10年以上も昔になるか、ドラマ『世界の中心で愛を叫ぶ』の中で病室で闘病中の廣瀬亜紀(綾瀬はるか)が松本朔太郎(山田孝之)にいうセリフ「キスでもしませんか」を身近なバージョンに置き換えた情景を夢に見たのだ、な。実に新鮮であった・・・
というのはさておき、本日、現役時代の最後の授業を行う。(代わり映えしないことに)来年度もまったく同じ授業を担当する。但し、報酬は実に30分の1となる。まあ、非常勤になるので仕方がない。
ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
われらの恋が流れる
わたしは思い出す
悩みのあとには楽しみが来ると
日も暮れよ、鐘も鳴れ::アポリネール「ミラボー橋」堀口大学訳より
月日は流れ、わたしは残る
恋は過去の出来事になって遠く去りゆき、小生はここに残っている。それでもなお、将来を予想するのは小生の個人的趣味である。
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少年から青年にかけての時代、イギリスではミステリー作家、サスペンス作家が隆盛を極めていた。フレミングやルカレは好きだったし、いまでは右翼的言動が忌避されて日本国内では販売されなくなったジェラール・ド・ヴィリエもフランス人ではあったが愛読したものだ。007やジョージ・スマイリーが虚構の人物であるなど、信じられないほどだ。
あれだけリアルな世界を作中で構成できたのには現実の裏付けがあったのだ。
確かにイギリスには情報戦を展開するだけの現実の裏付けがあったのだ。第2次大戦後の冷戦期だけには限らない。19世紀の中東地域でロシアと対立する中で、フランスとアフリカで対立する中でも、幕末の日本でフランスやドイツと対立する中でも、イギリスは常に情報を欲していた。だからスパイ網の構築は不可欠であったのだな。1950年代以降、ソ連のKGBとイギリスのMI6のツバゼリ合イは、英国民の誰でもが身近のテーマとして関心をもち、小説世界と現実とが融合しているかのような興奮を感じただろう。知的興奮をもよおさせる国際環境はゆうに100年は続いた。イギリスに分厚いサスペンス小説が蓄積されたのは偶然ではないだろう。
「だろう」というより「そうであったに違いない」と、現時点の日本人としてはよく共感できるようになった。イギリスとソ連、ロシア、ドイツではなく、日本と中国、北朝鮮(それと韓国?)に関係国が置き換わってはいるが。
今日のイギリスではカズオ・イシグロが綴る枯淡で美しい小説世界が読者を魅了しているようだが、これと入れ替わりに、これからの日本では東アジアでつばぜり合いを演じる日本の諜報部員と中国の軍事スパイ、産業スパイとの抗争劇が多数のファンを獲得するに違いない。さて、その日本の諜報部員だが・・・組織の存在自体が広く知られることはないはずで、この事情はイギリスのMI6と同様である。まあ、内調か法務省の公調あたりだろうか。
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綾瀬はるかが演じたドラマ『奥様は取り扱い注意』が好評だったが、これも一つの兆候だろう。1960年代の刑事アクションもの、1970年代のホームドラマ、1980年代のトレンディーと、その時々のヒット曲と同じく、ドラマもまた時代や世相を映す鏡であった。その背後には世間で共有されている感覚、興味、関心というものがあった。いま足元では、日本国内で発生する事件を国内で解決するミステリーものが人気だが、やがて舞台は国境を超えて、アジア全域へ、中国、朝鮮半島に広がり、さらにはロシア、インド、オーストラリア、南太平洋の島々へと舞台は拡大し、日中間の仁義なき闘争が繰り広げられるアクション、スペクタクル活劇が企画されるようになるだろう。
資金は、そう・・・半分以上は中国が出すかもしれない。中国の国民の方がまず日本を相手にするサスペンス・スパイ活劇をみたい、と。そう思われるからだ。これまで製作されてきた低品質の抗日映画はよりソフィスティケートされた知的ゲームへと進化するはずだ。まず中国側にこんな需要があると憶測する。
まあ、中国から見れば、日本は(いまのところ?)「アメリカの名代(≒家来)」という感覚であろうから、日本の諜報部だけではなく、アメリカのCIAもまた、登場させるであろう。この辺り、多分、日本人としては見ていて忸怩たる感想をもつ作品が多くなるかもしれない。ホントにねえ・・・明治以来、中国大陸で暗躍した陸軍特務機関の伝統もまた月日が流れるとともに遠く去ってしまったのか。対中諜報でアメリカのCIAに負けるはずはないと思うのだが。
いずれにせよ、映像で新たな潮流が生まれてくれば、やがて脚本、小説でも新しい作家が続々と登場するのは必然の成り行きだ。
イギリスとソ連に限らない。英仏、英独、英蘭、英西、独仏、独露、仏伊等々、それぞれに領有権、権益をめぐる歴史的敵対関係がある。19世紀・幕末の日本人がすぐに理解したように西洋の国々は戦争を繰り返す中で発展してきたのだ。この事情は、日本と中国、中国と朝鮮半島、中国国内の各地域(?)等々、東洋の世界にも当てはまることだ。
一つ、何よりも大事なことは、軍事機密、産業機密を違法に取得するスパイ活動は、足元では国益を阻害するケースもあるかもしれないが、全体としては国際平和を維持するプラスの効果を持つという点だ。『敵を知り、己を知ることこそ、平和を守る最良の政策』である。敵を知らないことこそ、不必要な戦争を選んでしまう理由であるからだ。