小生は紙媒体の新聞はとっくに放棄してしまったが、株価や商品市況欄は大学の食堂や町の喫茶店に新聞が置いてあれば、今でも必ず目を通して何度でも読み返す。ReuterやBloombergでも毎日確認している。
そもそも新聞が存在した理由は、こういう純粋に客観的な事実情報が整理された形で早く手に入る。この点にこそあったのではないだろうか。記者が文章を書く報道記事は歪曲や偏向が(少なからず?)混在しているにしても、先入観を込めようのない事実報道は今でも非常に役立つものである。
今朝の朝刊である月刊雑誌の広告に目を向けるとこんな文字があった:
- 県庁で「赤旗」を購読する怪
- 「朝日」や「赤旗」を公費で購読しているのはなぜ
アホらしいので雑誌を買ってまで本文を読む気はない。が、上の宣伝文句とその他記事の傾向をうかがうと、どうやら「私たちの税金」で「赤旗」なる共産党の機関紙を定期購読するのは不適切であると言いたいらしく思われる。同じ趣旨で、「朝日」や「赤旗」のような特定の政治的立場にたつプロパガンダ紙は、公費で定期購読するべきではない。多分、税金でうえのようなメディアを発行する企業・団体を支援するなどとんでもないことである、と。どうやらそんな主旨であると思われたのだ。
まったくヤレヤレというものでござる。精神年齢がここまで幼稚化しているのは、文字通り慄然とする思いでござる。「だからこそ、必要なのだ」という大人の思考は、「汚くて、ずるい」としか感じられないような世代が育ちつつあるようだ。
太平洋戦争がはじまると、明治初年にあれほどまで燃え盛った英学熱もどこへやら、「鬼畜米英」がしゃべる言葉を勉強するなどまかりならぬ、と。洋楽など聴いてはならぬ。野球のストライクなどは「よし一本」と言え、と。亡くなった小生の父は、戦時中に官僚たちが押し付ける新方式がいかに非生産的でバカバカしいものであったか、友人たちと散々にバカ扱いしていた。そんな思い出話を何度聞いたか分からない。
同じ時期にアメリカでは憎き敵国・日本を打倒するために日本語学習熱が高まり、日本研究の盛り上がりの成果として名著『菊と刀』、人材としては川端康成の紹介者であるエドワード・サイデンステッカーや永井荷風に心酔したドナルド・キーンなど、実にハイレベルな専門家が輩出し、彼らこそが戦後の日本文化の国際化に大いに貢献したのであった。
彼我の間のこの大きな器の違い。本当に何とかならないものかと、暗澹たる情、この上なく、まことに情けなく感じおり候次第。国小さければ人も小さく、心も小さくなるものなりと、かく言われればその通りかと納得する塩梅にも御座候が、小国弱国からも偉人は生まれ出ずるものなれば、やはりこれも我が国の歴史文化生活に由来せるものかと、かく思案いたしおり候。
ま、こんな感じになった。
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