2秒間の遅れで「あり得ないファウル」になってしまったアメリカンフットボールの1プレー、その後の2プレー、3プレーが原因となって、ついにここまでに至ってしまった。これが民間企業で発生し、自分が当事者であったかもしれないと思うと、つくづく現代の世の中は怖いと感じる。
何度も投稿しているように、<計画された傷害意図>があれば、それはもはやアメリカンフットボールではない。と同時に、アメリカンフットボールという競技は決して危険なスポーツではないとも関係者は語っている。日大アメフト部だけは格闘技だと認識していたのだろうか。
いまだに分からないことは多い。「分からない」という認識が非常に重要だと思われる。
では最近の投稿から:
昔から「因果応報」という言葉があるが、まあ同じような意味合いだ。人間の行為には行為に応じた結果がもたらされるという確信がなければ、人たるもの、人間社会をどう信頼すればよいのだろうか。
故に、被害を超えた報復が加害者に対して結果として社会で行われてしまえば、被害者は単なる被害者としての立場にいつづけるのは難しくなるという理屈になる。
具体的に書いておく。相手に嫌な思いをさせたのなら、自分もまた嫌な思いをさせられても仕方がない。相手を殴ったのなら自分もまた殴られても仕方がない。人を殺害すれば、自分の命を奪われても仕方がない。3千5百年余り昔のハムラビ法典に提示されている「目には目を、歯には歯を」はフェアネスの原初形態である。これによって過剰な制裁が禁止され止めどもない復讐が不正義となった。正義がフェアネスとして表れるという"Justice as Fairness"の観点は現代に生きるロールズよりも実はずっと遡り、ソロモン王の昔まで辿ることができる。
已むに已まれぬリベンジもフェアであることが求められるのである。嫌な思いをさせられたから相手を破滅させるのは不当である。もしこれをやれば過剰制裁となる。過剰な報復を望む被害者は既に加害者に転じていると解釈されても仕方がない。被害者に同情する社会が同じことを望んでも同罪である。小生はハッキリとこう思うのだ、な。日付:5月7日
これはアメフト騒動に関してではない。セクハラ騒動についての投稿だ。
今回のルール違反に憤りを感じ、番組でもとりあげてきたマスコミ各社は社会の中で果たすべき役割を果たしたと思う。が、例によってマスメディアは恒常的なパターンに逆戻りをして、非常に非知性的な、浅堀りの議論を反復的に繰り返し、問題解決に向かう日本社会の足を引っ張り始めている。そう思うことが(またしても)増えてきた。
なんでいつもこうなるんだろうねえ・・・と。不思議である。と不思議に思いつつ、小生の個人的予想としては予想ラインにそって(順序の前後は生じているが)進んでいるようで、先日の投稿のとおりに、マア、マアなっていくのではないかと今はまだ思っている。日付:5月28日
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先日の投稿ではU氏の辞任は10月頃ではないかと予測していたが、ずいぶん早くなった。コーチ全員の氏名と顔がネットに公開されて攻撃のターゲットになるだろうとも予測していたが、危険を察知したのだろうか、それより前に主要なコーチから順に日大から離れつつあるようだ。人間行動の予測は、予測される人間自体が予測に応じて、行動を変えるために、中々そのとおりにはならないものだ。マクロ経済予測がなかなか的中しない理由に近いものがある。
スパルタ教育をやった、傷害行為となるプレーを強要した、コミュニケーションをとろうとしなかった等々、仮にすべてが事実であるとしても、結果としてはタックルを受けた相手は試合に戻った。タックルを強要された選手は心に傷を受けただろうが、未来のチャンスをすべて奪われたわけではない。
こんなことを言うと、『福島第一原発事故で死者が何人出ましたか?毎年、交通事故で何人死んでいると思いますか?何人の人が自ら命を絶っていますか?』という時と同じく、『事柄の重要性がわかっちゃいない!』と集中砲火の標的になりそうだ。こんな現象が確かに現代社会では増えているのだが、小生、<メディア性過敏反応症候群>と呼んでいるのだ。適切なネーミングではあるまいか。何だか神経性の下痢と便秘をくり返す<過敏性腸症候群>を連想させる。
マスコミ主導の社会的制裁は、一時的に正しい方向を向くこともあるが、その力は賢明な人に制御されているわけではない。興奮したスズメバチ集団にも似ていて、攻撃したい方向へと暴走を繰り返し、少しでも刺激すればターゲットとなり、(社会的)生命を失うまで攻撃をやめようとしない。
以前の投稿でも記しておいたが、社会的制裁を求める現代社会のマスメディアは制度的な「権力」と並び立つ「実質的権力」として機能している ― 行動ではない、そこに責任ある意思決定者はいないからである。
政府と同様に民主的な統制を工夫しなければ、傷つく人がこれからも数多く発生するだろう。
ここから先は、被害者が加害者へと転じる可能性が高い。
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