両氏によると、独占は民主主義さえも抑え込んでいるが、民主主義下での独占は少数派ではなく多数派が主導している。環境汚染への関心が薄い都市部の有権者は、環境対策のための増税は不要だと考え、生活が危険にさらされている少数派の意見を封じるかもしれない。複数候補が争う選挙で扇動的な候補者が勝利することもあり得る。その候補者だけには投票したくないという有権者の票が割れてしまうためだ。
この2つのケースに共通している問題は、1人1票という原則だ。要するに「投票権は、大いに関心がある人にとって安すぎるが、関心の低い人には高すぎる」ということだ。
そこで両氏が示したのは「加重投票制」という解決策だ。さまざまな懸案をどれほど深刻に受け止めているかに応じて、有権者に一定の票数が与えられるというものだ。銃規制に熱心に反対(あるいは賛成)している少数派は、上乗せされた票を投じることで、関心の薄い多数派を打ち負かすことができる。複数候補が出馬した選挙では、有権者がある候補への賛成票だけでなく、別の候補への反対票を投じることも可能だ。
こうした提案は注目を集めている。例えば、オランダの活動家らは「情報組合」を立ち上げ、グーグルやフェイスブックのユーザーが情報提供の対価を得られるよう取り組み始めた。
もっとも、提案の大部分、特に加重投票制は実務上・政治上のハードルが高い。合併を中止させるといった従来の寡占対策よりも実現が難しいのは明らかだ。(出所)Wall Street Journal (Japan ed.), 2018-6-15
シカゴ大学のポズナー教授、マイクロソフト所属のエコノミストであるワイル氏へのインタビューに基づいた記事である。
これを読んで思い出したのが、ずっと前に投稿した分の以下の下りだ:
株式会社では人数ではなく、保有株数によって投票を行う。少子・高齢化で年齢分布に偏りが生じていることを考慮すれば、特に将来世代の負担に関する議案では、年齢別に投票数にウェイトをかけて集計するべきだ。特に<世代間再分配政策>を決定する際は、標準的な年齢分布をあらかじめ定義しておき、<標準年齢分布>を超えて高齢者が増えたときには一票を割り引いて数え、負担をする若年世代の投票は割り増して数える方法が合理的である。通常の国政選挙では特定の政策を選択することはできないが、国民投票ならば実行可能である。標準年齢分布は、現在の社会保障システムを持続できる年齢分布であり、それは理論的に導出可能であるはずだ。可能な範囲から一つの標準分布を決めるためには専門家が審議してから国会で決めればよい。もう6年前の投稿になってしまった。
確かに「加重投票権」という概念が受け入れられるのは社会的に極めて困難である。「シルバー民主主義」とも言われる中で、高齢者の政治的発言力を抑制しようなどという提案を昨今の政治家が出来るはずもない。実行可能性については悲観的にならざるをえない。
しかし、アメリカでは検討されるべき課題がきちんと考察されている。しかも、考察の結果が大手新聞の紙面にちゃんと掲載され、社会に提供されている。
現実を前にすれば正論が通らないこともある。それでも正論はきちんと言うべきなのだ。
言うべきことは堂々と言う、堂々と意見を述べた人にはリスペクトを払う。それを「ハラスメントではないか?」とか、「許されない言い分だ」などと、モラルの旗に身を隠したような風な居丈高な圧力をかけるのは興ざめだ。こんな脆さを感じさせないところにアメリカ社会のフェアで健全な成り立ちを感じる。歴史を通した伝統文化、つまりは社会のDNAの違いなのだろうか。トランプ政権のヨタヨタ振りを観ているだけでは分からないアメリカという国の強みではないだろうか。
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