2018年6月7日木曜日

これまた既稿リマインダで十分: 朝鮮半島と日本

米朝会談が近づいてくるにつれて、ネットでは色々な意見が飛び交っている(すべて無料で公開されており、内容やレベルは玉石混交だ)。

多いのは、<長期的にみると>南北朝鮮は融和を進め、最悪の場合には核武装した統一国家が朝鮮半島に出現し、日本を敵視するだろう、と。故に、日本も米国との軍事同盟を深化させるとともに、自衛のための軍備に資源を割かざるを得なくなる。こうして日本も<普通の国>になっていくだろう、と。そんな見方が多いようだ。

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小生、個人的には「国防軍」という組織を日本国が保有するのは当たり前である、と。これが基本的な立場だ。

ただ、軍事力を何のためにもって、いかにして使うのか、という点については国民の側に相当成熟した世界観、政治観がなければならない。これが最重要なポイントだと思っている。

以前の投稿から:
中国は軍事力を強化しているが、軍事力は使えば失敗ともいえる政治ツールである。明治維新期の長州人・大村益次郎は「軍はタテに育成して、ヨコに使うものだ」と言ったそうだ。日本に対する中国の軍事的圧迫は、日本の資源を経済から政治・軍事に誘導することが一つの目的であり、よりソフトな国際的広報戦略の効果を強化するものである。その裏面で、というか同時に、中国政府にとっては痛い過去の履歴や人権への国内政治姿勢から、日本による中国侵略の記憶へと世界の目を転じさせるマスキング効果を引き出している。つまり中国は戦わずして日本を隘路に導こうとしているのだ、な。
日付:2014年4月1日

大村益次郎のように「軍は単純に武力行使をするために持つものではない」という戦略眼を日本政府の担当者だけではなく、日本国民ももつことが成功へのカギであって、そうでなければペラペラとした好戦意識から展望も覚悟もなく戦争を繰り返した戦前・日本の大失敗を再び繰り返すことになるのは必至である。

俗にいう『気違いに刃物』とはしないことが最も重要。『馬鹿と気違いは紙一重』ともいう ― まあ、『大賢は大愚に似たり』とも、『天才と気違いとは紙一重』ともいうので、この辺の政治スタンスは実に微妙で、政治芸術(アート)とも言えるかもしれない。(この辺り、不穏当な表現はご勘弁)

いずれにしても、日本が頼りにしているアメリカは、日本の国益ではなく、アメリカ人の国益のために、(今は)日本に協力しているのである。韓国は韓国人の利益のため、中国は中国人の利益のために活動しているのも当たり前。日本人が自己の共通利益を追求したいなら、日本政府が努力するしかないわけだ。相手が国交未回復の北朝鮮であれ、あるいはまた最悪のケースであるという統一朝鮮になるにせよ、自分の問題を解決するには自分でやるしかない理屈である。そのための戦略があるなら実行する。なければ解決を諦める。ロジックは本来は実にシンプルだ。

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大体、「最悪のケース」などと文章に書くこと自体が、実に「間抜けな表現」だ。最悪なケースにはならないように外交努力を尽くせ、というのが現行憲法の趣旨である。外交努力を尽くすより前に、「武断主義」などと口にして、国家戦略を勝手気ままに変更したことが戦前・日本の軍国主義が大失敗した根本原因である。

ここでも既稿を引用しておくか:
日本が北朝鮮を承認することのプラスは何か?検討してもよい時機ではないのか(というか、もう検討はしていると思うが)。
東アジアのありうべき状態は「現状固定の相互承認」のみである(と思われる)。朝鮮半島の現状を固定し、平和共存を目指す方向は、日本にとっては確かにプラスである(どのようなプラスであるのかは多面的だが概ね自明である)。
朝鮮戦争開始と休戦までの期間、ずっと日本はアメリカの占領下にあった。朝鮮戦争の結果である半島分裂は日本の責任ではない。が、明治以来の外交史を振り返ると半島の現状に日本は相当の責任を負っている。日本は日本で選択すべき朝鮮半島外交があるだろう。
イギリスもドイツもカナダもオーストラリアも北朝鮮を国家として承認している。北朝鮮の存続を認めている。国家としての承認は平和を築く交渉の第一歩である。もちろん日本による北朝鮮承認となると、東アジアにおける波及効果は(特に韓国に対しては)かなり大きいに違いない。が、日本はまだ使っていない外交上のリソースを有していると考えるべきだ。
日付: 2017年8月31日

「日本には自国を守る能力も制度もない」と指摘するのもナンセンスで無責任。「米朝会談で朝鮮戦争終結宣言が出される可能性があり、拉致問題未解決のまま、日本は北朝鮮と国交を回復できず敵対関係が続く」という予想もナンセンスで無責任。

問題を認識しているなら解決のための方策を考えればよい。考えた方策を日本が実行すればよい。その方策とは「軍事力行使」ではなく、「外交戦略」を指すということが、戦前の大失敗で得た教訓だ。

その教訓を踏まえたうえで必要ならば、「国防軍」は持って理の当然だろう。これが小生の個人的立場だ。

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が、もしも自衛隊を拡大再編成した国防軍をもつとなると、現在の日中関係は本質的な変化を余儀なくされる。これもまた必至である。

どちらがプラスか、マイナスか?故に、賢明であるためには、何が国益であるか、国民の側に共有化された理解がなければならない。もし、それがなければ外交戦略などは立案も実行もできず、外交すらもできないならば、軍事力などは持たない方が世界平和のためだ。文字通り『気違いに刃物』になる(不適切な表現、申し訳ない)。

今のままでいい。

モーツアルトの歌劇『魔笛(Die Zauberflöte)』の中で、鳥人パパゲーノが王子タミーノとともに魔界(?)へ入り王女パミーナを救い出すかどうかで迷っているとき、頑張れば可愛い女の子とめぐりあえるぞと言われた。迷うパパゲーノは『怖いからやっぱりやめる、今のままでいい』と言う。

今のままでいい、というのも立派な選択なのだ。

明治政府は幕末の尊皇攘夷思想の嵐の後にできた政府であった。そんな政府が軍事力を持った。その果てに軍の暴走が起こった。国の制度というのは、制度が出来た時の思想を反映するものだ。『三つ子の魂、百まで』とはこのことだ。

いざ日本国が危機に陥り、危機に対応するために軍事力をもって、国防の備えをする。多分、こんな道筋をたどっていくのだろうが、これでは朝鮮半島の危機に備えるという点では幕末から明治にかけての行動パターンと同じではないか。

軍事力というのは平和な時代の中で、一定の外交戦略の下で、着実に育成していくものだ。そうでなければ、実に危険な武装集団になるだけの話である。

ズバリ言うなら、今のような劣悪かつ低レベルのニュースキャスターやワイドショーが社会に影響を与えている中で、よりハイレベルの軍事力をもつとしても、日本政府にも日本国民にもその実力集団を満足にマネジメントするなどというのは出来ない、無理だ、これに尽きるのだ、な。ここが不安に感じられつつアジアの近隣諸国、アメリカ、豪州、等々、世界は気がかりな目線を日本に対しては向けている。そう思っているのだ。

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