間の見方は分かれている。

まったくヤレヤレである。『お父様(=小泉純一郎元首相)とも約束しております。私は出馬はいたしません』とも言っているわけだ。にもかかわらず・・・、やっぱりこれまでの<虚言癖>がなせる情況なのだろう。

バカバカしいこと限りなし。

以下のような書き込みもある。
日本記者クラブでの党首討論後の報道各社の論説委員などからの質問を聞いていたが、一部の質問者はジャーナリストとして大丈夫かと疑問を感じるとともに、ジャーナリズム出身者として恐ろしくなった。
今回は衆院選にあたって、有権者に各党の主張やそれに対する疑問点を聞く場である。それに加え「問題」とされる部分についても聞く。
当然、厳しい質問もある。
しかし、今回の質問者は、自らが所属する新聞や自分の主張に基づき、やりこめてやろうという質問の仕方で、しかも答えている途中で答えをさえぎるという失礼なことをしていた。
質問相手が答えに窮するぐらいの詰将棋を見たかったが、自分の思い通りに進まないと質問をかぶせるなどしており、全くそのレベルに達していなかった。
(出所)BLOGOS、2017年10月8日

著者は和田正宗参議院議員である 。同氏はNHK出身の自民党所属議員であるから、まったく100パーセント中立的な意見であるとは言えない。と同時に、しかし、朝日新聞にせよ、毎日新聞にせよ、<社是>というか、会社の理念が反・安倍政権、反・改憲であるのは歴然としている。

個人個人にはその人の支持政党がある。無党派にも意識されないイデオロギーがある。人は何かの価値観、自分で大切にしているホンネがあるもので、だからこそ人は誰かの奴隷ではなく、自分でいられる。そうじゃあござんせんか。故に、人間集団であるマスコミ各社にも必ず<社是>、その会社の多数派の政見というものが事実としてあるはずなのだ。

朝日新聞社も毎日新聞社も、中立的な<社会の木鐸>とか、(何か客観的な真相についての)<知る権利>など、そういう綺麗事をいうのはもう止めて、自らの立場や政見をはっきりとさせるほうがフェアではないのだろうか。『これから総理には対立的/敵対的な立場から幾つか質問をさせていただく』と、はっきり言えばよいのだ。これもまた権利なのだから。『失礼なことも言うかもしれないが、お許しいただきたい』とまで言うかどうかは大事でないが、言えば礼儀にかない、紳士的であるとリスペクトされるだろう。

実際、産経新聞や東京新聞は自らのポジショニングを明確にしている。だから、社説や政治欄は<偏向>している。偏向しているが、これもまた新聞社の権利なのだから、あやまる必要はない。

政治的な意見は常に特定の価値観や社会観、世界観が大前提になっている。大前提そのものの是非を論争し始めると社会が分断される。故に大前提として持っているイデオロギーや世界観については多様性を認めて争わず、人の内面については権力を行使せず、社会の分断を避けながら、具体的な政治問題について言葉で意見を主張する。実行可能な妥協を探る。これが現実そのものである。そうである以上は、マスメディアもまた自分の立場を明らかにしておくべきだ ー 立場を明らかにすれば販売部数は当然ながら落ちるかもしれないが。

トランプ大統領の敵が"New York Times"であり、"CNN"であるのは明らかだ。味方が"Fox News"であるのも明らかだ。立場、価値観が明らかであれば、書かれている記事の目的も明らかになる。もちろん敵対的立場の人が持っている意見を知ることも意義がある。だから多くの立場から意見が主張されている状態が望ましい。それがマス・メディアだ、いやマス・コミュニケーションというともっと正確になる。

インターネットで高度に情報化された21世紀ではもう<全ての国民のための中立的報道機関>という存在はありえない。無理であるし、偽善である。また、必要でもない。

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