中にはこんな記事もあった。日経の記事である。
経団連の榊原定征会長は5日の記者会見で、学校法人「加計学園」が国家戦略特区に獣医学部を新設する計画が国会審議の主要テーマになっていることに苦言を呈した。「集中して議論してほしい項目が山ほどある。優先順位からすれば加計学園ではないだろう」と述べた。榊原氏は国会で優先的に議論すべきテーマとして、北朝鮮問題やテロ対策、環境政策をあげた。(出所)日本経済新聞、2017年6月6日
経団連会長まで発言していたんだねえ・・・ 忘れていたが。
◇ ◇ ◇
正論を述べても、マスメディアの編集陣は頭の中が真っ白で、思考力を喪失していた、そんな世間の雰囲気が察せられる。後から振り返ると、「なんで俺たちあんなにバカだったんだろうな?」と口にしたくなる時期というのはあるものだ。1940年から41年にかけての日本の政界、官界、軍部、マスコミ、国民すべて、ある種の感情に理性がマヒしていたと言えばいえるのか。まあ、それと同じだ。
ただ、違う点もある。戦前期の開戦前後の詳細はこれからも何度も検討され研究されていくだろう。それほどにまで重みのある混乱であったから。しかし、おそらく2017年の春から夏にかけての紛糾は、登場人物こそ総理大臣とその夫人、文部科学大臣、官房副長官、前事務次官など大した人たちであるが、長期的には記憶としては残らず、その詳細を研究してみようと思う歴史家、政治学者は今後もまずは現れそうになく、ただ時間だけを浪費したくだらない事件として、最後には忘れ去られていく ・・そんな気が今からするのだ、な。
結局、世を騒がせた事件ではあるが(まだ終わっていないと食い下がっている人たちはいるものの)、例えば「バブル崩壊」などとは違って、この件を調査した名著のような書籍は多分現れず、現れても残らず、やがて絶版となり、おそらく<平成期大事件百話>などにも入らず、あと30年もすれば、「なかった事」と同様の状態に収束していくであろうと予想する。現代日本社会を舞台にした、いわば<日の丸を背負った壮大な井戸端会議>であった、と。いまはそんな空しい感覚を感じている。
本当にこれを<付加価値>というのか?
なんの成果も残さず、なんの痕跡も残さず、時代の進む方向を1ミリも変えることができず、ただ声高に騒ぐだけであった・・・とするならば、現代社会でマスメディアに投入されている人的・物的・貨幣的コストは一切が無駄であった、そもそもがエンターテインメントとしての娯楽的消費であったと、そう批判されても仕方がないのではないだろうか。
東芝をつぶす、シャープをつぶす、山一證券をつぶす、拓銀をつぶす・・・民間企業なら運営の上手下手は会社の存否に直結する。しかし、マスメディアというのはどんなプラスの価値を提供しているのか明瞭でない。なので、こうした途方もない浪費がときに生じるのであろう。
ただ、マア、ケインズは『カネを埋めて、それを掘り返すだけでも雇用のためにはやる価値がある』と言っている。これは極端なまでの「有効需要の原理」の説明である。が、いまは人出不足の時代である。生産性の向上が重要な時代だ。マスメディアによる巨大な浪費は避けるほうが理に適っていて望ましい。もっと地頭のよいプロデューサーに番組編成をさせよという要求は、優秀なエンジニアが技術開発に参加することが重要だというのと、まったく同じ意味である。これまた、全要素生産性の向上率が国民の豊かさをもたらすという経済学的原理の一例である。
たかがEvernoteのメモ整理。ではあるが、何かをすれば何かに気がつく。
時には<棚卸し>というか、情報の大掃除をするのもいいことだ。
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